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幸月

 緊急連絡にすぐ気がつけるようにと毎晩枕元に置いているPHSがけたたましい音を立てて震えたのは、少年にテディベアを与えたその日の夜のことだった。  夢の世界に飛んでいた意識は緊張感高まる緊急連絡音にすぐさま戻り、俺はばっと上体を起こして連絡を受け取った。 「はい、冴島です。何かありましたか」 『冴島さんっ! 105号室の子なんですが、先ほど突然叫び声をあげはじめて、今もずっとパニック状態です。扉を叩く音が棟内に響いており、他の部屋の子供の中には異変に気が付いている子もいます。今、別の職員が部屋に向かって扉を叩くのだけでも抑えていますが、至急こちらに願います!』 「わかりました。すぐ行きます」 通話を切り、ベッドから立ち上がってすぐに靴下、靴を履いて廊下に飛び出した。  女性職員の切羽詰まった声が脳裏に蘇る。緊急連絡が来た時点でただ事ではないのだが、彼女の声がさらに事態の深刻さを伺わせた。  非常灯の灯りでほのかに黄緑色に光る廊下を走る。焦りのためか、いつもより早く息が切れ始めた。しかし、止まって休んでいる場合ではない。俺は非常用の鍵で扉を開けてひなどり棟へ向かった。  105号室の前には、先ほど連絡をくれた職員の女性が心配げに胸に手を組んで立っていた。彼女は俺の到着に気が付くと、ほっと息を吐いてゆっくり部屋の扉を開けてくれた。 「職員が今対応しています。よろしくお願いします……」  扉を開けた瞬間、先ほどまでは微かにしか聞こえていなかった叫び声が鼓膜を貫いた。 「あー! あー! ああああああ!!!」  高かったり低かったり、途切れたり、断末魔のように長くのばしたり、不規則なその声は部屋の壁に反射して、耳にキンキンと鳴り響いた。うっと耳を抑えたくなるような衝動を堪えて部屋に入ると、今までに見たことが無いほど暴れる少年と、その少年の両手首を掴んで動きを封じようとしている女性職員の姿があった。右へ左へと体を動かし制止を振り切ろうとする少年の頬にはいく筋もの涙の跡があり、その跡の上を今なお雫が流れ続けていた。 「春日さん」 「冴島さんっ。すみません、お願いします」  女性職員は眉を八の字に下げたまま、少年の手をゆっくり離した。その隙に逃げ出そうとする少年の体をしゃがんで受け止めて、俺は少年を抱きしめた。後ろで扉の締まる音がする。 「うううっ!!! うぅ!! あーう! うぁあああ!!」  少年は腕の中でもがいていた。意味をなさない叫び声には、怒りも、怯えも、どちらも感じられた。 「大丈夫、大丈夫だ……」  そう優しく声をかけるが、その音すべてが空気にのる前に、少年の叫び声によってかき消される。少年は体当たりするように右肩を俺の肩に勢いよくぶつけた。どこにそんな力があったのかというほどの衝撃で、少しぐらつく。少年は怒っている、そう捉えた直後、少年の体が小刻みに震え、嗚咽のようなものが聞こえた。少年は怯えている。 「落ち着いて、大丈夫だから……ね?」 少年の声をかき消すような落ち着かせ方は逆効果だ。だから、己の声が何度少年によってかき消されようとも、俺はささやくように、まるで夜の優しい静けさに溶けていくような声で少年を宥めた。 「あぁ、あぁああ。うあ……」 「どうした? 怖いことでもあった?」 「……うぅ、うー」  ふぅ、ふぅという呼吸音が狭い感覚で起こる。息を整えているのか、いつものように恐怖心が表面に出ているのかは判別できなかった。しかし、少し落ち着いたかもしれない。

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