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第23話

1年も経った頃、港ではひとつの問題が起きていた。 「海が流れない?」 「ああ、ここ1年くらえ前から弱いとは思ってたんだがな、ふた月前からピッタリと流れねえ。汚れもどこにもいかねえから腐って来やがった。」 海流が止まったのだ。 淀んだ水は腐れ始め、魚は少なくなってしまった。 人々は困り果てたが、自然の力の前に人の力など微々たるものだ。 彼らは祈る事しかできなかった。 皆で教会に来て、熱心に祈りを捧げる。 …何故。 『ここの海が穏やかなのは、お前がいるからだ。』 あの時確かに言っていた。 分かる気がした。 絶望だ。 貴方にもう会えないという絶望。 貴方が他の人を愛するという絶望。 貴方に愛されていないという絶望。 これは、私が引き起こした事だ。 神よ…、どうか、皆をお助け下さい。 結局、ミハエルも祈る事しか出来なかった。 『神はお前を助けない。俺だけがお前を助ける。』 胸にチョコレートのような声が響いた。 そんなある日、信者のひとりから、不思議な話を聞いた。 海の近くの岩場で、海に手を開いて立っている男がいたという話だ。 「あそこの岩場は鼠返しで登れねえんだ。船もねえし、どうやって登ったんだかな。」 「ありゃ人じゃねえと、俺は思うね。」 「海が流れねえのも、そいつのせいかもしれねえと思ってね。神父様、祓って欲しいんだ。」 「そんな…、と、とにかく、行ってみましょう。」 ミハエルの見た海は、想像よりも酷かった。 強い風に乗って嫌な匂いがする。 「その岩場へ連れて行って下さい。」 「いや、この風じゃあ飛ばされちまう、少しおさまらねえと。まあ少しこれで海が流れりゃいいんだが…。」 「風が吹くと、海が流れるのですか?」 「ん?ああ、ほら、風で海の表面が流れるんだ。まあ深くまでは無理だとしてもこの風はありがてえよ。いい風だ。」 やはり…、 ミハエルは風上に顔を向けた。 「…、、……。」 風に乗って声が聞こえる気がした。 その先に誰がいるのかもわかる気がする。 「こ、小舟を貸して下さい。風がおさまったら、舟を出してみます。」 「ああ、これ使ってくれ。子供用だけどな、よっぽど下手じゃねえとひっくり返らねえよ。オールも取れねえし。」 「ありがとうございます。」 「一緒に行こうかい?」 「いえ、危険があるかもしれません。家に入っていてください。」 「ああ、あんたも気を付けてくれ。」 風がおさまるのも待たず、ミハエルは舟を漕ぎ出した。 向かい風は段々と強くなる。 それでもミハエルは舟を漕いだ。 やがて、その岩辺りに辿り着いた。 確かに、ポツンと人がいるように見える。 思わず立ち上がった。 ヒュオ!! 「あっ!!」 ドブン!!! ミハエルは必死に何かに捕まろうとした。 だが、舟は風ですぐに流されてしまった。 まだ雪解けの冷たい水が体温を奪う。 「ガボッ、…ゲ、、ゲホっ、ラン…、ガボ…、ガボ…。」 もがいても、もがいても、海の水が体に巻き付き、ミハエルを水中に引き摺り込む。 た…すけ… ……、、 …ラン…ゲ…。 ……、 …、 意識が薄れたミハエルに走馬灯がよぎった。 自分の記憶だけではなかった。 …海の、記憶。 ……、、ああ…、、 そういう事か……。 私達は、本当に魂の半分を交換したのだ。 私は…、晤永海…。 ランゲ…。 貴方が風を起こし、私はそれを使って海を回していた。 だが、ランゲは去ってしまった…。 私の、馬鹿な嫉妬のせいで…。 この力だけでは、足りないだろうが…、せめて…。 ミハエルは残り少ない力を振り絞り、なんとか海を流し、穢れを祓った。 …これで、海はしばらくなんとかなるだろう。 人の体では、もう上に登る力は残っていなかった。 ……嵐華…、貴方を愛しています…。 ミハエルの体は、海流に飲まれ、深い海に沈んでいった。 ドッブン!!! 何かが空から海に、鋭いキリの様に飛び込んでいった。 ランゲは海が動いた事に気が付いた。 こんな事ができるのは…。 ランゲは探した。 高く飛んで、一艘の小舟を発見したが、人影はない。 風上を探していると靴が浮いていた。 何度も何度も脱がせた靴だった。 ミハエル!!! 空から急降下して海に突っ込んだ。 冷たく、暗く、深い闇に、明るい方向がある。 ランゲはそこを目掛け、力強く羽を羽ばたかせた。      ああ、あああ、、ミハエル…ミハエル……、あああ、ミハエル!! 轟々とした嵐が、波を逆巻かせていた。 海は今までにない程に荒れ、風は屋根を吹き飛ばすような勢いだ。 冷たくなったミハエルの体を抱いて、ランゲは声を上げて泣いていた。 「また、守れなかった…、、俺はお前を、また…。」 ランゲの周りに闇が広がっていく。 それは、自分の魂を売った代わりにランゲに与えられた闇だ。 ランゲとミハエルの姿は闇の中に埋もれるように消えた。

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