26 / 39

第十六話 蛍宮

 薄珂は立珂とも話し合い蛍宮移住を決めた。  慶都と離れることを寂しく思っている様子ではあったが、船を出せば往復できる距離だから遊びに来ることを約束した。  それなら里と蛍宮を行き来できる孔雀にも相談してみようとなり、そしてようやく今日孔雀が戻って来たのだ。  天藍も一緒に薄珂と立珂は孔雀を出迎えた。 「先生! おかえりなさい!」 「ただいま。おや、薄珂くんと立珂くんは随分と顔色が良くなりましたね。何かあったんですか?」 「実は慶都の家に置いてもらってるんだ。それで色々余裕ができて」 「慶都と天藍が長老様を説得してくれたんだよ」 「そうでしたか! それはよかった!」  医者である孔雀は立珂の不健康さを誰よりも気にしてくれていた。  薬の提供だけでなく体に良い料理の献立、按摩のやり方も教えてくれて立珂の話し相手にもなってくれる。薄珂と立珂にとって唯一頼れる人間の大人だった。  孔雀はよかったよかったと薄珂と立珂を抱きしめて喜んでくれる。 「実は僕からも良い報告があります。ようやく有翼人の専門医に会えましてね」  孔雀は膝を付き立珂の顔を覗き込むと、にっこりと笑顔を増してぎゅっと立珂の手を握った。 「立珂君の羽、小さくできるそうですよ」 「え!?」 「羽の重さに悩む有翼人は多いそうです。その方もご自身で小さくしたそうなんです」 「小さく、なるの?」 「ええ。その方は上着に隠れるくらい小さかったです。蛍宮に行けば施術してくれるそうです」  立珂は大きな目をさらに大きくした。  孔雀の言っている意味がすぐに理解できなかったようで、きょとんとしたまま孔雀を見つめた。  立珂よりも早くに反応したのは薄珂で、がしっと立珂を抱きしめた。 「立珂! 行こう! 先生! すぐ行こう!」 「はい。でも入国審査でひと月は待たないといけなくて」 「そんなに!? 今すぐ入れないの!?」 「こればっかりは。手続きはしてきたので、それまでは運動をしましょう。立珂君は足を鍛えないと」 「そ、そっか。そうだよね」  立珂は寝物語を聞いて意識を手放そうとしている子供のように頭を揺らし、薄珂は立珂が倒れてしまわないように肩を強く抱きしめた。  けれど抱きしめてやる薄珂の手も小さく震えている。 「ねえ、先生。立珂は車椅子なくても歩けるようになる?」  「ええ」 「……立珂は自由に歩けるようになる?」 「そうですよ」 「っ……」  孔雀は大きく頷いた。  薄珂と立珂はようやく孔雀の話を呑み込み、顔を見合わせ強く抱き合った。 「薄珂! ぼく歩けるようになるんだって!」 「そしたら色んなところにいけるぞ! そうだ! 森の向こうにある湖に行こう!」 「じゃあ僕がお弁当作るよ! 台所だって一人で使えるようになるんだから!」 「……立珂!!」 「薄珂ぁ」  薄珂と立珂はうわあん、と声を上げて泣いた。  体調が悪くなれば弱音を吐くこともあったが、我慢してため込んでいるのも薄珂は分かっていた。我慢しなくていいと言っても、何もできない自分を恥じている立珂は声を上げて泣くことはしてくれなかった。  羽を小さくできること自体はとても嬉しいが、それ以上に立珂が泣き顔を見せてくれるのが何よりも嬉しかった。  しばらく立珂は泣き続けた。泣き止んでも薄珂にくっついていたいようだったので、車椅子から長椅子に並んで座った。立珂は喜びをこらえきれず、薄珂の腕の中でふふふと声に出して笑っていた。立珂は薄珂に頬を寄せ、薄珂はそれに応えて立珂に頬を寄せた。 「そのままでいいので聞いて下さい。二人は蛍宮に移住する気はありませんか?」 「え? あ、それって……」 「先生。実は慶都の親父さんともその話をしたところなんだ」 「ああ、そうでしたか。実は有翼人の方に聞いたんですが、皇太子殿下は有翼人保護に積極的な人だそうです。生活保障もいろいろあるんですよ」 「生活保障ってなに?」 「仕事ができない有翼人に生活費を提供してくれるんです。羽が舞うので飲食店は無理ですし、背に荷物を背負う仕事はできませんよね。なので事情を聴いて保護が必要となったら衣食住を提供してくれます。その代わりに羽根を納品する」 「あ、せんぞくけーやくだ」 「そうです。良く知ってますね、薄珂くん」 「天藍が教えてくれた」  薄珂と立珂は羽根が交渉材料になるという考えがなかった。  しかし聞けば聞くほど、里で配れば配るほど、どれほど需要がある物なのかが分かってくる。その凄さはあんなに羽を疎ましく思っていた立珂本人ですら羽根を大事にし始めるほどだ。 「でも羽根ってそこまで売れるの? 多すぎたら邪魔じゃない?」 「どうなんでしょうね。そこまでは分からないですが」 「蛍宮は海に面してるから貿易も盛んだ。他国にも輸出してるから相当売れるだろう」 「そういえば有翼人のご一家は枕や寝具に縫い上げる仕事をする人が多いそうですよ」 「あ! それなら立珂を一人にせず働ける!」 「それが一番良いですよね。あ、お土産のお洋服です」 「わあい! 有難うございます!」  売買の難しい話は薄珂と立珂にはあまり分からない。  制度だのなんだのと言われてもそれがどれだけ大変なことかは分からないが、立珂の傍で過ごせるのならそれだけで有難いことだ。こうして服を喜ぶなんて今まででは想像もできなかった。  孔雀のくれた服は有翼人用だったが薄珂と立珂お揃いで買ってくれたようで、話途中だが嬉しさのあまり立珂は着替えようと急かした。  二人でじゃれながら着替えると、それは背に羽を出す穴が開いた膝まである長い上着だった。腰あたりから切り込みが入っているので前と後ろに別れ、脚は自由に動く。白い下衣に足を通して帯を巻けば完成だ。 「可愛い! 青も似合うけど黄色もいいな。明るくて華やかで、笑った立珂みたいな色だ」 「薄珂の黒も格好いいよ。物語の主人公みたい」  薄珂は服にこだわりは無いし自分を着飾る趣味もない。そんな余裕がなかったというのもあるが、余裕があっても積極的に取り組むことではない。  けれど立珂は今までできなかった分を取り返すかのように満喫している。  立珂が楽しむならお洒落はとても価値のあることだ。髪型はこうしようか、こういう髪飾りもいいかもしれない、とすっかり遊び始めてしまった。 「蛍宮にはもっと色んな物があります。たくさん買いましょうね」 「でもそんなお金ないし」 「羽根と交換できますよ。蛍宮は物々交換も盛んです」 「有翼人を保護するのも善意だけじゃなくて価値を見出したからだな。価値があれば大事にしてくれるんだ。逆に安心だろ」 「……分かんない。みんなが喜んでくれるならそれでいいよ」  天藍は得意げにしているが、立珂は首を傾げた。   里の獣人たちの喜びようを見て羽根が重宝されるのは分かったが、立珂が嬉しかったのは羽根を通じて親交が深まったことだ。売れる商品を作れたから嬉しかったわけではない。  もっと枕も布団も作ってあげたいなあ、と立珂は口を尖らせた。 「獣人と仲良くなれるなんて思ってなかったもんな」 「先生もだよ。先生は人間だけど仲良くなれた」  有翼人は人間からも獣人からも忌み嫌われる。  それが根付いているからこそ薄珂と立珂は人知れず暮らすことを選んだけれど、獣人の里近くに住まうことを許されたのは同じ敵がいるからだ。  けれどその敵である人間と共存している有翼人もいる。 「有翼人は人と獣の境界にいる存在だ。どちらでもありどちらにも染まらない。それが両者の架け橋になるだろう」 「……難しいこと考えてるんだね、天藍。すごい」 「惚れ直したか?」 「そ、そういう話してないよ」  急に頬を突かれて、薄珂はぷいっと顔を逸らした。  しかし逸らした先にはにやにやする立珂がいて、惚れ直したの~、とからかわれる。薄珂はじたばたとするばかりだ。  けれど立珂がこんな豊かな表情を見せてくれるのは嬉しくもあり、薄珂は照れ隠しのように立珂をぎゅうぎゅうと抱きしめた。  蛍宮への移住は怖くもあるが、大切な人たちと過ごすためにも頑張ろうと薄珂は心の中で強く決意した。 *

ともだちにシェアしよう!