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回復
足首を痛めてから二日が経過した。
朝起きて、おそるおそる床に足をつけ、左足に体重をかけてみる。
「……おっ? ズキズキしない!」
左足首の痛みが引いた。
痛むといえばまだ痛むけど、昨日みたいな激烈な痛みはない。軋むような嫌な感じは残っていて、少し足を引きずってしまうが、杖がなくても歩けるほどには回復していた。
さっそく「送迎は今日まででいいから」と二人に伝える。これでもう負担をかけずに済むのが嬉しい。
が、喜ばしいはずの展開にぐずぐずと泣き出した人物がいた。
「龍ちゃ〜ん、俺も先生の部屋入りたいんだけどぉ〜! キレーなおにーさんのお部屋覗きたいよ〜!」
「ダメだダメだ、おまえは許さん!」
どういうわけか、海斗くんは僕の部屋に入ることを許されていないのだ。
何がどうしてそうなったのか。
「ええと……暑い中、わざわざ車出してくれたので……広い部屋じゃないけど、あがってもらっていいんですよ? 海斗くん、麦茶とオレンジジュース、どっちが良いですか?」
「先生やさしい〜! セクシービューティ〜!」
「せくしぃ?」
「先生に対してセクシーとかいう輩、俺は信用しないんだよっ!」
海斗くんはぷんぷん怒っていたが、それでも従兄弟に愛想を尽かさないあたり、二人は親友みたいだなと思った。
そう伝えてみたら、二人とも「え…?」と、眉根を寄せて心外そうな顔つきをする。そんな表情さえもそっくりで、僕はこっそり笑いを噛み殺した。
その日の夜、佐久良と一緒に学校まで迎えにきた海斗くんは盛大に嘆いた。
「あぁ……これで先生とお別れなんて俺……ウッウッウッ……悲しいよぉ〜!」
「おい海斗、ちゃんと前見ろよな」
「短い間だったけどっ、先生みたいな美人さんをシートに乗せられて、最高でした! 俺でよかったら、これからもどんどん使ってくださいね〜っ!」
「だからおまえ、前見ろって」
海斗くんが感謝とも賛辞ともつかぬ叫びをぽんぽん連発するたび、佐久良の表情が剣呑に翳ってゆく。
不穏な顔をするのはやめてほしい。
それと安全運転も心がけてほしい。
やや急激にブレーキをかけてマンション前に停車すると、ばっと後部座席を振り返った海斗くんは、僕の手をぎゅっと握った。
「……えっ?」
戸惑う僕。爽やかに微笑む海斗くん。固まる佐久良。ちぐはぐな空気が流れる。
「龍ちゃんがメンドクセーってときも、俺のこと頼ってくださぁい!」
「なんだその手は! 離せって!」
わあわあと三人で組んず解れつしたあと、海斗くんは佐久良に追い立てられて帰っていった。
「結局、海斗くん一度も部屋に入れなかったじゃないですか。……かわいそうですよ」
「あいつは散らかし魔なんです。下手に先生の部屋にあげると、ゴミ屋敷になります」
「そ、そこまで……?」
エプロンをつけて台所に立った佐久良が、思い出したように振り返った。ほんの数日通ってもらっただけで、この部屋に馴染んでいる。適応力がおそろしい。
「先生ん家来て思ったけど、俺たち、一緒に住んだら楽しいんじゃないかなぁ」
「……僕はめんどくさいですよ? 君に迷惑かけるのが目に見えてるもの」
「そんなことないですって。本気で一度、考えてみません?」
「あのね。僕と君は茶飲み友達ですよ。茶飲み友達は一緒に住んだりしないでしょうが」
確認するように言い含めるのだが、彼にはいまいち届いていない気がする。
「一緒に住んだら、でっかいソファーが欲しいなぁ」
「……」
佐久良が部屋を訪うようになって、さすがの僕もちょっと考えていた。
今あるのは座り心地が良いとは言えない座椅子がひとつ。あとは別室にシングルベッドがひとつあるだけ。
「ソファーくらい、一緒に住まなくても考えますよ。お客さんが来るのにこれでは申し訳ないから……」
最後まで言い終わらぬうち、佐久良の瞳がきらきらと輝きだす。自分で墓穴を掘ったことに、僕はようやく気づいた。佐久良の期待値を吊り上げてどうするのだ。
気持ちが変わっていないのなら、佐久良は僕の恋人になりたくて今の関係を続けている。
僕は佐久良とどうなりたい?
大事にしたい。傷つけたりしたくない。
けれど、そこに教育者としての思いやり以上の強い気持ちがあるのか。恋人かと訊かれて答えられるのかと問われたら、自分はきっと頷けないと思う。
じゃあ、茶飲み友達という名の恋人候補生として佐久良をキープしておきたいだけ?
そんな残酷なことを、いつまで?
……わからない。自分の気持ちが行方不明だ。
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