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介と夜

 夕食の後は大変だった。  離れようとすると泣いてしまうのだ。それも、この世の終わりかとでもいうような大絶叫。「いや、いや」と服を引っ張られ、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見ていると、こちらも胸が痛い。    しかし、これ以上幸月についていると規定の労働時間を大幅に超えることになる。  ひなどり棟職員はただでさえ宿直が連続することが多いため、夜は早めに部屋に戻って休むことが決まりになっているし、昼間は職員室で事務作業をすることになっている。  しかし俺は今日の昼間までつばめ棟で勤務していたため、昼間も普通につばめの子ども達の相手をしていたわけだ。どう考えても過重労働。ここで幸月のそばにいたら、体も心配だし、施設自体も労基違反で訴えられかねない。 「幸月、ごめんな。明日の朝ちゃんと会いにくるよ。嘘じゃない」 「やっ……や……」  幸月は首を横に振って、視線を合わせるためしゃがんでいた俺の胸に飛びついた。服を引っ張る手は力が込めらて真っ白になっている。  どうしたものか。 「幸月、良い子だから、ね?」  ダメだ、何がなんでも離れたくないらしい。他の職員に引き渡したらまた勘違いしそうだし、だからといって興奮状態の幸月をこのまま置いていくこともできず、俺は仕方なく医療部に電話した。  これは強制的にでも寝かせてやらないとダメだ。俺は片手で幸月の頭を撫でながら、もう片方の手でPHSを操作した。 「はい、百瀬です」 「あぁ、今日の担当は介か。悪い、幸月がいまかなり興奮してて、落ち着きそうになくてな。このまま離れるわけにいかないし、眠剤か鎮静剤お願いしたくて」 「なるほど、わかった。今行くね」  それから10分ほどで介は部屋にやってきた。ドアの開閉音に顔を上げた幸月は、新たな大人の登場に一層顔を青くさせた。 「やだあああ!!!!」  そして、ここに来てから1番であろう大声を上げた。  このまま引き離されるとでも思っているのだろう、幸月は全身の力を振り絞って声を上げ続けた。  耳を劈くほどの大音量に、何かあったのかと駆けつける大人たちの足音が廊下に響く。廊下の職員には介が説明し、俺は胸を大きく上下させて荒い呼吸を繰り返す幸月を宥めていた。 「確かに、これは重症だね……」  介が苦笑混じりに呟く。 「ここに勤務してから初めてだよ」  担当児童が職員に懐くことは珍しくないし、朝夕離れることを嫌がる児童も多い。  しかしそれは、保育園に通い始めたばかりの子供が親と離れるのを嫌がるようなもので、一過性に過ぎず、離れてしまえばケロッと収まることがほとんどだ。しかし、幸月の場合は1度ちゃんとした説明も無く長期に渡って離れてしまったために、「待っていても来てくれない」という感覚が強く植え付けられてしまったのだろう。  これに関しては俺が悪い。ただでさえ、ここに来る子供たちはまともな愛に飢えているのだから。 「体小さいから軽い眠剤で大丈夫そうだし、何日かそれで眠ってもらおう。そして、桐也は幸月君が起きる前に会いに行くようにして、朝になったら来てくれるって覚えてもらうしかないかな」 「俺もそれがいいと思う」 「うん、じゃあ、幸月君の腕、出してもらって……」  胸にひっついてぐずぐず泣いている幸月の腕を掴み、介に見えるようにする。幸い泣いている幸月に注射針が見えることはなく、手早く処置は終わった。 「幸月、ごろんしよう」 「やぁ……」 「俺も横になるから」  部屋の真ん中に敷布団と枕を持ってきて、そこに横たわらせる。掛布団をかけている間も、幸月の視線は俺から外れなかった。 「明日も会えるからな」  そう声をかけながらトントンとお腹を叩いていると、しっかり開かれていた幸月の目がとろんとしてきた。それでも目を瞑ってはいけないと自分を叱咤させるのか、幸月は落ちかけた瞼を何度も押し上げる。しかし最後には完全に目を閉じてしまって、その後すうすうという微かな寝息が聞こえてきた。  胸を撫で下ろし、布団を出る。これで夜目を覚ますことも無いだろう。 「お疲れ、桐也」 「介もありがとな」  電気を消して、俺たちは部屋を後にした。

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