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第30話 後日談 僕のこと好き過ぎでしょ

 永井は目の前で土下座をする男を、冷ややかな目で見ていた。  本音を言うと、永井はこの男が嫌いだ。人を試し、にこやかに笑ってそこそこエグいこともするこの男を、永井は一生許せないと思う。 「……で? 私にどうしろと?」 「個人でもいい、事務所を建ててそこに避難させてください」  永井はため息をついた。仕事の合間に、この男と会う機会が格段に増えているこの頃。今日はフランス料理店の個室で会っているけれど、その華やかで品のある雰囲気とは不釣り合いな状況だ。  男の経営する芸能事務所に所属する、小井出遥に少しでも力になればと申し出た出資だった。永井は彼──木村雅樹からとんでもないお願いをされてしまったのだ。 「……自分の罪から目を逸らし、その罪を見えないところにやろうというのか」  自分でも思ってみないほど低い声が出た、と永井は思う。 「おっしゃる通りです。ですが、それも双方のため。あの子は私に父親のような憧憬を抱いており、家族以上の愛を求めています」 「それで自分の仕事がやりにくいから、退所させるのか?」  雅樹は頭を床に付けながら、返す言葉もありません、と言う。  永井ははらわたが煮えくり返りそうだった。お前が小井出遥を「あの子」と呼ぶなと。全身が熱くなるようなほどの激しい嫉妬と、雅樹の勝手さに怒りが湧く。そのせいで遥がどれだけ苦しめられてきたのか。そう思うと、自分の恋心までも利用する目の前の男を、蹴りつけたくなった。 「永井さんなら信用できる。きっと遥を大事にしてくれると……」 「当たり前だろう!!」  雅樹がそうまでして遥を手放す理由は先程聞いた。十数年虐待を疑っておきながら、母親の谷本に上手く躱され続けているなんて、雅樹がわざわざそんなことをする訳がない、と永井は唇を噛む。  要は、半分見て見ぬふりをし続けていたってことだ。永井は拳を握った。  雅樹の土下座会食が終わると、永井は早速遥を誘って食事をと提案する。 「母親の方は木村さんに任せます」 「ええ。ですがくれぐれも、本人たちに気付かれないように……」 「あなたにそんなこと言われたくありません」  永井は雅樹の言葉を遮って睨んだ。怯んだ様子もない雅樹に、本当に外道だ、と思う。 ◇◇  そして紆余曲折あり、無事に遥の退所が決まった。  遥も少しずつ永井に心を開くようになってきた頃、遥の誕生日パーティーを雅樹の家で開くことになる。  そこで永井は、雅樹の恋人、黒兎とも会話をする機会があったのだ。  坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。永井は黒兎に冷たく接したが、彼は眉を下げて笑うだけ。だからつい、思ってもみないほどキツイ言葉を放ってしまう。 「どこがいいんだ? あの、心臓まで氷でできているような男の」  すると黒兎はまた苦笑いした。 「小井出さん、かなり好かれてますね」 「質問の答えになっていない」 「愛情と憎しみは表裏一体です。社長……雅樹も、家族の愛を知りませんから。小井出さんとは似たもの同士なんですよ」  穏やかに言う黒兎は、聖母のように微笑んでいる。すると、永井たちの様子を見ていたらしい雅樹と遥がやってきた。結局黒兎の答えを聞きそびれた、と永井は無表情を繕う。 「ずいぶんと楽しそうじゃないか」 「もー和博さん、主役を放って何してるの?」  そう言って、それぞれの恋人をさり気なく自分に引き寄せる二人。永井はそんなところもかわいいんだから、と遥の頭を撫でた。 「ちょっと! 子供扱いしないでよ!」  案の定騒いだ『小井出遥』は無邪気を演じている。対して雅樹はさり気なく永井から離れようと、料理を取りに行こう、と黒兎に促していた。 (似たもの同士……本当にそうなのか?)  家族に恵まれなかったというのは、恋人の黒兎が言うのだから本当のことなのだろう。だがそんなことを言われても自分には関係ない、そう思いかけて永井はハッとした。  遥はずっと、母親との関係を隠すために『小井出遥』を演じていた。遥が雅樹と似ているというのなら、彼の今の姿は仮面を被っているのでは、と。  家族の愛を知らず、(うち)に秘めた愛憎を抱えた二人。似ているからこそ、遥は雅樹を好きになった。  では、雅樹が遥に並々ならぬ情を傾けていたというのは本当だろう。そして、黒兎という恋人ができて、その愛憎を和らげる存在ができた。  木村さんが自覚しているかは分からないけれど、と永井は思う。  家族への憧憬と愛憎が分かるからこそ、依存し、離れたくなかったのかもしれない。けれど成長し、先に進むにはこの関係はあまりにも脆い。  永井は思う。雅樹は遥と、ちゃんと対等に付き合う覚悟をしたのではないか、と。だから永井に土下座をしてまで、遥を託したのではないのかと。  永井はため息をついた。どれも憶測に過ぎない。考えても分からないし、雅樹は話さないだろう。 「和博さん? 疲れちゃった?」  少し遠慮がちに遥は聞いてくる。この遠慮が出ている時は、遥が素になっている時だ。その証拠に、永井が彼の頭を撫でると、大人しく撫でられ、上目遣いで永井を見上げる。 「いや。……木村さんとヨウが似たもの同士だと、綾原さんに聞いたから、どこが似ているのだろうと考察を……」  すると、言葉の途中で遥は噴き出した。 「あはは、本当にね。あんなのと一緒にしないで欲しいよ」  そう言ったのは『小井出遥』としてだ。だんだんこの、『ヨウ』と『小井出遥』の棲み分けが分かってきた永井は、遥が本音を言っていないのだと気付く。 「そうだな。ヨウの方が性格がいい」 「でしょ? 僕、あいつ嫌いだし」 「ああ、私も嫌いだ」  遥は嘘で、永井は本音だ。  いくら相手に同情して、そばに置きたかったからといって、雅樹が遥にしたことは許されることじゃない。  だからこそ、今後は遥を苦しめることがないよう、しっかり彼を守らなければと永井は思う。  そしてそんな決意すらも、雅樹の思惑通りだと思うと本当に腹が立つ。  ふう、と息を吐き出すと、遥が不安そうに永井を見上げていた。その顔がかわいくて、永井は思わず顔が綻ぶ。 「ヨウ……キスしていいか?」 「う、……ここでは、だめ」 「『小井出遥』としても?」 「ダメに決まってんじゃん! 何度も言わせないでよね!」  永井は笑った。よくもまあ、これだけスイッチを素早く替えられるものだ、と。 「当たり前でしょ、何年役者やってると思ってんの?」 「すまない。ヨウがかわいくて」 「……もう」  そう言って、遥は永井の胸ぐらを掴む。グッと引き寄せられ、永井の唇は遥に奪われた。 「……特別だからね!」 「……」  突然のことに呆然としてしまった永井は、唇を手で押さえる。今の感触を思い出してしまい、永井は感動してしまった。 「『小井出遥』としてキスをしてくれるなんて、ヨウはなんて優しいんだ!」  ファンサービスにも程があるだろう、と抱きつこうとすると、スっと避けられる。 「今度、遥としてヨウとイチャイチャしてみたい!」 「分かったから近寄んないでよ!」  そんなやり取りをしていたら、視線を感じて永井はそちらを見た。無表情でじっとこちらを見ていたのは、遥の新しいマネージャーになった、菅野だ。  彼が口を開く。 「お二人とも、お幸せに」 「……ああ!」 「当たり前でしょ! 僕を幸せにしてくれなきゃ、すぐ別れてやるんだから!」  そう言って、永井は遥に抱きつかれた。  そして、雅樹のお手伝いさんだという女性の手作りケーキが運ばれてきて、全員で分け合う。  遥は終始笑顔で、谷本といた時とは大違いだと永井は思った。この笑顔を曇らせないようにしたい、と強く誓う。  そして、雅樹の元にいた時よりも、売り出してみせる、と。  すべては、大切なひとのために。 [完] (あとがき と おまけ もあります!)

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