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第二十話 蛍宮入り

 蛍宮に到着し、薄珂はぽかんと口を広げて呆然としていた。  入国する門は顔が空と平行になるほどに見上げないといけない高さで、通行証を確認するための待合室だけでも慶都の家の三倍はあった。  しかも天井から眩い光がこれでもかと放っていて、太陽と蝋燭で生活していた薄珂の目はあまりの眩さに驚いた。 「な、なに、これ」 「光を拡散する工夫がされているんです。夜でもずっとこの明るさです」 「うわあ……」  こんな時だが、薄珂は人間との共存を望む獣人の気持ちがようやく分かった。  待合室には旅行者や行商人、役人、武装した兵士など様々な人間がひしめき合っている。常に明るく照らされるうえこんなに人目があるのならこっそり誘拐なんて到底無理だ。  安全と引き換えに楽な生活を手に入れてどうするんだと思っていたが、安全も楽な生活も手に入るなら移住を選ぶのは当然だ。薄珂は初めてそう思った。 「薄珂。俺は外を回ってくる。他に拠点が無いとも限らないからな」 「そんな。一人じゃ危な――いや、金剛なら大丈夫だろうけど」 「もし軍事訓練を積んでる組織だったら分かりませんよ。まずは一緒に入りましょう」 「しかし時間が惜しい。もし奴が外へ逃げていたら終わりだ」 「それは……」 「それに国内は安全だ。医者の細腕じゃ何もできやしない」 「けど……」 「息子同然の立珂を助けるためなら多少の無茶はさせてくれ」  じわりと薄珂の目に涙が浮かんだ。  金剛の言うとおり外も見るべきなのだろう。けれど今金剛がいなくなることはたまらなく不安だった。  けれど立珂を助けるためなら――薄珂はこくりと小さく頷いた。 「分かった。じゃあまた後でね」 「ああ。立珂を連れて里に戻ろう」 「うん」  金剛はぽんっと薄珂の頭を撫でると、そのまま外へと走っていった。  やはり金剛がいないのは不安だった。何しろ孔雀を信用していいか分からないのだ。今この男と二人になって良いのか不安にかられたが、金剛と同じ様に孔雀が頭を撫でてくれる、 「薄珂くん。僕らも行きましょう」 「あ、ああ、うん」  入国審査がひと月というくらいだから証明書があっても相当待たされるかと思ったが、本人証明やら同行手続きといったものは流れるような速度で進んだ。  孔雀が言うには、人間は分担することで効率よく働くのが得意らしい。洗濯を仕事とする人間もいるらしく、全てを一人でやっていた薄珂では考えられないことだった。  何度も来ている孔雀は受付嬢とも顔見知りのようで、薬の仕入れですか、などと楽しげに会話をしていた。  「今日はお一人じゃないんですね」 「ええ。私の助手です。勉強をしたいというので連れて来ました」 「さすが勤勉な孔雀先生にお弟子さんですね。はい、通っていいですよ」 「有難うございます。旦那様に後でご挨拶に行くとお伝えください」  受付嬢は薄珂に微笑んでくれたけれど、見た事も無いきらきらとした服と装飾は羨ましさよりも驚きが勝り思わず孔雀の背に隠れてしまう。  まあ可愛い、とすっかり子ども扱いをされたけれどそれでも隠れたまま待合室を出た。 「……先生は仲良しなんだね。旦那様っていうのは偉い人?」 「いつもお世話になってる方です。顔の広い方なので立珂くんを見てないか聞いてみましょう」 「う、うん!」 「門兵にも聞いてみましょう。入国したならここを通ってるはずですから」 「そっか! そうだよね!」  薄珂は兵士に話しかけようと思ったが、赤と黒の煌めく生地、黄金の装飾が施された艶やかな胸当て。細長いこん棒を携えた猛々しい姿に気おされ再び孔雀の背に隠れてしまった。  くすっとと孔雀は笑いを零し、守るように薄珂の肩を撫でると代わりに兵士に声を掛けた。  「少し前に有翼人の男の子が来ませんでしたか? 白髪の兎獣人が連れてるんですが」 「有翼人連れの白髪? 俺は見て無いな。お前は?」 「見てないな。そんな目立つ組み合わせなら忘れないさ」 「そうですか。有難うございます」  孔雀はぺこりと頭を下げるとそのまま何事もなかったかのように門を抜けた。 「先生。立珂来てないんじゃないの?」 「彼らは交代制です。立珂くんが通った時にいなかっただけかもしれません。でも大通りには常時座してる露天商がいます。彼らは客を呼ぶために人を観察してるので兵よりも期待できますよ」 「そっか、うん、うん!」  きょろきょろする薄珂の手を引いて、孔雀は門を抜けてすぐの大通りで声を張り上げてる店に目を付けた。  服や小物を売っている店で、販売員が男女一人ずつと呼び込みをしてる男が二人。荷運びをしている少年が一人となかなかの大所帯だ。 「あの店に聞きましょう。薄珂くんはなるべく悲しそうに立珂くんのことを訴えて下さい」 「え? なんで?」 「同情を引いた方が真剣に思い出してくれます。買わないのに話すだけは単なる冷やかしですからね」 「……うん。分かった」  薄珂はすたすたと屋台に向かう孔雀の背に隠れて歩いた。  これは人の多さと見たことのない服や道具が怖いせいなのだが、それも普通ではない焦りの演出になったようだった。孔雀が声を掛けた屋台の店員はどうしたどうしたと薄珂を心配し、売り物の飴玉を幾つもくれた。  「有翼人? いやあ、見て無いな」 「うちらずーっとここに屋台置いてるけど、そんな派手な奴は見てないよ」 「獣人なら門出てすぐ右の通り行ったんじゃないのか? あっちは獣人保護区だ」 「ああ、なるほど。そうかもしれませんね。有難うございます」 「すまんね、ろくな話もできなくて。坊主、弟連れてまた来いよ」 「う、うん。有難う」  薄珂はぺこりと頭を下げると、孔雀の腕にしがみ付いて店を離れた。 「獣人保護区じゃ立珂は入れないよ」 「入れないことは無いですよ。ただ手続きは必要なので考えにくいですね。それに一つ気になる場所があるんです。天藍さんの落とした許可証なんですけど」  孔雀は天藍の落とした許可書を街の案内図が書いてある掲示板に重ねた。  許可書には菖蒲の模様が刻まれていて、それと同じ模様が案内図の一角にも描かれていた。 「この模様で入場できる区画が異なるんです。菖蒲で入れるのは中央西区のみ」 「中央西区って何があるの?」 「役所や公共施設です。あとはお偉方の居住区と、皇族の御所もあります」 「偉い人に売るんだ!」 「違うと思います。お金が欲しいなら羽根を作り続ける立珂くん本人は手元に置くでしょう。まして金持ち相手なら通ってぼったくるのが一番楽で儲かる」 「じゃあこの国に住んでるのかな」 「そうです。彼はこの国の住人です」 「やっぱりそ――え?」  ――なぜ断定したんだろう。  どくんと薄珂の心臓が跳ねた。 「薄珂くん。私は君に嘘を吐きました」 「……嘘、って……」  孔雀はいつになく鋭い目をしている。いつも優しく微笑みを絶やさないのに、突き刺さりそうな眼だ。 「私は天藍さんに雇われて君をここに連れて来ました」 「……は?」  

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