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第13話 抜けられない罠

「じゃあまず、M6の立ち位置からー……」  スタジオ内に演出家の声が響く。各々準備運動をして待機していたキャストは、呼ばれた順に舞台を想定した場所に、指示を受け立っていく。  今から演出を付けていくシーンは、パンを盗んだ青年の処罰を巡って市民が乱闘するシーン。全て偽物の世界で、偽物の市民が青年を生かすか殺すかで揉めるのだ。  偽物と分かっているが、青年を助けるか見殺しにするか葛藤する、遥が扮するミケル。でも結局は見捨てることはできず、青年を助ける。  すると青年は感謝してこういうのだ。 『ありがとうございます。助けて頂かなければ、私は妹の子を見殺しにするところでした。あなたは私のヒーローだ』と。  この世界が偽物だというのなら、どうして平和な世界にならなかったのだろう。そんなミケルの心情を歌で表現する。  歌に踊りに演技に、ミュージカルの見どころはたくさんある。遥はどれも好きだったし、どれもほかの役者より抜きん出ている自信があった。  そしてどんなに辛い展開になっても、例えそれが偽物の人間だとしても、心を傾け、一緒に悩むミケルの強さに遥は惹かれた。  自分に持っていないものだからこそ惹かれる。だからこそ演じるのも楽しい。そして遥は、どう見せたらリアルに見えるのか、という技術も高いのだ。  それは同じ志を持つ役者たちにも、すぐに伝わる。ただ単に芸歴が長いだけじゃないんだな、という雰囲気はどの現場でもあるのだが……。 「遥、お疲れ様」  休憩に入るなり、いつの間にか来ていたらしい谷本に腕を絡め取られる。すると、一気に自分に向けられた視線が、残念感を帯びるのだ。  俳優としては優秀だけど、私生活はだらしがないんだな、と。  十代の頃は、それでも遥の綺麗な見た目に惹かれて、取り巻きもそれなりにいた。けれどそれを一人ひとり、離していったのは谷本だ。 「……何の用?」  人通りのない廊下で、遥は谷本を睨む。ヒールを履いているせいで目線が同じな彼女は、遥から腕を外すと腕を組んだ。 「途中から見てたけど、あなたに相応しくない役柄ね」 「……」  始まった、と遥は黙る。この舞台、主要人物はオーディションではなくオファーだったので、制作に関わっているスタッフが、主役を遥でイメージしてくれたということだ。 (主役じゃないと怒るくせに、主役でも褒めやしない)  それは遥を使ってくれた先方に失礼だろう。結局谷本は遥の仕事ぶりを認めることはないし、安全な場所で、華やかな芸能界を見ていたいだけなのだ。 「……こんな所にいたのか」  ふと横から声がして見ると、永井がいる。そういえば今日見学に来ると言っていたなと思っていると、永井が怪訝な顔をした。  遥は素のままでいたことに気付き、慌てて笑顔を見せる。谷本さんに、こうすると演技が良くなるってアドバイスをもらってたんです、と明るく言った。 「……そうか。ところで遥……」 「──遥?」  永井の言葉に谷本が素早く眉根を寄せる。遥は慌てて谷本と永井の間に移動し、永井を背中に隠した。と言っても、永井は背が高いので思いきり見えているけれど。 「ほら、永井さんとは仲良くなったって話したでしょ? 名前で呼んでくれるようになったんだ」  そういえば、谷本と遥の関係を永井に告白した時、恋人なのだから名前で呼び合おうと言われたのだ。てっきり二人の時だけかと思っていたけれど、永井は谷本の前でも、恋人をするつもりらしい。 「まあいいわ。仕事なら最後までしっかりやりなさい」 「はーい」  永井の登場で、興味が失せたらしい谷本はその場を離れていく。遥はよそ行きの顔で返事をして、彼女が見えなくなるまで見送った。 「永井さん」  遥は強い視線で彼を見上げる。 「あまり親しい雰囲気を出すのは止めてください」 「……なぜ? 私と遥は契約とはいえ恋人だろう?」 「僕に恋人がいるなんて知られたら、マスコミも寄ってきて仕事に支障が出るからですよ」  すると永井は、分からない、とため息をついた。 「きみは私と契約し、母親から離れると決めたのだろう? 谷本さんに諦めてもらわないでどうする?」  永井の言葉に、遥は耐えきれなくなって睨む。谷本を怒らせたら何をされるか分からないから、彼女に機嫌よくいて欲しいだけなのに。 「それも。外では一切僕と谷本の関係を口にしないで頂きたい」  あえて敬語で強く言うと、永井はやはり表情を変えずにため息をついただけだった。その理由は、遥も理解している。  谷本から離れたいと言って永井の手を取ったのに、いざ本人を目の前にするとその決断が揺らいでしまう。遥にとって、谷本が最優先になってしまうのだ。長年の精神的支配がそうさせているのは、頭では分かっているはずなのに、上手くいかない。 「……稽古が終わったら、食事にでも行こう」 「……」  谷本の機嫌がよければ行きます。遥はそう喉まで出かかった言葉を、懸命に飲み込んだ。

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