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ドンッと突然腹に強烈な衝撃を受けて一瞬息が詰まった。 自分がいつの間にか寝てしまっていた事に気付き、少し頭を振りながら重い瞼を上げる。 カーペットに座り込み、ベッドに頭を乗せた状態だったらしい。 不自然に顎を上げていたせいでちょっと首がいたい。 チラリと目線だけで時計を見れば、とっくに日付が変わっていた。 特に見なくてもわかる衝撃の正体に、ポンポンと手を乗せる。 坊主からはもう随分と伸びた髪の毛がチクチクと手のひらを擽った。 「おかえり。お疲れさん」 「......もういやじゃぁ! たかちゃんが先に帰るとか聞いとらんかったし、こんな時間になると思わんかったし!」 浅黒い肌のでっかい甘えん坊が俺の腹にガシッと腕を回し、太股に頭をスリスリと擦り付けている。 元々俺に対しては底知れない甘えっぷりを見せるとは思ってたけど、今日のこれはさすがにちょっとひどい。 それが1日知らない大人に囲まれている緊張と、深夜まで引きずり回された疲労の大きさの証明だった。 俺はその頭を引き剥がす事もなく、ただそっと撫でていた。 「だいぶ遅かったのぉ」 「うん...ラストのスポーツニュースの中継まで頑張った」 「ほうか、よう頑張ったの...腹は減っちょらんか?」 「大丈夫...テレビ局から、なんかすげえ弁当出たけ。今は腹より...たかちゃんとくっついときたい」 疲れきっている亮治にいつまでもこの体勢はきついだろう。 何より上半身がドーンと乗り上げている俺の脚もちょっと重い。 少しだけ腰をずらし、亮治が離れる事の無いように気を付けながらゆっくりと横になる。 しがみついたままだった腰からニジニジとずり上がってきた亮治の頭は、そこが今は落ち着くのか、スポンと俺の脇のくぼみに嵌まった。 「あー、なんかこのまま寝そう...」 「明日の朝も早いんじゃろ? って言うか、お前そこで落ち着くなや。臭かろ?」 「んふ、たかちゃんの匂いじゃけ落ち着く~。明日はねぇ、5時半から朝の情報番組出にゃいけんのんじゃって。おじさんが、今日はこのまま泊まって行ったらええって...テレビ局の車、ここに来てくれるように話してくれたみたい」 「ほしたらベッド使えぇや。こがいなとこで寝たら体壊すで」 「嫌...」 絶対に離れないぞ!とでも言うように、亮治は長い手足を俺の体に絡み付けてくる。 これはどれだけ言っても聞かないだろうと俺は素直に体の力を抜くと、亮治の頭にチュッとキスしてみた。 「せっかく昨日あんだけ勉強したのになぁ...」 「アホか。お前の持ってきたアレじゃったら何にも勉強にならんかったじゃろうが」 昨日の勉強というのは、亮治が自称完璧な変装をしてまでわざわざ買ってきたという、男性同士の恋愛を描いてある同人誌の事だ。 エッチそうなのを厳選してきたのだ!と言うだけあって確かに絵も綺麗だし体も綺麗だし、描かれてた行為も間違いなくイヤらしかったと思う。 実際、原作を知らないせいで設定はよくわからなかったけど思わず食い入るように読んでしまったし、読みながら変に興奮してきて二人で風呂場で抜き合いする事になってしまったし。 けど、それと『勉強になった』かどうかはまた別の話だ。 どこにどう突っ込めばいいのかはわかったけれど、漫画の通りいきなり突っ込めばいいのか、女性と同じように事前に愛撫を施さなければいけないのか、その辺がどうにもわからない。 漫画の中では『ほら、ここももう欲しがってる』なんて触っただけで突っ込む方が言ってたが、本当にそうなる物なのか? それに、コンドームやローションがあった方がいいだろうと何となく二人とも用意はしたものの、どのタイミングでコンドームを着ければいいのか、ローションはどこにどれくらい使えばいいのか、そもそも妊娠するわけでもないのに本当にコンドームなんて必要なのか...全然わからなかった。 「ごめんね、たかちゃん...しばらくはエッチな事する時間無さそう」 「そらそうじゃろ。このまま何にもトラブル無かったら、来週には契約についての交渉の人が来るじゃろうし」 「あーあ...まさか1位とは思わんかったなぁ...取材依頼が昨日だけでもすごかったみたいじゃわ。今のところは全部学校が窓口になってくれとるけ、授業は普通に受けられるようにはしてくれるはずじゃけど。俺はたかちゃんと早う大人の階段上がりたいのに!」 「オッサンか! なんな、大人の階段て。まあ、とりあえずその日まで...一緒にもうちょっとちゃんと勉強しようや。お前が機械苦手なんはわかっとるけ、ちゃんと俺が検索しちゃるわ」 「あーっ、その日が遠いよぉぉぉ」 「たぶん...そがいに遠いぃないと思うで」 亮治の頭をギュッと抱き込む。 ずっと親しんできて、ずっとそばにあった匂いが強くなり、俺の鼓動が少し早くなった。 「年が明けたら俺は本格的に受験勉強せにゃいけんし、お前は自主トレやらキャンプやらあるじゃろ? ほじゃけ...お袋に頼んだ、『近いうちに、二人だけで旅行行かせてくれ』って。構わんてさ。なんかな...お袋、俺らの事知っとったわ」 「......じゃろうね、俺母ちゃんに話したし」 「はぁっ!?」 「だって...彼女作らんのかとか、たかちゃんには彼女おらんのかとか聞いてくるんじゃもん...ムカついたけ、『彼女はおらんけど、彼氏ならおるわ!』って言うてしもうた」 「おばさん、なんて?」 「でしょうね~って笑いよったで。たぶんそうじゃろうと思うて、カマかけたみたい。孫は見せちゃれんて言うたら、別に孫見とうて俺を産んだわけじゃないって頭叩かれた。再婚するんじゃけその人と子供できるかもしれんし、何にも気にせんでええってさ」 「おばさん、再婚するんか!?」 「うん。ここの杜氏さんなんよ...おじさんの紹介で、2年くらい前から付き合うとる。真面目じゃし、ええ人じゃ...」 「うちも、後継ぎがどうのこうの心配なら、弟でも妹でも作るけ気にせんとお前と生きていったらええって言われたわ」 世の中の母親というのは、皆これほどおおらかで胆が据わっているものなんだろうか? 男が男と付き合っていると聞いて、無条件に背中を押してくれるものなのか? いや、そんなはずはない。 それならばこの世界に性差別なんて物があるわけが無いんだから。 俺達の距離感がかつての物と違うと気付いた時、もしかしてと疑念を抱いた時...きっと悩み苦しんだのだろう。 偏見が無い事と応援できる事とは違う。 けれどおそらく、俺達が共に歩いて行く事こそが俺達の幸せなのだと結論付けたのだ。 同性愛への世間の風当たりに、俺達ならば耐えられると。 ただ俺達の幸せだけを望んでくれた。 本当に幸せな事だと思う。 「まあこれからの事考えたら、ちょっと距離感のおかしい幼馴染みのまんまでおった方がええじゃろうけど、お互いの家族はわかっとってくれるんて...ありがたいな」 亮治はちょっと照れ臭くなったのか、スリスリと顔を激しく擦り寄せてくる。 さすがに擽ったくて、頭を軽くペシッと叩いた。 「まあ、そういう事じゃけ、二人で旅行に行くんはオッケーもろうた。お前が正式に契約終わらせてこれからのスケジュールが確定したら、学校休んで旅行行こうで。オフシーズンじゃし、ギリギリでも宿くらい探せるじゃろ」 「......たかちゃんと...旅行!」 ワクワクが抑えられないって顔でニカッと笑うと、ズリッと上がってきた亮治の体に逆に抱き締められる。 あまりの力任せっぷりに苦しくなってきて、俺は背中を必死でタップした。 「旅行の相談もあるし、勉強もせにゃいけんし、時間ある時はとりあえずうちに集合な。遅うなってもええし、なんなら泊まって行きゃあええんじゃけ、できるだけ今は毎日会おうや、な?」 「勉強いる? 旅行の話だけでええことない?」 「まあ、できるだけお前が辛うないように頑張るけど、一応お前も手順は覚えといた方がええじゃろ?」 突然俺を抱き締めている力が抜けた。 唖然としたような顔の男前が俺の顔をまじまじと覗き込んでくる。 「なんで俺が辛いん?」 「え? まあ...言うたらお前、処女じゃろ?」 「いや確かに俺は処女じゃけど、たかちゃんも処女じゃろ?」 「俺は童貞じゃろ」 「それは俺も同じ! 辛いんはたかちゃんじゃないん?」 あれ? もしかしなくても...俺達の間に今、重大な齟齬が生じてる? 「俺は亮治に、俺の童貞を捧げるつもりじゃったんじゃけど?」 「俺はたかちゃんの処女をいただくつもりでした!」 しまった。 ここを最初にきちんと話しておくべきだったか... 俺達はお互いに突っ込むつもりでいたらしい。 なるほど、二人が揃ってコンドームを用意してた時に気づくべきだった... 「俺はできたらお前を抱きたい」 「俺は絶対にたかちゃんを抱く!」 困ったな...と思いつつも、時間も時間だからかちょっと瞼が重くなってくる。 俺の眠気が亮治に伝染したか、亮治の睡魔に俺が引き込まれたか、あくびを噛み殺したのは二人ほぼ同じタイミングだった。 「今のところ俺は譲るつもり無いけど、お前も讓らんじゃろ? ええが、ゆっくり話し合おうや...旅行の時までに、納得いくまでなんぼでも...ほじゃけ今日はこのまま...寝ようで......」 言い終わるのも待たず、スーッスーッと規則的な呼吸が聞こえてくる。 まあ、俺達の間なんてこんなもんだと少しおかしくて笑いながら、俺はしっかり隣の体に頬を擦り寄せた。

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