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第一話 獣人の隠れ里【後編】
(あの時金剛に拾われてなかったら今頃立珂は……)
薄珂も立珂もきっとあのまま死んでいただろう。
だから目を覚ましてからしばらくは金剛がいないと不安でたまらなかった。だが金剛は里でも便りにされていて、人里へ行かなければならない用事は全て任されているという。狩りも金剛が主導のため三日に一度は半日以上姿が無く、十日に一度は丸一日不在になる。
薄珂が泣いたのはこの最初の頃の話だ。もう忘れてくれと言っても金剛はそれを言い、恥ずかしいけれど不思議と嫌な気はしなかった。
こんな平和に暮らせるなんて思ってもいなかった薄珂はからかわれることも幸せに感じていた。すると、ふと金剛が頭を掻きまわす手が止まる。金剛は慶都と慶都の母を見ていた。
「いつも言ってるだろ! 立珂を里に入れてくれたら獣化しない!」
「だからね……」
これも今じゃよくある光景で、慶都は立珂を獣人の隠れ里の中で匿ってやろうと言うのだ。
けれど里は獣人が隠れるための場所であり、誰でも迎え入れて良いわけではなかった。その規則を定めている長老がいるのだが、薄珂と立珂を迎え入れてはくれなかった。
これは獣人を守るためで、同じく人間に傷つけられた薄珂も立珂もそれはよく分かった。だからこうして小屋を与えてくれただけでも感謝している。
しかしまだ子供で純粋な慶都にはその理由が分からないのだ。
「ありがとな。でも長老様が決めた事だよ」
「猫獣人の長老には羽の辛さが分かんないんだ! だから仲間外れにするんだ!」
「俺達は獣人じゃないから仕方ないよ」
「仕方なくない! 守れるのに守らないなんて殺すのと一緒だ!」
びくりと薄珂は思わず震えた。慶都の真っ直ぐな言葉は立珂を守り切れなかった薄珂の胸に突き刺さる。
寝苦しそうにしている立珂を見て、慶都はぐっと唇を噛んだで里に向かって走り出した。
「長老様にこーぎしてくる! 立珂を里に入れてもらう! そんで俺が守るんだ!」
「慶都! 待ちなさい!」
「金剛止めて! 俺達の事はいいから!」
「……すまん!」
慶都の母親と金剛は慶都の後を追った。二人の追跡を逃れるために慶都は獣化し、あっという間に見えなくなった。
薄珂の元には孔雀と、この騒動の中でもすよすよと眠る立珂だけが残った。
「羽のある辛さを知るがゆえですね」
「でも慶都が長老様に睨まれて追い出されたら困るよ」
薄珂が困る理由はもう一つあった。里の近くに住めるだけでも有難いのに、もし下手に騒いで追い出される方が困るのだ。
慶都の気持ちは有難いが、立珂の怪我もようやく治ってきたばかりなのだ。そうでなくとも立珂を連れての逃亡生活と二人きりの生活には限界がある。
里の住人と比較して扱いが悪かったとしても、薄珂にとって象獣人の金剛と医者の孔雀がいるこの場所は奇跡のようなものなのだ。
薄珂は小さくため息を吐いて俯いた。すると、孔雀の足元に積まれているたくさんの袋に気付いた。買い出しで購入したであろうものがはちきれんばかりに入っている。
「大量だね。全部薬?」
「ええ。ようやく象獣人専用の治療薬が手に入りました」
「あの分厚い皮膚に効く薬があるんだ……」
「取り寄せてから三カ月です」
「怪我する象獣人なんてそんないないもんね」
孔雀はもう十年以上もここで生活をしているというが、それでも里の中には住まわせてもらえていない。
これは孔雀自身が望んだというのもあるらしいが、やはり人間を里に置いておくと新たにやってきた獣人が怖がるのだという。行き場を失くした獣人の受け皿になりたいという長老の方針だというが、ならば何の役にも立たない薄珂と立珂は論外だろう。
立珂は相変わらず心地よさそうに眠っていて、口をもぐもぐさせている。また食事の夢を見ているに違いない。
一人のときに襲われたら一巻の終わりである立珂は常に眠りが浅く、こんな風に幸せな夢を見ている姿を薄珂は見たことが無かった。けれどここには金剛がいて、金剛が作り上げた自警団がいる。常に周辺を警戒し、隅々まで目を凝らしているので襲われることなどない。
だがここを追い出されたらそれも手放すこととなり、またいつ立珂が狙われるかも分からない。
薄珂の脳裏に血まみれの立珂が浮かび、ぶるりと恐怖に震えた。けれど立珂はまたも薄珂の指を掴んで咥え、腸詰、と呟いている。
「腸詰もいっぱい買って来ましたよ」
「あはは。うん。食べさせてやろう」
――二度と立珂を傷つけたりしない。
絶対に守るんだ、と固く誓って立珂の頬を撫でた。
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