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大丈夫
俺は少年の体を抑えたまま、PHSで事務室に連絡した。薄い掛け布団を持ってきてほしいと頼むと、朝と同じ女性事務員が部屋に届けてくれた。夏用のうすい掛け布団は可愛いクマのイラストがプリントされている。俺はそれを少年のお腹のあたりまで引き上げてかけてやった。
「2時間は動けないから、このまま寝よう。大丈夫、何も怖いこと無いからな」
「……ふぅ」
少年はまだ、時折鼻から声を出していた。しかし、体力も限界に近づいていたのだろう。薄く開いていた瞼を少しずつ下げ、またハッとして持ち上げというのを繰り返した末、最後に全身の力を抜くように目を閉じた。気絶した、というのが正しいかもしれない。
俺は少年の肩から手を離した。点滴が終わるまで離れられないので、そのまま少年の隣に座って彼の寝顔を見る。今は穏やかそのもの。顔に傷さえなければ、普通の子供と変わりない。幸せな、普通の家庭に育った子供達と。
この子の名前、どうしようか。
俺は少年を見ながら考えた。これまでにも2人くらい名前を付けたことがあるが、その時も随分悩んだ。俺は良い名前をパッと決めることは出来ないため、子供と一緒に過ごしていくうちに、なんとなくその子の特徴や特性が掴めてきてぼんやりと名前が浮かんできて、良い漢字を当てはめて……という流れを踏んでいたが、この子は未だ何も掴めていない。頭に何も浮かんでこない。
新しい人生を歩き始めたということの証にも、早く決めてやらねばと思うのに。
「あ、や……やっ……」
ぼうっとしていた意識を引き戻したのは、そんな微かな悲鳴だった。少年を確認すると、彼は未だ目覚めていない。どうやら悪夢にうなされているのだとわかった。身じろぎをする少年の体を、抑え込みすぎない程度に押さえて、俺は声をかけた。
「起きて、大丈夫。大丈夫」
とんとんと優しく肩を叩くと、ふっとわずかに瞼が持ち上がる。少年はまた「ふぅ、ふぅ」という呼吸音をし始めた。
「あ、あ」
「大丈夫だよ、怖いのは夢だから。大丈夫」
「や……」
「大丈夫」
少年の体から力が抜けていく。もう大丈夫だろうと、俺は肩から手を離してまた少年を観察した。少年は肩で息をしながら、薄く開いた目でじっと一点を見つめていた。いつの間にか、汗で額に髪が張り付いている。あとで拭いてやろうと思ったその時、初めて少年が俺の目を見た。視線が合ったことに驚いたのは俺の方で、「え」と声をあげてしまいそうになったのをすんでのところで抑える。少年は俺の目を見つめた後、また視線を戻して目を閉じた。
2時間の点滴を終え、昼ご飯の時間になる。点滴針の刺さったままの少年を放置して昼食を取りに行くことは出来ず、これまたPHSで職員に運んでもらった。その際、スプーンを二つ持ってくるようお願いする。
職員からトレイを受け取って、それを少年の前に置く。そしてから少年の体を起こして座らせた。何度か魘されたものの少しは眠ったためか、少年は昨日ほど背中を丸めて座ることはなかった。座っている姿に安定感がある感じだ。点滴を打ったから、というのもあるかもしれない。
「よし、今日はご飯食べれるかな?」
そう言ってから、スプーンで少しだけおかゆを掬って少年の口元に運んだ。唇が開かれることは無い。
「美味しいぞ。先生もお腹空いたから、ちょっともらっていいか?」
「……」
俺はもう一つのスプーンでおかゆを掬い、少年を見ながら口に運んだ。
「美味しい! 美味しいなぁ。卵も入ってて美味しいなぁ」
大袈裟に美味しい、美味しいと言って少年の気を引く作戦だった。人が食べているのを見ると、自分も食べたくなるのが人の性だ。現に、こうして食べることで食べられるようになる子も多い。目の前の食事が安全だということもわかるし、一石二鳥である。
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