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第一話 獣人の隠れ里【前編】

 薄珂は小屋の前に広がる薫衣草の花畑に足を放り出して座っている。その真横では立珂がすよすよと昼寝をしていて、こんもりとした羽が風にそよいでいる。  見ているだけなら美しくて触れたくなるが、これが立珂の自由と体力を奪っている。日が高いうちから眠ってばかりなのもそれが理由だ。少し動くだけで立珂はかなりの体力を消耗する。  しかも気温が高くなれば羽に熱が籠り、羽の接触と衣擦れで汗疹になるのでそれも立珂を苦しめる。  立珂は眠りながら身体を掻こうとしていて、薄珂にできるのは団扇で扇いでやるくらいだ。 「昼食べる前に水浴びしような」 「んにゃっ」 「ん?」  立珂は寝ぼけているのか、身体をびくっと揺らした。そして何かを求めて手を伸ばし、空気を掴むとそれを口へ持っていき咀嚼する動きをした。  もぐもぐと何かを食べているようだ。 「また食事の夢見てるな」  立珂が食べ物を求めてさまよった手は薄珂の手を掴み、指をまさぐるとぱくりと頬張った。 「腸詰……」 「それは俺の指だぞ、立珂」  食べられないからか、立珂は眉をひそめて悲しそうな顔をした。昼に食べような、と頭を撫でてやると、ふいにひゅううという音が響いてきた。  薄珂はそれに気づくと、慌てて周囲をきょろきょろと見渡した。しかし正体を突き止めるまえに、何かが薄珂の腹部に直撃した。 「ぐふっ!」  薄珂は傍に置いてあった取り込で畳んだばかりの洗濯物ごと地面に倒れた。うう、と薄珂は痛みに悶えながらもなんとか身を起こすと、腹の上で何かがキイキイと鳴いている。 「鷹で突っ込むのは止せとあれほど……」  原の上にいたのは子供の鷹だった。けれどぐぐっと力むと少年の姿になり、丸裸のままにっこりと笑った。 「おはよう! 薄珂!」 「慶都。そろそろ俺の腹に穴が開くぞ」  薄珂は大きなため息を付くと、洗濯物から上衣を取り出し慶都に着せた。  すると物音に気付いたのか、立珂ももそりと顔を少しだけ起こしてきた。 「薄珂ぁ……?」 「ごめんごめん。起こしたな」 「起きた!? 起きたなら遊ぼう!」 「ん~……」  立珂は返事とは言えないほど小さく声を漏らすと、そのままもぞもぞと這って薄珂ににじり寄る。すると薄珂の膝に頭を乗せ再び寝てしまった。  動いたことで立珂の羽が雪崩れてきて、薄珂も足にその重みを感じる。  人間は立珂の大きな羽を欲しがった。大きいだの美しいだのと言って捕まえようとし、その結果大怪我を負い逃げることとなったのだ。  見ているだけで美しいと思う気持ちは薄珂にも分かる。だが立珂は羽が重すぎて歩くこ事もできないのだ。一人ではほとんど何もできず、けれどじっとしていても羽で肩が凝り背は痛む。立珂にとっては自由を奪う重しでしかないのだ。 「……起きたら按摩しような」 「羽根の生え際揉んでもらうの好きだよ、俺」 「慶都は鳥獣人だから。有翼人の羽は神経通ってないんだよ」  せめて自由に動かせたならどんなによかっただろうか。  今でも立珂の羽は成長しどんどん大きくなっている。このままでは一体どうなるのか不安でたまらない。  立珂の頭を撫でると、ふと遠くから慶都を呼ぶ声がした。見れば一人の女性がのたのたと走っているがかなり遅い。 「あ、かーちゃん。ほらな。二足歩行は遅いんだよ」 「そういうことじゃないんだよ」  慶都の母はなんとか到着したが、肩を大きく上下に揺らしていて呼吸は荒い。  慶都の母は、おせー、とけらけれ笑う息子の頬をぎゅっと引っ張った。 「慶都! 獣化しちゃ駄目って言ってるでしょ!」 「人間の足遅いからやだ」 「おばか! 人間に見つかったらどうするの!」 「あの、立珂が起きちゃうからできれば静かに……」  鳥獣人は貴重な存在だ。  この世界で飛ぶことができるのは鳥だけだ。人間も有翼人も、鳥以外の獣人も飛行技術は無い。  だから誰もが憧れるのだが、実体としては戦争や抗争での奇襲兵器として利用されることが多い。特に力で獣人に劣る人間にとっては鳥獣人を仲間にできるかどうかが勝敗を左右するため、これから育てていける子供の鳥獣人は見つかれば人間の権力者に売られるのが末路だ。  けれど幼い慶都にその意味は分からないようで、無駄に獣化して飛び回っている。  親子喧嘩は収まるところを知らないが、その時ドスドスと地響きのような足音が響いてきた。ハッと気づいた薄珂は足音のする方を見ると、そこには大量の荷物を括りつけた象と手綱を引く細長い眼鏡の男がいた。  象は座って荷を下ろすとするすると人間の男性へと姿を変えていく。浅黒い肌に幾つもの傷があり痛々しい。  薄珂は見るや否や男に向かって駆けだした。

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