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第二十六話 金剛
「足を切られてもお構いなしかよ」
「慶都、立珂くんを連れて下がってなさい」
「分かった! 立珂、大丈夫だぞ。俺が守ってやるから」
薄珂は慶都もまだ子供だと思っていたけれど、こんな時でもいつも通りの決め台詞で微笑んでくれる姿が今は頼もしい。
そして、薄珂はついに金剛と対面した。
「……最初から俺を狙ってたの」
「ああ、そうだ。鳥獣人、しかも公佗児なんて初めて見たよ。震えたね」
「立珂は俺を捕まえるための人質だったんだね」
「そうだよ。あいつがいりゃあお前は出てくる。羽根はついでだ」
「……本当にあんたが里のみんなを売ったのか」
「くくっ。あそこは良い場所だ。仲良しこよし身を寄せ合い勝手に売り物を養ってくれる」
「貴様」
里の獣人もいずれ売るつもりだから大切に守っていたのだろう。商品に傷が付いたら売れなくなるのだから。
「薄珂くんと立珂くんをすぐに誘拐しなかったのは健康になるのを待ってたんですか」
「そうそう。特に立珂はな、歩けないんじゃ売れねえよ」
「でも、車椅子作ってくれたよ……」
「お前が動き回らないと羽根が抜けねえからな。売れないなら羽根くらい落としてもらわないと」
「そんな……」
「本当に裏切ってたのか……」
「ああ? 仲間ですなんて言った覚えはねえな」
「……分かった。もういい」
薄珂はとんっと地面を蹴ると羽を広げて爪を伸ばした。これは薄珂の唯一にして最大の、伝説に語られるほどの武器だ。しかし金剛はにやりと笑った。
「馬鹿が。公佗児といっても所詮鳥。鳥の爪じゃあ俺の皮膚は通らない」
「やってみなきゃ分からないさ」
きらりと爪は宝石のような輝きを見せた。薄珂はぐんっと金剛に向かって飛び込んだがその爪は金剛をかすらない。
「そんなでかい羽をして陸で戦おうなんて馬鹿としか言いようがない!」
「風圧に負ける奴に言われたくないな!」
薄珂がばさりと強く羽ばたくと金剛は踏ん張り切れず吹き飛ばされた。
それを追って爪を突き立てようとしたが、金剛の言うとおり爪は象の皮膚を通らなかった。
「くそっ!」
「そうらみろ! 転ばせるしかできない鳥ごとき襲るるに足らず!」
「……陸最強の獣人は象だったな」
「ああそうだ! お前はどっかの軍に売るとしよう!」
金剛は薄珂めがけて拳を振りかぶった。
その拳はまっすぐに薄珂の頭へ向かい叩き割ろうとした。だがその拳は届かなかった。拳を振り上げた金剛がべしゃりと地面に這いつくばったのだ。
「ぎゃあああ! 脚、脚があああ!!!」
金剛の後ろ脚から血しぶきが上がった。
そしてそれをびしゃりと被ったのは孔雀だった。孔雀は刃物を通さないはずの象獣人の皮膚を切り裂き、腱と数か所の筋肉を切ったのだ。
「ふう。本当にすごい切れ味ですね、薄珂くんの小刀」
「先生!」
「いやあ、こそこそ隠れててよかったです」
血を浴びてにこやかに登場した孔雀が握っているの薄珂が渡した小刀だった。
薄珂の爪ですら傷を付けられなかった金剛の皮膚は筋肉までもがすっぱりと切れていた。
「き、さまぁぁ!!」
「立てませんよ。立つための筋肉を切りましたから」
「脆弱な人間ごときがあああ!!」
「医者舐めないで下さい。殴る蹴るだけが戦いじゃありません」
ピー、と笛の音が響いた。ふと見ると慶真が空を旋回していて、それは何かを知らせているようだ。
金剛もそれに気づき慌てて身を起こしたが、脚に激痛が走ったようでふたたびべしゃりと地面に顔を叩きつけてしまう。
「……軍を呼びやがったな」
「象獣人相手と一対一でやる馬鹿いるかよ」
ザザザッと大量の足音がして、薄珂もようやく気が付いた。
周囲は蛍宮の兵がぞろりと集まっていた。
「陸最強の獣人は象だ。だがな、陸の勝者は数で勝る人間だ」
「貴様ぁぁ!」
「象獣人金剛! 獣人違法売買、及び有翼人誘拐の現行犯で逮捕する!」
そうして、立てない金剛はあっさりと軍の兵士に捕縛された。
それでも暴れるので麻酔を打とうとしたようだが、肌を獣化されて針が刺さらなかった。けれど孔雀が小刀を眼球の前でちらつかせ、二度と歩けないようにしますよ、と脅してようやく麻酔を打たれて眠りに落ちた。
「薄珂くん、お返ししますね。小さいけれど良い刀だ」
「そう? じゃああげるよ」
「とんでもない。こんな凄い物頂けませんよ」
「でも小さいから先生みたいに一発で急所刺さないと駄目なんだ。そんなの無理だし。使わないからあげるよ」
「ですが、大事なものなのでは?」
「別に。何となく持ってただけ」
「えー。実のお父さんのなんでしょ?」
「らしいけど、別にいらないし」
「……ではお言葉に甘えて。大事にします」
「いらなくなったら捨て、っ――!」
「薄珂!?」
にこやかに笑い合っていたその時、薄珂の頭に激痛が走った。
あまりの痛みに脳が揺れ立っていられない。急激に体温が上がったような気もして汗が一気に噴き出した。視界もぐるぐると定まらなくなっていて、薄珂は頭を抱えて叫び声をあげた。
けれどその声は人間の叫び声では無かった。キィー、と鳥のような声を上げ、前触れもなく獣化を始めた。
「薄珂! どうした!」
「にげ、ろ、全員、にげて、りっか、連れて、逃げて」
「しっかりして! 薄珂!」
「りっか、にげ、て、はやく、にげてえ、あああああ!!!」
「薄珂! 薄珂!!」
薄珂は立珂と距離を取らなければと思ったけれど、頭が痛くてそれ以上は考えられなかった。
視界に天藍や孔雀がいるのは見えていたけれど声は聴こえない。自分が何をしてるのかも分からず、次第に意識はなくなっていった。
それからどれくらい何をしていたのかは分からない。
しかし、ふと生暖かい物が顔を濡らしているのに気が付いた。それは妙にぬるぬるとしているが、口に入ると体が震えるほど美味しい。
もっと欲しい。そう思って顔を動かしたが、その時薄珂の目に映ったのは立珂だった。立珂が頭を抱きしめて目を閉じている。眠っているのだろうか。
けれど薄珂を濡らす生暖かい物も立珂が抱きしめてくれているところから流れている。これは何だろう。
そしてじわじわと意識がはっきりしてくると、薄珂はようやく状況を理解した。血だ。立珂の胸から血が流れている。美味しいと思ったのは立珂の血だった。
「……立、珂?」
「……あ、戻った、ね……」
薄珂はひゅうっと浅い呼吸をすると、ずるりと薄珂の上から落ちて行った。
「立珂……?」
立珂の胸元は血で真っ赤だ。
薄珂の顔も立珂の血で真っ赤だ。
そして、獣化した時に嘴だったであろう口元も立珂の血で濡れていた。
「あ、ああ、あああああああ!!!!」
薄珂は声の限り叫び声をあげて、そこで全てが途絶えた。
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