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第二十一話 蛍宮皇太子と皇太子親衛隊隊長
「……何? どうしたの、先生」
「私は天藍さんの指示で動いています。そして立珂くんはここにはいません。金剛団長が向かった外の根城にいます」
びくりと薄珂は震えた。
孔雀は真剣な顔をしている。
即座には理解できず、薄珂は頭の中で孔雀の言葉を繰り返した。
天藍の指示だ、と言った。
「お前っ!! 裏切ってたのか!!」
「違います! 聞いて下さい!」
「あんたを信じた俺が馬鹿だった! 金剛に何かあったら絶対に許さないからな!」
「薄珂くん!」
うるさい、と薄珂は孔雀の腕を振り払った。
立珂だけでなく父親のようにも思っていた金剛まで失うのかと思ったらいてもたってもいられず、門へ向かおうと走り出した。
走り出したが、くるりと振り返った瞬間誰かにぶつかって尻餅をついた。
「っ退けよ!」
「急に走っては危ないですよ」
「退け――……え?」
怒り任せに振り回した手はぶつかった相手にやすやすと掴まれた。
振り払おうとしてもびくともしない。けれど包み込んでくれるその手と優しい声の持ち主を薄珂は知っていた。
「よかった。無事ですね、薄珂くん」
「……おじさん?」
そこにいたのは里で家族を守っているはずの慶都の父だった。
「おじさん! おじさん追いかけて来てくれたの!?」
「いいえ、先に来ていたんですよ」
「先? 先って、だって俺たちの方が先に出――」
薄珂ははたと気が付いた。
慶都の父はいつも汚れてくたびれた服を着ている。農作業での収穫が主な食料となる里では綺麗な服は無用の長物だ。だが今身に付けているのは赤と黒の煌めく生地、黄金の装飾が施された艶やかな胸当て、細長いこん棒を携えた猛々しくも美しい服――門で兵士が着ていたものとそっくり同じだった。
目をくりくりと丸くして言葉を失っている薄珂に、慶都の父は今まで一度も見せたことのない優雅な身のこなしで流れるようなお辞儀をした。
「蛍宮皇太子親衛隊隊長、慶真と申します。皇太子殿下から孔雀先生と協力し立珂くんを救出するよう指示を頂いています」
「……はい?」
「黙っていてすみません」
「そ、そういや軍組織にいたって」
「はい。私はこの国で皇太子殿下を守る役目に就いています」
「は? じゃあ、何? 蛍宮が、国が立珂を狙ってるってこと!?」
「違います。そうじゃないです」
「じゃあ何! ここで何してんの!? 何その服!」
「……慶都に叱られたんです」
慶都の父は自分をあざ笑うかのように笑いを零した。
薄珂を除けば誰よりも立珂を愛し守ろうとしてくれていたのは慶都だ。その慶都が立珂が攫われたと知れば大人しくはしていないだろう。
『助ける力があるのに助けないのは殺すのと同じだ! 立珂を助けないなら親子やめてやる!』
「慶都に言われて自分が情けなくなりました。その通りです。あの里で一番動けるのは私だったのに」
「慶都……」
「信じて下さい。立珂くんは私達が助け出します」
私達、と言われて薄珂は首を傾げた。
そういえば孔雀は天藍の指示でここに来たと言った。慶真は皇太子の指示で立珂を助けに来たと言った。
薄珂は二人を見てぱちりと瞬きをした。
「……あんたら何?」
「それは我らが主にご説明願いましょうか」
慶真は真っ直ぐ進んで行くと、その先に見えてきたのは白く輝く荘厳な大扉だった。いかにも偉い人がお待ちかねという雰囲気だ。
そして、慶真が目配せすると扉の横に控えていた兵が二人がかりで大扉を開けた。
中に入るよううながされ、薄珂は恐る恐る足を踏み入れた。床には滑らかで艶やかな白い石が張り巡らされていて、薄珂の使い古した靴ではつるりと滑ってしまう。慌てて孔雀に掴まると、見上げる天井は高くてそれにも目がくらんだ。
白を基調に黄金の装飾が施され、国の象徴として掲げられている赤い宝石は吸い込まれそうなほど美しい。これだけで圧巻だが、しかし広間の壁には兵士や役人が一列に並んでいて、華やかな衣装をまとう女性たちは平伏している。
人間を知らない薄珂でも、おそらくここがこの国の頂点であることは想像がついた。
何をされるのか予想もつかず、恐ろしくて後ずさった。しかし逃げることは許さないとでもいうかのように、ぴい、と美しい笛の音が鳴り響いた。それを皮切りに様々な楽器が音を奏で始める。
「え? なに? なんなの?」
一人で慌てふためく薄珂を見て孔雀と慶真はくすくすと笑っている。
そして、薄珂の向かい側の壁にある大扉が重い音を立てて開かれた。合せて一段と高い笛の音が響くと、他の兵よりも豪華な服を着た老齢の男性が声を張り上げる。
「皇太子殿下ご入場なさいます!」
「えっ!?」
薄珂がぎょっとしていると、孔雀と慶真は床に膝を立て深々と頭を下げた。
いつも一緒に泥を弄っていた二人とは思えない上品な振る舞いに薄珂の脳は付いていかない。何なの、ときょろきょろし続けるとついに大扉から一人の男が姿を現した。
「薄珂くん。頭を下げて下さい。皇太子殿下ですよ」
「皇太子殿下? え? う、嘘だよ。だって……」
薄珂は皇太子だという男の顔を見て震えた。
男はやたらと派手に飾り付けられている王冠を脱いで放り捨てる。まるで皇太子とは思えないやりようだったが、薄珂にはその方がよっぽどなじみ深かった。
「慶真、案内ご苦労」
「はっ」
「孔雀。危険を潜り抜けよく無事に薄珂を連れて来てくれた。礼を言う」
「もったいないお言葉です、皇太子殿下」
皇太子は二人を労うと、ようやく薄珂に目を向けた。
その目は国の象徴である赤い宝石と同じように美しく、うさぎのように真っ赤だった。それは薄珂が生まれて初めて立珂以外で愛しく思った相手と同じ瞳だった。
「蛍宮皇太子、天藍だ。待っていたぞ薄珂」
薄珂は何も理解できず、脚の力が抜けてころりと床に転がった。
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