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第十九話 立珂失踪

 その夜、ガタンと大きな物音がして薄珂は目を覚ました。  肉体よりも精神的に疲れているせいか、脳が身体を動かす指示をしてくれない。けれどそんな薄珂の目が一瞬にして冷めた。 「立珂!?」  隣の寝台で眠っているはずの立珂の姿が無い。閉まっていたはずの窓は全開になり、まるで誰かが出入りしたように土が縁に付着している。  これは立珂が自分でできることではない。車椅子で動けるようになりはしたが、窓に飛び上がるなんてできはしない。匍匐前進したとしても、隣で眠っている薄珂に気付かれずそろりそろりとなんて無理なのだ。  思わず立珂の布団を手に取ると、かちゃりと何かが落ちた。  それは立珂がお揃いで作ってくれた羽根飾りだったが、真っ白だった羽根はべっとりと赤い血で染まっていた。 「立珂!!」  薄珂は家を飛び出した。  全力で診療所へ向かい、天藍と孔雀を捕らえているはずの金剛の元へと走った。 「金剛!! 金剛!!」 「どうした。連中はちゃんと縛ってあるぞ」 「立珂がいない! いなくなってるんだ!」 「何だと!?」  金剛は診療所の外に待機していた自警団の獅子獣人に天藍と孔雀を見張るように言い付けると、薄珂と共に慶都の家へと走った。  すると薄珂の叫んだ声を聴いたのか、慶都の父が家の前で自警団の数名と話しをしていた。 「おじさん!」 「薄珂くん! ああ、君は無事ですね」 「立珂がいない! いないんだ!」 「ええ。靴と車椅子は置いたままなので誰かが担いでるんでしょう」 「窓が開いてたんだ! 誰かが連れて行ったんだ!」 「だが天藍と孔雀は俺が見ていた――……まさか他にも仲間がいるのか」 「奴らというのは天藍さんのことですか?」 「医者先生もだ。二人組かと思ってい油断していた。くそっ!」 「金剛団長。それは総計では」 「間違いだったなら後からいくらでも頭を下げよう。だが同情で油断して立珂に何かがあってからでは遅い!」 「そ、それはそうなんですが」  金剛は悔しそうに拳を震わせたが、慶都の父はやはり納得がいかないようで口ごもった。  けれど金剛はそれを聞かず、立珂を何としても助けなくては、と怒りをあらわにしている。 「俺は天藍に居場所を吐かせる。薄珂は立珂を探せ」 「う、うん」 「私も薄珂くんと行きます」 「いや、あんたは慶都と奥さんを守れ。もしかしたら鷹獣人も狙ってるかもしれん」 「ですが」 「ううん、そうして。慶都に何かあったら立珂も悲しむよ」 「大丈夫だ。立珂は俺が必ず連れ戻す」 「ですが……」  慶都の父が心配してくれているのは分かっていたが、それでも薄珂はその手を振りほどいて走り出した。 「ここから蛍宮に行くなら森を抜けるか海を渡るかだ。でも森には金剛の自警団がいる……」  だが自警団も配置されている場所は限られている。それを避ければ抜けることもできるだろう。  けれど天藍はここに来て日が浅いし金剛は里の獣人以外に配置を教えることはしない。もし肉食獣人に出くわしたら兎獣人では勝ち目はないだろう。獣化して一匹で逃げることはできるかもしれないが、うさぎでは立珂を連れて行くことはできない。  となると、今すぐ二人以上で逃げられる逃走経路が必要だ。 「……海だ! あそこは舟がある!」  以前に天藍と二人で釣りをした時に小さいけれど舟があり、この海から蛍宮へ繋がっていることを天藍は知っている。仲間がいるならばそれを聞いたかもしれない。  無事でいてくれと祈りながら走り海へ向かうと、海に面した崖に追い詰められている天藍の姿があった。  天藍は立珂に猿ぐつわをさせて抱きかかえていたが、それを金剛の自警団がぐるりと取り囲んでいる。 「立珂! 立珂ぁ!」 「んー! んんー!」  駆けつけた薄珂を見て、天藍はくそ、と吐き捨てた。  薄珂は飛び掛かろうとしたけれど、自警団に阻まれた。 「薄珂くん、近付かないで。近くに仲間がいる」 「金剛は!? なんで天藍がいるの!!」 「足を刺されました。孔雀先生が団長の皮膚を切れる武器を持っていたんです」 「そんな……天藍、何で……」  薄珂は立珂を奪われた不安と怒りと、裏切られた悲しみでぼろぼろと涙を流した。  肉食獣人で揃えている警備団も立珂を渡せ、と警戒している。これでは崖の縁で海を背にしている天藍に逃げ場はない。言い訳は後で聞くとしてもとにかく立珂を取り返さなくては、と震える手を伸ばした。  けれどその手は届かなかった。天藍は立珂を抱えたまま崖から飛び降りていった。 「わあああああ!! 立珂! 立珂ああああ!!」 「薄珂! 退け!」 「金剛!」 「俺が追う! お前はこいつを見張ってろ!」 「孔雀先生!?」  金剛は縛り上げた孔雀を放り投げると、血の滴る脚で天藍の飛び降りた崖を駆け下りた。  そして警備団の獣人は孔雀が暴れないよう取り押さえ猿ぐつわを噛ませ、薄珂はぺたんと座り込んだ。 「りっか……」  薄珂の顔は涙で濡れそぼっている。尽きること無くぼろぼろと涙が零れ、んーんーと唸る孔雀に視線だけ動かし睨みつけた。 「立珂をどこに連れてった」 「んー! んん!」 「立珂が死んだら殺してやる。あんたも天藍も、仲間がいるなら全員殺してやる!!」 「ん! んー!」  薄珂は孔雀の胸倉を掴んだ。薄珂の涙は孔雀の顔にも滴り落ち、孔雀はひたすら唸り続けている。  怒りと悲しみに震えたが、落ち着け、と手を取ったのは金剛だった。 「金剛! 立珂は!? 立珂は!!」 「逃げられた。しかも鳥獣人がいやがった。急所狙ってくるなんざ、相当な訓練を積んでる」 「そんな……!」 「だが行先が蛍宮なら追い付ける。今すぐ追うぞ」 「でも入国申請が通ってないんでしょ!?」 「……これを見ろ」  金剛は懐から鎖を取り出した。それには親指ほどの大きさをした銀の円盤がぶら下がっている。片面には菖蒲が彫られていた。 「なにこれ」 「天藍が落としていった。これは蛍宮の入国許可証だ。そしてこれは――」  金剛は孔雀の首元の釦を引きちぎった。すると首からしゃらんと落ちてきたのは同じく菖蒲が彫られた円盤の首飾りだった。 「同じ? 同じ許可証?」 「何故あんたが天藍と同じ許可証を持ってる」  孔雀の猿ぐつわを乱暴に剥がし、金剛は余計なことはするなよ、と顎を掴んだ。 「許可証は申請者全員同じ物ですよ! それより早く立珂君を追わないと!」 「何が追うだ! 行先を吐け! 仲間はどれだけいる!」 「知りませんよ! 仲間じゃないです!」 「一時的に協力してるだけということか。そうか、お前は薄珂を捕まえる役目か! そのために一人残ったんだな!」 「違います! そんな目的なら里に入る前に連れ去ってますよ! 治療せず担いで逃げてます!」 「それを信じるに足る証拠がない!」  薄珂は何を考えたらいいか分からなかった。  孔雀の言っていることは正しいように聞こえた。こんな事をする前に誘拐した方が早いだろうと慶都の父も言っていた。  けれど難しいことを考える余裕はなく、ふらりと立ち上がると孔雀に背を向けた。 「立珂を助けに行ってくる……」 「待て薄珂! 一人では無理だ! 俺も行く!」 「薄珂くん待ちなさい! どうやって蛍宮に入るつもりです! 許可も無く突撃したらそれこそ犯罪者として捕まります!」 「天藍が落としたのを使う」 「それは入国許可ではなく、蛍宮の特定区域への入場を許可するものです。それでは検問を通れません」 「え!?」  ぎろりと金剛は孔雀を睨みつけた。けれど孔雀は負けじとキッと睨み返す。 「これでどうです? 団長はご自分の許可証で入国し、薄珂くんは私の助手として入国する。天藍さんと立珂くんを見つけるところまでは一緒に行動し、それ以降はあなたの好きにすればいい」 「そうか。蛍宮がお前らの根城か。やはり有翼人を保護する国だというのは嘘なんだろう」 「仮にそうなら一刻も早く向かうべきでは? こんな問答をしてる場合ではありませんよ」  一進一退の攻防が繰り広げられ一向に話は進まない。  警備団の獣人達も何か言おうとしていたが、金剛の激しい怒りに気おされ言葉を発することができないでいた。  しかし薄珂はまるで無気力のようになっていて、くんっと弱々しく金剛の袖を引いた。 「金剛。俺は蛍宮へ行く。喧嘩するなら後から来て」 「……そうだな。すまん。優先順位を間違えた。すぐに行こう」 「うん……」 「孔雀先生。あんたとは一時休戦だ。だが後は分からんぞ」 「いいでしょう」  ようやく孔雀は開放され、金剛を素通りして薄珂の前に膝をついた。 「大丈夫。立珂くんはきっと無事です」 「うん……」 「薄珂。俺が抱えて走ってやる」 「でも脚怪我してるでしょ」 「それでもお前が走るよりは早いさ。お前は立珂のことだけ考えろ」 「……うん。ありがと」  薄珂は心配そうに見つめてくる孔雀の視線から逃げるように金剛の胸に顔を埋めた。  孔雀は自分で走ると言ったが、足の遅さと逃げられては困るという理由で両手足を縛った状態で警備団の獅子獣人が抱えて走ることとなった。まるで罪人を運ぶような仕打ちだったが、止めてあげて、とは言えなかった。 *

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