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消えた予定
佐久良から、家族へのカミングアウトは済んでいると聞いた。本人を見ているかぎり、家庭環境は良好そうだし、両親や兄弟にもすんなり受け入れられたようだ。
男同士のカップルに過敏に反応する人もいるにはいる。それは教育現場であっても例外ではない。しかし高校教育に携わっている身からすると、若い世代ほど自然に同性愛の存在を受け止められるのか、と思える場面にも遭遇する。同性愛者に偏見や嫌悪感を持たない子たちも一定数いる。ひょっとすると恋愛と友情の差異を区分できていないだけかもしれないが、それでも自分の若い頃と比べたら時代は着実に変わっているのだなと、恋愛に淡白な質の僕でさえ感慨深い気持ちを覚えた。
けれど、男同士の付き合いに「年齢差」が加われば、必然的に人と人との関係は複雑さを増してゆく。吹けば飛ぶような「恋人未満、茶飲み友達」の関係であるのなら、なおさら。
ついさっき、週末の予定が消えた。
佐久良に大学の飲み会が入ったのだ。
試験期間終了の打ち上げ会だという。スピーカー越しにぺこぺこと、頭を下げる音が聞こえる気がした。
『すみません! レポート一緒につくった奴らからの誘いで、断りにくくて……』
「謝ることないです。試験は無事に終わったんですね。よかった。楽しんできてください」
土曜日は日本茶カフェに出かけてみよう、という話を何日か前にしたばかりだった。茶飲み友達にふさわしいアクティビティだと思ったものだ。
でも、それはそれ。これはこれ。
今いる環境を大事にすることに、罪悪感を抱いてほしくない。この先もきっと、こういうことはある。
たぶん僕の存在だけが、佐久良にとってエラーのようなものなのだ。
夜九時近く。駅前のコンビニを覗いたが、目ぼしい弁当やおにぎりはすでに売り切れていた。代わりに目についた懐かしいパッケージの紅茶プリンを買った。
(なんか食欲ないですしね……)
帰宅して、部屋の真ん中に置いた小さなテーブルでプリンを食べた。僕の舌とキャラメルソースとの相性が悪いのか、やけに苦みがあとを引く。
「このプリン、こんなに苦かったでしたっけ」
胸の中のスーンとした感情に名前をつけるとしたら、寂しいとか寂しいとか寂しいとか……そういう気持ちなんだろう。
佐久良と二人で出かける時間を、僕はけっこう楽しみにしていたのだ。
「――待てど来ず、か……」
学生の頃好きだった俳句を思い出し、何気なく呟きかけて、やめた。
途切れた言葉が、虚しく響いて消えた。
「僕ってこんな甘ったれでしたっけ」
佐久良に会えなくて寂しい。
元生徒にのめり込むなどありえないと、たかを括っていたのが裏目に出たようだ。
翌日、僕は佐久良から届いたメッセージにどう返すか迷っていた。当たり障りのない普通の返事をして、このままの関係を続けるか。
それとも、リセットするか。
自分のスタンスを決めるなら、今しかないような気がする。
ギャンブルに繰り出すような気持ちで、通話マークをタップした。心臓がばくばく暴れ出す。
たったのワンコールで、スピーカーから佐久良の明るい声が湧き出した。
雑談はせず、性急に本題を切り出した。
「変に気を遣ってほしくないので言いますが、これからしばらく仕事が忙しくなるんです」
相手の返しを待ってみたが、スピーカーの向こうは沈黙している。自分を鼓舞するように話を続けた。
「以前から思ってましたが……君はもっと、大学のことに集中したほうがいい。僕も忙しくなるので、会うのはやめましょう。家にも来ないでくれますか」
お願いします、といって畳みかけると、うっ、と喉にものを詰まらせたような声が漏れた。
『ちょっと……待ってください。終わりにしたいってこと? もしかして、誰かに何か言われたとか?』
佐久良からの切羽詰まった問いかけに、僕の頬がぴくりと引きつった。
終わりにする? そうじゃない。
今はただ距離を置こう、という提案だ。
距離を置いたら、だんだんそれが普通になって、寂しい気持ちにも整理がついて、お互いに穏やかでいられるだろうから。
その結果、別れる選択をするなら――それならば、納得できる。捨てられたり飽きられたりするより、受け入れやすい。
曖昧な関係のまま、離れたいと思った。
「本当に忙しいだけなんです。君も知ってますよね? 我が校の共学化構想。秋から本格的に広報活動が始まるんですよ。僕たち教員も仕事が増えます。今は子供の数が少ないですから、生き残りを考えると私立男子校は厳しくて……」
『――先生』
佐久良が僕の話を遮った。
「……はい?」
『先生にとって俺は、なんですか?』
一音一音、噛み締めるように佐久良は問いかけた。
そんな彼に、僕もおじけず、歯切れ良く、きっぱりと答える。
「君は僕の茶飲み友達です」
『……そう、ですか』
これまで聞いたことのない暗く沈んだ声で佐久良は頷いた。
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