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テディベア 3
少年は随分長い間そのまま黙っていた。テディベアから離れたり、呼吸を乱したりしていないところを見ると怖いわけではないらしいが、緊張して動けないのかもしれない。もしかして、俺が見ていることが少年の行動の妨げになっているのか。
「じゃあ、先生はちょっと用事あるから外に行くね。クマ五郎とお友達になっててね」
そう声をかけてから廊下に出て、すぐに向かったのは事務室だ。
カメラで部屋の様子を確認する。モニターには少年以外の子供達の部屋も映っているので、それも少しだけ観察した。
多くの部屋には児童の他に職員もいて、各々話をしたり、遊んだりしているようだった。遊ぶといっても、先ほどの俺と少年のように、職員が一方的に話すことが多くなるのだが、それでもどの部屋の子供も少年よりは反応が見て取れた。あからさまに震えている子もいる。そういう子の場合は、かなり離れた場所に職員が座っていて、会話は無い。だが、恐怖を表に出すというのは「出せない」よりも良い傾向である。少年は、今回保護された子供の中で一番重症といえるかもしれない。
少年の部屋に視線を戻す。少年は先ほど別れたときと同じ体勢で、手の甲にわずかにテディベアを触れさせていた。じっと見つめていることから、気になりはしているらしい。あとは触ってくれたら、進歩なのだが。
少年の微かな動きも見逃すまいと、じっとモニター越しに見つめ続ける。
その時、ほんの少し少年の右手が動いた。ぴくっと跳ねたような動きだったが、その手は少しずつテディベアのお腹に近づいて、優しく乗せられた。少年は少しの間そこに手を置いたままじっとしていたが、次はゆっくりとテディベアのお腹を押すように手に力を入れた。弾力のあるテディベアをゆっくり無心に触れる少年を見て安心する。やはり緊張していただけのようだ。このまま、少年がテディベアを怖がらなくなって、もっと大胆に触れるようになれば。
「お疲れ様でーす」
事務室に軽い調子の声が響いた。入ってきたのは悠生だ。悠生はシャツの襟元を引っ張ったり戻したりして熱を逃がしながらこちらに近づいてきた。
「暑そうだな。外にでも行ってたのか?」
「あーはい。さっき春奈ちゃんに見つかって、外を走り回されてて」
「はは、あの子は悠生がお気に入りだもんな」
「もー、元気すぎて大変ですよ」
汗だくで大きなため息をつく悠生だったが、そこに苛立ちは見られない。それもすべて、彼らがここに来たばかりの時のことを知っているからだ。震え、怯え、世界のすべてに恐怖しているような子供達。彼らが大人を振り回すまでに成長できたことは喜ばしいことだ。そういう共通の感覚を、職員は持っている。
悠生はモニターを覗き込むと、「あ」と声をあげた。
「先輩、あの子にぬいぐるみあげたんですね」
「あぁ、プレイルームのだけどな」
「すごい控えめだけど、触れてますね」
少年はテディベアの腹を押すだけでなく、周りの毛を指先で引っ張っては離してと言うことも繰り返していた。持つ、抱きしめる、という行為には至っていないが、これだけで今日の少年の課題はクリアといえる。
「悠生のとこの子はどうだ?」
「雪君? 毎日泣かれっぱなしですよ。あぁ、今はぐっすり寝てますね。ご飯食べてお腹いっぱいになったのかな」
悠生はそのまま、「雪」という少年の部屋を眺め始めた。まだ彼から名前の提出は受けていないが、どうやらもう名前は決定しているらしい。
悠生の顔が、ふっと綻んだ。部屋の隅っこで丸まって眠る雪君の顔はカメラでは確認できないが、彼には雪君が穏やかなことがわかるのだろう。
俺はもう一度少年を見た。テディベアに触れていた少年は、もう手を引っ込めていつものように俯いて座っていた。
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