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第一話 獣人の隠れ里【中編】
「金剛! お帰り!」
「ただいま。今回は泣かなかったか?」
「……いつまで引っ張るのそれ。もうひと月も前じゃん」
「俺が出かけるって言ったら行くなと泣き出して」
「だ、だって他に頼れる人いなかったから!」
金剛は豪快に笑いながら薄珂の頭をわしゃわしゃと掻き回した。
これが薄珂と立珂を救った象獣人だ。
入り江で気を失った薄珂は、目が覚めたら見知らぬ部屋にいた。腕の中では立珂がくうくうと寝息を立てているが、手当てがされていて身体も綺麗になっている。
一体何が起きたのか思い出せない薄珂はあたりをきょろきょろと見回すと、ぷんと薬品のにおいがして、しかも様々な薬が置いてあることから医療施設であろうことは想像がついた。
しかしそれはどれも見たことのない器具や、難しい人間の言葉で説明が書かれている。
人間に掴まったのだと確信したが、立ち上がるより早くに扉を開けて巨漢がぬうっと現れた。
「お! 目ぇ覚めたな!」
「人間か! 立珂に近付くな!」
薄珂は小刀を取り出そうとしたが、服は自分の物ではないし帯にも差さっていない。
くそっと吐き捨て、立珂に手を出されないようぎゅっと抱きしめた。
「お前の刀ならここだ。ほら」
男はぽいっと薄珂の小刀を放り投げた。ご丁寧に武器を渡す男の意図は分からなかったが、薄珂は拾って沙耶を抜くと男に刃を向けた。
しかし男はにっかりと笑い椅子に腰かける。
「俺は象獣人だ。刃物なんかじゃ切れないぞ」
「象……!?」
男は裾をまくって足を出すと、証拠とばかりに足を象のそれにした。人間の身体には見合わない分厚い皮膚と、重量も増したのか椅子はぎしぎしと悲鳴を上げている。
象は草食獣種だが、肉食獣の爪も牙も通さない固い皮膚と圧倒的な重量と力、そしてそれを自在に操る人間の姿を持つ象獣人は陸最強とも言われている。これは子供でも知っていることで、象獣人のいる軍隊に負けは無いと言われるほどだ。それこそ対抗するには鳥獣人の奇襲がなければ敵わない。
そんな圧倒的強者を前に薄珂は震えたが、男はわははと豪快に笑った。
「俺は金剛。獣人の隠れ里で自警団の団長をやってる」
「獣人の……隠れ里?」
「ああ。すぐそこだ。他にもいっぱいいるぞ!」
「いっぱい?」
「人間に追われた獣人が身を寄せ合ってるんですよ」
「誰だ!」
金剛の入って来た扉から、さらにもう一人男がやって来た。ひょろっと細長く、眼鏡をかけていて知的な装いだ。象獣人相手に立ち向かえるようには見えない。
「……仲間か、こいつの。獣人か」
「孔雀といいます。人間ですが獣人専門医をやっています」
「人間!?」
薄珂は膝立ちになり立珂を抱きしめ、男二人に小刀を向けた。
自分でも見えるくらいに手は震えている。
「安心しろ。この人は俺たちの味方だ」
「君たちは兄弟ですか? ご両親は?」
「……親は人間に殺された。立珂は俺の弟だ。それがなんだ」
「有翼人の血縁なら人間ですね。どうしましょうか。獣人以外は里に入れませんよね」
「人間の街なら蛍宮が近いが」
「人間は駄目だ! 俺たちを捕まえに来る!」
「……よし! 俺に任せろ!」
そう言うと金剛は走って出て行った。
薄珂は何が何だか分からず、ぽかんと口を開いた。
「加密列茶は好きですか?」
「は!?」
「落ち着きますよ。どうぞ」
「人間の物なんて飲めるか!」
「うーん、困りましたね。でもその子はそのままじゃ弱ってしまいますよ」
「やっぱりお前も立珂を狙ってるんだな!」
「違いますよ。ああ、ほら、そんなにきつく抱いては傷が開きます」
「立珂!」
立珂が腕の中でもぞもぞと動き、背中の巻かれている包帯に血が滲んでいるのが見えた。
「包帯を取り換えましょう。少し放してあげてください」
「い、いやだ。立珂は俺が守るんだ。立珂に触るな」
「何もしませんよ。それに、何かするつもりなら君が寝ている間にやりましたよ」
「それは……」
孔雀はにっこりと微笑んでくれて、こいつは優しそうな男だ、と薄珂は思った。それは思わず甘えてしまいたくなるほどで、じわじわと広がる立珂の血がその気持ちを大きくする。
けれど立珂を預けることなどできるわけはない。
薄珂は震えながらふるふると首を左右に振ってしまう。
「困りましたね」
その時、ばたばたと足音を立てて金剛が戻ってきた。しまった、と薄珂は咄嗟に小刀を扉に向けたが、そこには金剛の他にも人がいた。
それは大人の女性と小さな鷹の子供だった。鷹の子供はばさりと飛び上がり床に着地すると、するすると少年へと姿を変える。そして大きな目で薄珂を見ると、わあ、と嬉しそうに笑った。
「お前が新しい人間か! ここに住むんだってな!」
「え?」
「怪我してるのってそっちの奴? うわあ、痛そう」
「さ、触るな!」
「さわんねーよ。さっさと孔雀先生に手当てしてもらえよ」
「でも、こいつは、こいつは人間だ」
「だから?」
「だ、だから、って、人間だぞ」
「そんなの関係無いや。俺は生まれてからずーっと孔雀先生に診てもらってんだぞ」
「けど……」
「慶都。怪我してるとこ手当してもらいましょ」
「今ぁ?」
母親が慶都を抱っこすると、慶都は膝小僧を擦りむいていた。それを孔雀が薬を塗り手当をして、慶都はありがとー、と笑って孔雀に抱き着いた。
「ね。大丈夫よ。孔雀先生は人間だけど、酷いことはしないわ」
「里は全員、この孔雀先生の世話になってる。もちろん俺もだ」
「……けど……」
「使うのは慶都と同じお薬よ。大丈夫。怖くないわ」
「そうだぞ。大体そんな意地張ってそいつ死んじゃったらどうすんのさ」
「これ! 慶都!」
「だってそうじゃん。お前にーちゃんなんだろ? なら弟のことは大事にしてやんなきゃ駄目なんだぞ」
薄珂は立珂を抱きしめた。手元の包帯は血が滲んでいてひやりとした。
「さっき診た限りですが、見た目ほど酷くはありません。出血が多いだけで命に別状はありません」
「ほ、ほんと?」
「ええ。でも早く治療しないとばい菌が入ってもっと酷くなります。それに汗疹と皮膚炎もあるようですし、ちゃんと治療した方が良いでしょう」
「……立珂、治る?」
「もちろんですよ。汗疹のお薬もあげましょうね」
孔雀と慶都の母は二人で薄珂を撫でてくれた。
こんな風にしてもらったのは初めてで、薄珂の目に涙が浮かんで来る。
「それと、長老様にも話を付けてきた。向かいに空いてる小屋がある。そこを二人で使え」
「え?」
「それはよかった。あそこなら家具も揃ってますね」
「じゃあ傷が治る前にお掃除しておきましょうか。埃が溜まってるでしょうし」
「そうですね。そうしましょう」
「え? あの、俺達は、獣人じゃないから」
「ああ。だから里の中には置いてやれん。だからそこの小屋で我慢してくれ」
「……俺達……」
金剛はわしゃわしゃと薄珂の頭を掻きまわした。そして、ぽんぽんと頭を撫でると満面の笑みを浮かべる。
「よくやったぞ! よくここまで弟を守って来たな!」
「……守れてない……怪我させたんだ……」
「そうだな。だから治してやろう。そうすればお前は弟を守り切ったことになる」
「……俺……」
「よく頑張った。よくやったぞ」
ぶわっと薄珂の目から涙が零れた。わあっと声を上げて泣き、ようやく薄珂は立珂の手当を孔雀に頼んだ。
金剛はずっと薄珂を抱きしめ頭を撫でてくれていた。立珂が目を覚ますまで起きてると言ったけれど、その太い腕と広く温かい胸はとても安心できて、薄珂は知らず知らずのうちに眠っていた。目が覚めたら立珂も「金剛が助けてくれたんだよ」と笑っていた。
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