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第6話 ずっと好きだった(1)

 新人陸上競技選手権が開催された十月某日――。  ふっと意識が浮上して、明が最初に感じたのは心地のいい温もりだった。 (あったけえ……)  今は陸上競技場からの帰宅途中。姉が運転する車の後部座席で、いつの間にやら眠っていたようだ。  車内にはラジオが流れており、曲の紹介とともにアップテンポな邦楽が聞こえてくる。《萌木坂46》の曲らしかったが、千佳が好きなアイドルグループだということしか知らないし、それ以上の関心は特にない。  流れてくる曲を耳に入れながら、ぼんやりと微睡んでいると、明のすぐ隣で何者かが身じろぐ気配を感じた。 「ん……んぅ」  その声にハッとする。すかさず目をやれば、明の肩にもたれかかるようにして、千佳がすうすうと寝息を立てていた。  声こそ上げなかったが、さすがに驚いて一気に意識が覚醒する――何といったって、彼はひそかに想いを寄せる相手である。なんて心臓に悪いのだろうか。 (そういや、姉貴が声かけてたっけな)  帰り際、千佳の姿を見かけた姉が調子よく声をかけ、「ついでだから送っていく」と言って聞かなかったのだ。それで、現在の状況に至るというわけだが、まさか二人して寝てしまうとは思いもしなかった。 「………………」  起きているときはあれだけ賑やかな千佳も、眠っている今はまるで別人のようだった。こうして大人しくしていると、どこか幼さを感じさせる。  起こすのも悪い気がするし、ここは黙って肩を貸してやるしかないだろう。と、他意はないと信じたかったが、やはり意識せざるを得ない明がいた。 (あー、触りてえ……)  自分だって思春期真っただ中の男子なのだ。想い人の顔が間近にあるだけでドキリとしてしまうのに、無防備な寝顔を目の当たりにして平静でなどいられるものか。  と、手が動きそうになったときだった。 「そうしてると、小っちゃい頃に戻ったみたいだよね」  どうやら、姉がバックミラー越しに後部座席を見ていたようだ。明が小さく息をつくなか、なおも姉は呑気に話しかけてくる。 「ねえ、たまにはウチに千佳くん呼ばないの?」  その話題は、明にとって微妙すぎる。  高校生になってからというものの、一度も千佳を自宅に誘っていない。  自分の部屋で二人きり――両親は共働きだし、大学生の姉は何かと外に出ていることが多い――になるのはマズい気がしてならなかった。  千佳に対する感情は、なにも綺麗なものばかりではない。時折込み上げてくる欲望をどうにかしたくて、その場限りの相手を求めたことも何度かある。

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