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第3話

……、、ん。 「ああ…、起きましたか。気分は?」 「あ、あの、私…。」 「ああ、まだ起き上がってはいけません。余程お疲れだったのでしょう。眠ってしまわれて…。私は長旅で疲れただろうと、看病役を仰せつかりました。」 「す、すいません。お恥ずかしい…。聖堂から遠いのに重たかったでしょう。」 「いえ、筋力だけは自信がありますから。それに部屋も隣りですからちょうど良かった。…にしても、貴方は皆から愛されておりますね。オーランドさんも子供達も、おかげで教会の資料もこんなに沢山。ああ、寝たふりをして。」 「…?」 ダダダと音が聞こえる。 カチャ…、と音がして、ミハエルは目を閉じた。 「ミハエル様は?」 ヒソヒソとした声は、エミルだ。 「まだ、寝ているよ。次はどんな資料?」 優しい低い声が、心地よく響く。 「これ、去年の畑の日誌。あと、献立が書いてあるの。僕、エミル。ミハエル様からお名前を頂いたんだって。」 「エミル、素敵な名前だ。ありがとう。でも、ミハエル様は廊下を走ったりはしないよ?」 「うん、でも、早くミハエル様に会いたかったから。また来るね。」 「うん。静かにね。」 はいと言う返事が聞こえて、静かにドアが閉められた。 数秒は静かだったが、部屋を過ぎたあたりでダダダと音がした。 エミルが去ったドアを追うランゲの優しげな眼差しが更に細められるのを、ミハエルは少し恥ずかしいような気持ちで眺めた。 「ふふ、廊下は走ってはいけないって言ってるのに。階段も一段飛ばしだ。」 「まあ、男の子はあのくらいがいい。」 「ええ、私もそう思います。」 「もう少し寝て下さい。まだ顔色が悪い。」 大きな暖かい手のひらが、ミハエルの目を覆う。 「……。」 暖かい…。 「まだ、熱がある。しばらくは私がなんでもやりますから、ゆっくり体を治して。」 「そういう、…訳には。」 「心配なら、ここで仕事をします。決まりだ。」 「あ、そんな…、。」 「私は、この為に神から遣わされたのです。」 でも、…体を動かさなければ…、、 そんなミハエルの心配をよそに、それから仕事が次々と運び込まれる。 それをランゲがこうでいいか、こちらの方がいいか、と提案し、ミハエルが決定する。 夕食もベッドで食べた。 ランゲも一緒だ。 そして、夜。 「ミハエル師、私はそろそろ戻ります。貴方は明日もまだ寝ていなければいけません。決して無理はしないように。」 「お、おやすみなさい、今日は、すいませんでした。でも、明日には…、 「ダメです。貴方の体は貴方のものだけではない。大事にして下さい。分かりましたか?まずはよく眠って下さい。おやすみ。」 「お、おやすみなさい…。」 だが、体を動かさないからか、昼間に寝てしまったからか、夜の眠りは中々訪れてはくれなかった。 暗闇を見ると恐ろしくなり、布団を被りギュッと目を閉じる。 今日の昼間の動揺が追い打ちを掛けたのか、あの恐怖が蘇って来て、震えが止まらなかった。 どれほどそうしていただろうか。 「ミハエル師…?」 低い優しい声で囁かれ、毛布を撫でられる。 毛布が静かに捲られれば、涙さえ流して震えていたミハエルが、ランプの柔らかな灯りと、夜の優しい空気の元に露わになった。 「ぅ…、、。」 「……ミハエル師。」 「ラ、ランゲさん…。」 ベッドのスプリングを軋ませて、ランゲがすぐ側に腰掛けた。 熱を計る手が、頭を撫で、涙も拭ってくれる。 「わ、私は暗闇が怖いのです。子供のようでお恥ずかしい。」 じっとりと汗をかいた額に手を置かれて、酷く安堵を感じた。 「さんはいりません。俺も1人だとうまく寝付けないんです。」 「なら、私も呼び捨てで。…暖かくて、気持ちいい。」 「ミハエル…、側にいます、少し寝て。…おやすみ。」 その言葉に従うように、ミハエルの体はスッと眠りに落ちた。 起きると日は高かった。 「お、おはようございます。あの、ずっとここに?」 「ええ、よく眠れた?ミハエル、顔をよく見せて、うん、まだダメだね。朝食を貰ってくる。明日のミサまでに完全に治す必要がある。」 「あ…、あの、もう、大丈夫…。」 だが、結局その日も、ミハエルは仕事をするランゲを見上げて過ごした。 それから、ミハエルの仕事は半分になった。 「いずれ俺は司祭になる。その時に分かりませんでは恥ずかしい。」 そう言って、ランゲがなんでもかんでもやってしまうのだ。 聖堂はピカピカ。 街を掃除して歩くとランゲとばったり会って、こちらは終わりましたと言われて帰る事も多い。 ミサに来る人も増えたし、最近、特に若い女性が入信する事が多くなったように思う。 ランゲはとてもハンサムなのだ。 朝は2人共早起きだ。 夏も終わり、ミハエルが庭の草を毟っていると、一休みしましょうと、畑を何かしていたランゲがお茶をくれるようになった。 「俺は家にいた時は、小さい頃から犬と一緒に寝てたから、一人だと上手く眠れなくて…。」 「私は怖い夢を見てから暗闇が怖いんです。」 ベンチに座って、たわいもない話をする。 「余程怖い夢だったのでしょうね。他の人には言ってない?」 「ええ、こんな事、恥ずかしくて言えません。」 「なら、2人だけの秘密だ。」 「ふふ、絶対に秘密です。」 「眠れない時は俺の部屋に来るといい。俺もだいたい眠れてない。」 「ふふ、昔、聖歌隊の頃、仲のいい子と一緒に布団を被ってコソコソ話を。いつのまにか眠っていた。」 「今夜からは俺がコソコソ話の相手だ。」 「ふふ、ありがとう、でも2人で被れる布団なんてありません。」 「オーランドさんが、俺の布団を作ってくれました。貴方は大きいから、足がはみ出してしまうって。そしたらとても大きな布団になったようです。」 横幅はこんなに、とランゲが体で示す。 「まさか、プハッ!そんな布団が、フフフ!」 ランゲは、拳を口元に当て控えめに笑うミハエルを眩しいもののように見ている。 「今夜、試しにやってみよう。」 ウィンクをひとつ寄越して、ランゲが立ち上がった。 「フフ、夜が楽しみになる日が来るなんて。」 日に焼けた浅黒い肌、黒い髪、黒い目、優しい低い声、悪戯な口元。 …悪魔と間違えるなんて…。 「ミハエル、インゲンの網を片付けるのを手伝ってくれる?」 「ええ、もちろんです。」 畑は大きくなって、作物も増えた。 今年は冬の為に貯蔵する野菜を、沢山作れた。 「ミハエル、ここを押さえてて。」 「こう、ですか?」 大工仕事も、ランゲは得意らしい。 耳をかすめて腕が伸び、トントントンと金槌の音が心地良く響く。 雨漏りも隙間風もすぐに無くなり、傷んだ壁を交換して、ペンキも塗った。 「ミハエル、甘い物は好き?こないだお婆さんの荷物を持ったらチョコレートを貰った。こんな寒い日の早起きにはご褒美があってもいい。毎日、ひとかけら、今日の早起きは2人だから半分ずつだよ。君は手が汚い。はい、口を開けて。」 「…あ、あー、ん!美味しい。ふふ、また秘密が増えた。」 朝はお茶とほんの少しのお菓子も。 そして、秘密はもう一つ。 「ミハエル、俺の話を聞く時は目を閉じる約束だ。さあ、これで開けられない。」 「…暖かくて、気持ちいい。おやすみなさい、ランゲ。」 夜も、秘密が増えてしまった。 最近、ランゲが耳元で何かを話すのを聞きながら眠るようになった。 眠れないと言って、一日おきにランゲがミハエルを迎えに来るからだ。 朝になると、ランゲはミハエルを抱き締めるようにして眠っている。 「ほら、犬を抱いて寝てたから。大型犬だったし、色もちょうどこんな色で。よく眠れるんだ、ダメかな。」 目が覚めても、ミハエルは動かないようにじっとしている。 後頭部にかかる暖かい息を感じ、腹に回された腕を感じ、背中にピッタリとくっつく胸板と、そこから聞こえる鼓動、そして、絡められた足を感じる。 ん、と大きく息をつくのは、目が覚めた証拠だ。 モゾモゾと体を動かしきつく抱き直されると、朝の現象が足の間に感じられて、ミハエルの心臓を高鳴らせる。 ミハエルまでつられて熱くなってしまうが、動かなければ分からない。 ランゲはいつも、ミハエルの目の前で手をキツく握って腰を動かすのを堪え、そして、それが落ち着くと、またひとつ大きく息を吐く。 そうして苦めのチョコレートのような声で囁く。 「ミハエル、起きて。起きれるものならね。」 「ミハエル、あんまり起きないとこうだよ。」 「ミハエル、今日はこのまま寝てるかい?」 キツく抱き締められて解けない腕や足を朝から精一杯解く朝や、擽られてヒーヒーと涙が滲むような朝、甘い誘惑に揺れ動く心をいけないと叱咤する朝が来る。 「はあ…。」 今夜はランゲは来ない。 昨日はグッスリ眠れたし、明日もグッスリ眠れるだろう。 「…、、ぁ…。」 ここ数日、ランゲがいない夜に決まって起きる現象。 ランゲ…。 勃ち上がってしまったペニスに触れないように、シーツをギュッと握るが、日に日にそれは酷くなってゆく。 これ以上酷くなる前に吐き出すか、それとも、このまま身を焦がすか。 いつも悩むが、このまま身を焦がす事さえ甘美に感じる始末。 ランゲ…、貴方も、同じようにその身を焦がしているのだろうか…。 いや、貴方はそんな事はしない。 罰を受けるのは、私だけでいいのだ。 寒い…。 外は雪が降っているだろうか。 目を閉じて、あの手のひらの暖かさを、今ここにあるように思い出す。 ランゲ…。 …ランゲ…、、ランゲ………、

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