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約束のはじまり 2

 昼食時間になる前に看護室へ向かい、配達されていた自分の分と秀人の分の給食を受け取る。  今日は一緒にご飯でも、と思ったのだ。  病室に入ると、彼は上体を起こして窓の外を見ていた。 「ずっとベッドの上は暇だよねぇ」  そう話しかけながら歩み寄り、持ってきた秀人の分の給食をベッドテーブルに置く。自分の分はサイドテーブルに置いて、「いただきます」と手を合わせ食べ始めた。 「何か暇つぶしになりそうなもの無いか探してみるね。パッと思いつくのは本しか無いんだけど、それだけじゃあねぇー。あ、この煮物美味しい!」 大根と人参の煮物は煮汁がよく染み込んでいておいしかった。甘みがあるのもまた良い。  秀人は相変わらず返事もしなければ、食事にも手をつけなかった。怪訝そうな顔で俺を見つめてくるので「食べな?」と促すと、全く脈絡の無い問いが投げかけられた。 「お前医者?」 「うん? うん」 俺は着ていた白衣をひらひらさせてみせた。 「見るからにね」 「医者は暇人なの? 駄弁りながら患者とご飯なんか」 「俺は医者だけど、秀人は患者じゃないよ。体調が良くなったら退院、なんてことないんだから。それと、俺はそこまで暇じゃありません」 「じゃなんでいんの」 「んー、秀人とご飯食べたかったから。理由なんてそれしかないでしょ。ほら、早く食べなよ。美味しいよ?」  俺は味噌汁をすすった。定番のわかめの味噌汁は体もあったまる。  秀人はモヤモヤするのか、俺が気になるのか、やはり箸を持とうとしない。威勢が良いのか悪いのかよくわからない。  それでも何か話さなければ。彼から言葉を引き出さないことには何も始まらない。 「そういえば今度ね、ここの施設の子どもと職員で秋旅行に行くんだよ。あ、俺は行かないよ? でももし秀人が行けるようになったら、どこか行きたいね」 「……」 「秀人はずっとこの病室に1人なわけじゃなくて、調子が戻ったら同い年くらいの子達と一緒に生活するからね。俺と話すよりきっと楽しいよ」 「医者は……」  秀人はこちらを見ずに、ただ正面を睨みつけながら声を発した。しかしまたしても、その内容は俺と噛み合っていない。 「医者は、そんなんじゃない。もっと忙しくて、俺のとこなんか、誰も……来ない」  ぎりっと歯を食いしばる音が聞こえた。  俺は茶碗を置いて、彼の背に触れた。彼の表情や声はいつも怒っているのに、それでいて泣いているように見えた。 「どうどう、落ち着いて」 「医者は俺の話なんか聞かないっ! 看護師もだ! 俺が、死にそうに……なっ、ても、呼んでも、誰も来ない!!!」  ダンッッ!!と大きな音を立てて、秀人はテーブルを殴った。  その振動で、味噌汁が溢れる。  音を聞きつけてきた看護師が部屋に入ろうとしたのを俺は視線で止めた。 「そうだったんだね。それは辛いし、嫌だよね。でも俺や、ここの看護師はちゃんと行くよ。秀人が辛い時、ちゃんと駆けつける。絶対」 「……っ俺に、触るな!!」  その瞬間、秀人がキッとこちらを向いた。  そして右手で煮物の茶碗を掴むと俺に向かって投げた。大根や人参がもろに顔に当たり、白衣が茶色に滲む。 「先生!」  廊下から見ていたのだろう看護師が部屋に入ってきた。入るなと制したのに、と心の中で呟く。 「お前みたいな馬鹿な医者初めて見た!! さっさと失せろ!! この……!!」  秀人がさらに何か投げつけようとした時だ。  カヒュッと変な音が聞こえたかと思うと、秀人はもう一度深く息を吸い込もうとして失敗した。そして苦しげにベッドテーブルに倒れ込む。ヒューヒューという異常な呼吸音が部屋に響く。看護師はすぐに処置道具を取りに行った。  俺も秀人を仰向けに寝かせて、ベッドの用意をする。  されるがままの秀人は、朦朧とする意識の中でもどうにか反抗しようとしていた。  リアルに、この運命に。

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