20 / 242

第20話

「俺…、そろそろ行くから…。」 先輩は俺から距離をとり、身なりを整えて立ち上がる。 「先輩、どこで寝泊まりしてるんですか…?」 「どこでもいいだろ。」 先輩は吐き捨てるようにそう言った。 いいわけない。 もしも、危ない通りのホテルだったら? 先輩みたいに隙があって可愛い人、声かけられないわけない。 もしも、ネットカフェだったら? あんなセキュリティがザルなところ、先輩を寝かせられるわけない。 もしも、誰かの家だったら? 考えたくもない。百歩譲って柳津さん家。それ以外は許さない。 「よくない。危ないところじゃないですか?どうしても家に帰るのが嫌って言うなら、俺がホテル、取っておきますから。」 「いい。今日からしばらく実家に戻るから…。」 「そ…うですか…。」 先輩は俺の申し出を断り、背を向けた。 まだすぐそこにいるのに、その背中はやけに遠く見える。 ……戻ってくる…よね? もし帰って来なかったらどうしよう。 そのまま向こうで暮らすって言われたら…? 俺は咄嗟に先輩の腕を掴んで引き止めた。 「鍵……、先輩が持ってて…?」 「…………」 「いつでも帰ってきてください…。俺、待ってますから。」 先輩は無言で鍵を受け取り、また駅の方へと足を進めた。 「先輩…っ」 大きな声で先輩を呼ぶと、先輩は振り返った。 立ち止まってくれたことが嬉しくて、俺は大きく手を振る。 「気をつけて行ってきてください!」 ずっと待ってる。 先輩が帰ってくるまで、信じて待ってる。 いつか俺たちの家に帰ってきてくれるって、信じてる。 先輩が何もなかったように、「ただいま」って、そう言ってドアを開けてくれたら、俺は「おかえり」って貴方を抱きしめるから。 夜ご飯も、お風呂も、先輩が欲しいもの何でも与えられるように準備して待ってるから。 俺は先輩がいればそれでいいから。 だから、お願いだから早く帰ってきて…。 二人の思い出がいっぱい詰まったあの部屋で、一人ぼっちで過ごすのは、淋しくて恋しくて堪らない。 駅に入って先輩の姿が見えなくなった。 渋々会社に戻り、適当に昼食を済ませて仕事に取り掛かった。 連絡…、先輩からはきっと来ない…よな…。 スマホを開いて、先輩とのトーク画面をタップする。 「え……」 ずっと未読だったメッセージが既読になった。 俺は一気に気持ちが浮上して、思わずいろいろ送りそうになって、その指を止める。 ダメ。焦っちゃダメだ…。 ゆっくり、少しずつ、一から関係を築くつもりで…。 『代わりに取引先行ってくださり、ありがとうございました。』 本当にただの業務連絡。 休んでいた時に代打で先輩が行ってくれた仕事に対するお礼。 既読はつくが返事は来なくて、諦めてスマホをポケットに入れた時、ポコンッと音が鳴った。 『どういたしまして。』 「〜〜っ!!」 たったそれだけ。 その一言だけなのに、俺は嬉しくて嬉しくて、机に突っ伏してしばらく感動に浸っていた。

ともだちにシェアしよう!