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第5話
「……大将見習い殿。今日のお客様、全部で何人でしたっけ?」
残り物の切り身をスライスしていた真の手が止まる。
「……五人、だ」
「そう、たったの五人。……なあ、この店大丈夫か?」
もはや恒例になりつつある閉店後大反省会で、俺は深々と溜息を吐いていた。俺が転がりこんで早二週間目、今日も今日とて来る客を無言&無表情で無意識に威圧していた真は、考え込んでいる素振りを見せているが、考えなくてもわかる。
この状況は、まずい。
百々寿司があるのは、周り一面山に囲まれ、空き家の目立つ、所謂限界集落。比較的大きい道沿いに建っているものの、店にやってくるのは、地元のお年寄りがほとんど。来たとしても、朝型の元気なお年寄りたちは、健康のために夜九時過ぎには帰ってしまう。
「爺ちゃんがいる時は、もう少しお客さんも来ていた」
「ふーん。真の爺ちゃんって、寿司職人として結構有名だったりすんの?」
「……ああ、多少。昔、有名な寿司屋で働いていたらしい」
淡々と真は話すが、つまり真の爺ちゃんがいない店には客が足を運んでくれない、ということだ。店の前に張り紙で、真が大将の代わりとして営業していることをご丁寧に案内しているから、それを見て帰っていく人もいるのかもしれない。どうせ高い金を出して食べるなら、ちゃんとした大将の握った寿司が食べたいと思うのは、まあ当然だ。
「でもさあ、爺ちゃんいない間に店が潰れたらまずいだろ。なんかやんねーと……」
バイトの身でありながら健気だな、と自分でも思う。けれど、毎日賄いという名のタダ飯を食わせてもらっている手前、この妙にぼんやりしている男を放っておくのは、流石に気が引けた。
「あ、インスタとかは?やってんの?」
「い、んすた……?」
「あー、知らないのな。まあそんな気はしたわ。じゃあグルメサイトとかにも登録してないだろ」
「……してない、と思う」
しゃもじを握ったまま立ち尽くしているところを見る限り、真は何が何のことだかわかっていない。いつにもまして虚ろな目をしている気がする。
ふー、と息を吐きながら、俺は情報社会に完全に取り残されている男に向かって手招きした。
パソコンはある、というので持ってこさせると、かなり前のモデルのノートパソコンを真が自室から持ってきた。これまだ動くのかよ、と若干引きながら、賄い丼を頬張りつつキーボードを叩いていく。
「詳しいんだな」
「大学の必修科目で、店の経営についてとか、ちょっとやったんだよ。まあこのくらい、今時どこの店でもやってることだけど」
飯食ってろ、とジェスチャーしながら、指先だけは動かせるようになった右手でマウスを動かしていく。カウンター内から身体を乗り出して、真がまじまじとパソコンの画面をのぞき込んでいる。この様子だと、おそらくほとんど触っていなかったのだろう。
「まずは無料掲載ができるサイトだけ登録する。効果があったら有料プランも検討すればいい。検索結果で店が表示されるように仕込むのも、手っ取り早いしやっとくか」
「……大学では、こんなことを学ぶのか。すごいな」
「何もすごくなんかねーって。たまたま知ってただけ。ま、志高い大学生、をやってる奴は、本当にすごいかもしんないけどなー」
周りが入るなら、入る。その程度の気持ちで俺は大学に入った。日頃つるんでいる奴らも皆、そんな感じだ。志なんてもの、持ち合わせたこともない。
「……なあ、なんで真は寿司職人やってんの?」
真の質問癖がうつったのかもしれない。
顔を上げた真と、ぱちり、と視線が合って、無意識のうちに言葉が口から転がり出ていた。俺を見たまま黙り込んだ真に、余計なこと聞いたとすぐに後悔した。
「あー、ごめん、なんでも……」
「両親が、小さい頃に離婚した。俺は、母親に引き取られて、すぐ爺さんに預けられた。母親とは、それ以来会っていない」
誤魔化すより先に真が語り出した内容に、ギクリと頬が引きつる。幼い頃からの夢とか、魚が好きでとか、せいぜいそのあたりを予想していた。こんな重たい過去語りが飛び出してくるなんて、完全に予想外だ。内心焦っているうちに、真が再び口を開く。
「中学生の時に婆さんが死んで、それから店の手伝いをするようになった」
「へ、へえ……爺ちゃん孝行だな」
「俺がやりたくて、やっていただけだ」
「でも、爺ちゃんは助かったんじゃねーの?一人でやるのとは全然違うだろ」
何とかフォローしたくて、言葉を重ねる。じっと黙り込んだ真が、ふ、と僅かに目を細めた。
「そうだと、いい。……爺さんには、感謝してる」
俺には両親も、兄もいる。幼い頃から両親がいなかった真の気持ちを理解するには、過ごしてきた時間や境遇が違いすぎる。けれど、真にとって爺ちゃんがどれだけ大切なのかくらいは、その声音でわかる。少しだけ、部屋を使わせてもらっている礼も兼ねて、真の爺ちゃんに会ってみたくなった。
「俺は、この店と爺ちゃんが好きだ。だから、いつか店を継ぎたい」
「ふーん……良い夢じゃん」
「そう、か……?」
「?おう」
「……そうか」
目を伏せて呟いた真の口元が、ほんの少し緩む。これは多分、喜んでいる。気づいて、つられて笑いそうになった。
良い夢だ、なんて、ありきたりな言葉だ。しかも他人の、無責任な言葉。それに、そんなに喜ぶなんて、本当に単純な奴。
「……千隼は?」
「え?」
「千隼は、やりたいことはあるのか?」
真っ直ぐな問いかけに、咄嗟に言葉に詰まった。
口を開いて、閉じて、を繰り返しても、何の音も出ない。そのうちに、じっとこちらを見て待っている真と目が合ってしまって、絞り出すように言葉を吐いた。
「何もねーよ」
回答に満足していないのか、じっと言葉の続きを待っている。しばらく睨みあったけれど、あの無表情の圧に勝てるわけがない。
結局負けて、俺は溜息を吐いてから投げやりに言葉を続けた。
「できることも、やりたいこともない。俺は、なんていうか……『ふつう』の人間でいられれば、それでいいんだわ」
言ってから、すぐにまた後悔した。ああまた、余計なことを言った。こんなこと教えて、何になる。
「……だからさー、真はすげーと思うわ。やりたいことがあって、それに向かって努力してんじゃん。ま、もう少し笑顔の練習はしたほうがいいと思うけど」
真が話し出すより先に、言葉を重ねる。早くこの会話を打ち消したかった。
「おい、インスタ開設するから、写真撮るぞ。ちゃんと笑えよー?いいね0件とかならねーようにさ」
読めない表情のままこっちを見ている真の頬を箸で軽く突いて、わざとにんまりと笑う。食べかけの丼を片手に持ったまま、一拍置いて、「努力する」とぼそりと真が呟いた。
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