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いきなり介護?

「運転手さんに住所言ってください」 「じゅ、住所? どこの?」  おどおどしていると、佐久良の表情がくわっと険しくなった。般若と不動明王を合体させたような顔だ。 「先生の家に決まってるでしょ!? その足、ヤバいっすよ。俺が責任持ってお世話しますから」 「お世話ってそんな大げさな」  左足を庇うように歩きだした僕を支えながら、どうにか佐久良がタクシーをつかまえてくれた。  ひんやりと冷房の入った車内は快適で、うとうとしそうになる。  道路は空いていて、すいすいとタクシーは国道を飛ばしてゆく。  その間、足が苦しくないように靴の紐を緩めたり、僕の鞄を持ってくれたりと、佐久良は驚くほど甲斐甲斐しかった。 「これじゃ僕、介護されてるみたいですよ。ただの捻挫なんだから、そこまで心配しなくても……」 「捻挫を舐めてるアスリートは捻挫に泣くんです。先生はおとなしく介護されてください」  いや僕アスリートじゃなくて教師ですが、と反論すると、両頬をぐわしっと手のひらで包まれた。  タクシーの中でなんという暴挙を、と口をぱくぱくさせて驚いていると、 「顔は無事ですね」  柳に風。人の心配を、佐久良は涼やかな顔で受け流す。  たしかに僕があのまま素直に転んでいたら、たぶん額か鼻柱をビタンと地面に打ちつけていただろうけど……。  男の顔の心配をするなんて、佐久良の感性はちょっとズレてる。 「……君が受け止めてくれましたから」 「安心してください。先生の足が治るまで、俺が責任持ってお世話します!」 「だから、お世話なんて結構ですって」  いじけた気持ちが生まれて、ふいと佐久良から目を逸らした。  なんのためらいもなく、まっすぐな目をして言いたいことを言葉にする。そんな佐久良の正直さが眩しくて、ほんの少しだけ重かった。 (平和な日曜日のはずだったのに……)  落ち込もうにも、さすがに疲れを感じて、背中をシートに預けた。  車窓の風景に目を向ける。街路樹の青さがきらきらと眩しくて、そっと目を伏せた。  客の様子を気にしていたのか、僕と佐久良の会話が途切れたタイミングでタクシーの運転手さんが話しかけてきた。 「そっちのお兄さんは、なんかの先生やってるの?」 「俺の高校の恩師なんです」  妙に誇らしげな様子で、佐久良が身を乗り出す。 「足は捻っちゃったのかい?」 「ブロックに躓きまして……」 「あー、それは痛いよねえ。私の息子もサッカーやってたんだけど、疲労骨折しちゃって」 「うわ、大変じゃないですか」  佐久良が痛そうな顔で首を竦めた。骨折の痛みは捻挫の比じゃないんだろうなと思う。 「捻挫癖がついてたんだよねぇ。本人もすぐ治るからってお医者さんに行かずに悪化させちまって」  だからね、と運転手さんは気を取り直したように続けた。 「大したことないって思っても、整形外科には行っておくんだよ。学生さんを心配させちゃだめだよ、先生」 「そうそう。たかが捻挫じゃないんですよ。わかりましたか、先生?」  佐久良と運転手さん双方から、説得するような視線を感じる。ダブルの圧にたじたじとなりながら「は、はい」と首肯したのだった。  家に着くと、先にシャワーを済ませるべきです、と佐久良が真剣な顔をして訴えた。捻挫は時間が経つほど痛くなるから、できることは今のうちにやっておけというアドバイスだ。  そういうものかと頷き、素直に浴室へ向かう。さっと汗を流し、左足を庇いながら浴室を出る頃には、近所のドラッグストアで購入したらしい湿布やサポーター、スポーツドリンクの類が、部屋の片隅に積み上げられていた。ちょっとした祭壇のようだ。  患部に冷たい湿布をはり、足首を固定するサポーターを巻いて、安静にしているよう指示される。  佐久良の家事能力の高さは話の端々から察していたが、その手際の良さに目を瞠った。お片付けセラピストのように優先度の高いものからこなしていくのだ。  気づけば佐久良は掃除や洗濯を済ませ、ついでに夜と朝の分の惣菜まで作り置きしていた。出来上がったお菜を菜箸でせっせとタッパに詰めている。  あれ、我が家に菜箸なんてあったんだ……と半ば感動しながら、広い背中を見つめていた。 「佐久良くん……君、超人ですか?」 「まさか。ちっさい弟や妹がいると、怪我なんてしょっちゅうなんで、イベントみたいなもんですよ」  キッチンを片付けながら、なんてことないように言ってのけるのがすごい。  この凄まじい家事能力に、かっこいい技名をつけてあげたい。そう言ったら、佐久良は面白そうにからからと笑った。  しかしこれ以上甘えるわけにはいかない。  僕は自分の顔を精一杯、きりりと引き締めた。  少なくとも金銭的なことはしっかり精算せねばと主張し、佐久良からレシートを奪い取ると、買い物分の料金を多めに渡した。 「あの、現金をもらうってのは……なんか、違うんじゃないすかね……?」 「いやいや、僕の気が済まないから! 余ったお金は君の好きなように使っていいから! ね、お小遣いだと思って!」 「うーん……今の俺たちのやりとり、写真に撮られたら、ヤバい現場感あるよね」 「えっ……?」  図らずも、怪しい交際をしているみたいな絵面になってしまった。家の中でよかった。  帰宅したとき、僕の部屋は通販の包み紙やら服のタグやらが散乱している状態だった。それが今やすっかり片付いているのは、言わずもがな、佐久良のお手柄だ。  おかげで「今日の先生の服って新品なんだぁ、俺と出かける日のためのおろし立てだったんだぁ、へえ〜、ふぅ〜ん」という生温かい視線を注がれた。  怪我の功名どころか、怪我の赤っ恥だ。  ばかばかアホ間抜け、と、家を飛び出す前の自分を責めるも、時すでに遅し。いたたまれないやら情けないやらで、僕の頭はすっかり思考停止状態に陥っていた。  けれど佐久良は爽やかに笑って、帰り支度を始めた。 「じゃあ俺、明日また来ますね」 「えっ?」 「送り狼って趣味じゃないんです」 「……うん?」  おくりおおかみ。  口の中で何度か繰り返し、ぽかんとした顔で佐久良を見上げる。  にこっと微笑んだ顔は嬉しそうだが、ほんのひと握りの打算も滲んで見えた。 「明日はたぶん、もっと痛みが出ますから。車引っ張ってきますよ。お邪魔しました」  元教え子の背中を見送り、ドアを閉めた。無意識に長いため息を吐き出す。  佐久良の打算込みの気遣いでさえ断り切れなかった自分に、むしょうに腹が立った。

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