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第二十五話 伝説の獣人

 薄珂は大きく両腕を羽ばたかせ飛び上がった。  鷹などでは比較にならない大きさの羽は崖に群がっている獣人もすぐに気付いて騒ぎ始めた。獅子や豹といった狩りに長けた恐ろしい肉食獣人が何人もいるが、薄珂はそれしきのことでは恐ろしいとは思わなかった。  空から急降下し羽を強く羽ばたかせるとその風圧だけで獣人たちの足は大地から離れ、ぐるりと旋回するとその勢いで崖下へと落ちて行った。たったそれだけのことで何十人もいた獣人は全て姿を消し、残ったのは同じ鳥獣人の五人だった。 「お前が金剛団長の言ってた奴か!!」 「本当に公佗児なんていやがったのか。てっきり団長のほらかと思ったが」 「……金剛団長か。そうか。あいつはお前らの団長なんだな」  団長。  里の獣人は皆そう呼んでいた。金剛がいるからこの里は大丈夫だと。 「安心したよ。俺たちの団長じゃないって分かって」 「何ごちゃごちゃ言ってやがる」 「こっちは五人だ。いくら伝説でも所詮鳥。鷹獣人を五人相手じゃ敵わないだろうが」 「……へえ」  やるぞ、と鷹獣人達が声を掛け合った。  声を掛け合い瞬きをしたわずかな一瞬で二人の獣人の羽がもがれていた。   「ぎゃあああ!」 「鷹ごときがいい気になるなよ!」 「うわああ!!」  薄珂はほんの少し力を入れて羽ばたいただけだ。人間がよいしょと立ち上がるために手を付いた、その程度にだ。  けれどそのほんの少しの力が生み出すスピードは鷹獣人達の目では追えなかったようで、何だ何だと慌てているうちにもう二人が海叩きつけられた。一体どれほどの強さなのか、崖を飛び越えそうなほどの水しぶきが上がった。  最後の一人は恐ろしくなったようで、ひいいと叫びながら崖の上へと逃げて行った。けれど薄珂はそれを逃がさず、飛べない程度に羽を痛めつけて地に転がした。 「大人しくしてれば殺しはしない。そこでじっとしてろ」  薄珂は洞穴の方へと目を移した。  作戦通りであれば慶真と天藍で立珂を取り返しているはずだ。そして洞穴の方へ飛ぶと、そこには愛しい弟の笑顔があった。 「薄珂! 薄珂!!」 「立珂! 立珂ー!!」 「薄珂くん! 戻りますよ!」 「立珂! 立珂をこっちにくれ!」  慶真一人で連れて飛べるのはせいぜい一人だろう。いくら獣人とはいえ耐荷重というものがある。  体格を考えれば薄珂が重い方を連れて行くべきなのだが、薄珂はそんなことは考えられず立珂へ向かって行った。捕まえて飛べるように爪を縮めた。  もうすぐ立珂に届く。もうそこに立珂がいる。  そう思い頬が緩んだその時、崖上から何かが突っ込んできた。 「お前! さっきの鷹!」 「せめて有翼人だけでも!!」  さっき薄珂が殺さずにおいた鷹獣人だった。  飛べば相当な痛みがあるだろうに、構うものかと血を流しながら慶真に飛び掛かった。するとその拍子に立珂がぽろりと落ち、海に向かって真っ逆さまに落ちて行った。 「立珂!! 立珂!!」  薄珂は全力で羽を羽ばたかせた。だがまだ距離がある。まだ掴みには行けない。  間に合わない。 「立珂ああああ!!」  ばしゃんとしぶきが上がった。  落ちた。水に叩きつけられた音がした。 「立珂ああああああああああああ!!! あ、ああ――……あ?」  水に何かが叩きつけられた音がした。したはずだ。  けれどよく見れば立珂は水に落ちていなかった。羽の一筋も水に浸かっていない。落ちて水面に浮いたのではなく水上にいる。  飛んでいるのだ。  だがそんなはずはない。立珂は有翼人であって鳥獣人ではない。羽に神経は通っていないから羽ばたくことはできないのだ。  けれど確かに立珂の身体で羽が羽ばたいている。だが気になるのは色だ。立珂の羽が羽ばたいているのなら真っ白のはずだが何故か茶色い。  質感もごわごわで手入れがされていないのが一目瞭然で、毎日薄珂が手入れをしている立珂の美しい羽とはあまりにも違う。どうみても毎日使いこんでいる鳥獣人の羽だった。  まさか知らないだけで立珂も鳥獣人だったのかと混乱したが、立珂の両手は体の前にぶらりと垂れ下がっている。鳥獣人なら腕が羽になるから立珂が獣人の可能性は消えた。  しかもよく見れば小さい。懸命に羽ばたかせているが、成人の鳥獣人には及ばないだろう。どうみても子供の羽で、どの側面から見てもそれは立珂の羽根であるとは思えなかった。  だが薄珂は知っていた。茶色い羽を持ち、立珂のためなら大人しく待ってなどいないであろう鳥獣人の子供の存在を。 「薄珂! 早く助けて! 慶都落ちちゃう!」 「……慶都?」  立珂の身体を掴んで羽ばたいているのは里にいるはずの慶都だった。慶都は立珂が水に叩きつけられる寸前で掴んで飛び上がったのだ。  千切れんばかりに羽を羽ばたかせているが次第に硬度が落ちていく。まだ子供の慶都では立珂を掴んで飛び進むことはできない。  突然の登場に薄珂はぽかんと口を開けて呆然としたが、薄珂は急いで立珂と慶都を掴んで海を離れた。  陸地に戻ると真っ先に駆けつけたのは慶都の父、慶真だ。 「慶都! 家で待ってろと言ったでしょう!!」 「嫌だって言った! 助けられるんだから助ける! 俺は立珂を見殺しになんてしない!」 「そういう根性論ではいけない時もあるんです!」 「なんだよ! じゃあ今俺がいなかったら立珂どうなってたんだよ! 海の中だぞ!」 「結果論で物を言うんじゃありません!!」 「あー! 論論論論うるさいなー! 立珂が無事ならなんでもいいんだ!」  ここに慶都が現れるなんて一体誰が予想しただろうか。  慶真の言う通り、危険なことをしたことは理解させないといけないだろう。けれど薄珂の胸は感謝の気持ちでいっぱいだった。 「助けてくれて有難う。びっくりしたよ」 「立珂! ごめんな。俺がもっとしっかりしてれば誘拐なんてさせなかったのに」 「十分だよ。本当に有難う」  立珂と慶都はぎゅうぎゅうと抱きしめ合って再会の喜びを伝えあった。  けれどそんなほんわかした空気をぶち破る者がいた。それは―― 「あーあー。畜生。だから薄珂に絞るべきだったんだ」 「……金剛」  薄珂がこの世で最も頼りにしていた男だった。

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