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Episode1・クロードと二人のにーさま9

「……わたしが、かくせいしてないから……」  クロードは地面に視線を落とした。  覚醒していないからお留守番なのだ。  ……クロードは成長するについて気付いてしまった。  物心がついたばかりの頃は毎日がキラキラして楽しかった。父上やブレイラや二人の兄に囲まれて、たくさん構われて、たくさん遊んでもらって、たくさん抱っこもしてもらって……。それは求める前に与えられるような、そんな満たされた毎日。自分も二人の兄たちと同じだと思い込んで疑問も浮かんでいなかった。  でもそれは何も分かっていなかったからだ。だから無邪気でいられたのである。  少しずつ成長していろんなことに気付きだした。  そうするとまず自分の立場が分かった。その次は求められていること、期待されていること、理想とされていること。それを理解した。  自分のことが分かれば、次は自分の身近にいる父上や兄たちがどういう存在か分かった。  クロードの父上はかつて先代魔王に叛逆し、魔界を破滅から救った救世の王だった。賢帝と名高いとても偉大な魔王である。  イスラにーさまは生後十日で歩きだして戦闘訓練を開始していた。もちろん覚醒済みである。無尽蔵の魔力を自由自在に発動させ、剣術も体術もなんでもすぐに体得してしまったという。しかも世界の脅威となっていた先代魔王を倒したのもイスラにーさまだ。  ゼロスにーさまは赤ちゃんの時に覚醒し、それによって新たな冥界を創世させた。泣き虫で甘えん坊だったゼロスは三歳になってもお稽古から逃げ回っていたようだが、ブレイラが攫われたのを切っ掛けにイスラに鍛えられて戦うようになったのである。元々覚醒していたこともあって、イスラの特訓と実戦経験によってみるみる強くなっていったのだ。  そう、イスラとゼロスは子どもの時から規格外の強さを持ち、クロードくらいの年齢の時には王としての実戦経験も豊富だった。 「…………」  クロードは唇を噛みしめる。  二人の兄とクロードはあまりにも違った。まだ赤ちゃんの時はなにも分かっていなかったが、成長すると少しずつ分かってきてしまったのだ。 「……どうしてわたしは、かくせいできないんだろ……」  クロードは小さな手を見つめた。  もっとお稽古や勉強を頑張れば覚醒できるだろうか。 「……がんばるぞっ」  ぎゅっと拳を握った。  こうしてブレイラを待っている間も勉強することにする。  地面に覚えたばかりの数式や記号を描いたり、魔法陣を描いたり、覚えたことをたくさん描いて復習するのだ。 「こうして、こうして、……えっとあのまほうじんは」  こうしてクロードが地面に魔法陣を描いている時だった。  ふと、造園の茂みの向こうから庭園を掃除している侍女たちの声が聞こえてくる。 「クロード様は五歳なのにとっても頭がいいそうよ」 「さすが次代の魔王様ね。魔界も安泰だわ」  聞こえてきた声にクロードは「フフン」と鼻を鳴らす。  重圧も感じるけれど褒められるのは嬉しい。  いずれ父上やにーさまたちのような立派な王様になるのだ。  そのためにもたくさん勉強しなくては。クロードは地面に魔法陣の練習をするが。 「でもこの前、見ちゃったのよね……」 「え、なになに?」 「魔力の講義の時間だと思うんだけど、クロード様……魔法陣を手描きされてたの」 「えっ、……王族の御血筋なのに手描きなの?」  クロードの手がピクリと止まった。  頭が真っ白になって、全身が強張っていく。  でも侍女たちはクロードに気付かないまま会話を続けてしまう。 「王族が手描きの魔法陣ってあまり聞いたことないよね」 「うん。勇者様も冥王様も幼い頃から自在に御力を使っていたわ」 「それじゃあ、クロード様って上の御二人に比べると……」 「ダメよ、それ以上はダメだってっ」 「そ、そうだね。うんうん、ごめんごめんっ」  侍女たちが慌てて口を塞ぐ。  他愛ない雑談のつもりだが不敬だということも自覚している。誰かに聞かれては大変なのだ。  しかし魔族の侍女たちはため息混じりに本音を残す。 「魔界、大丈夫かな~。今は当代様だけど、いずれクロード様が継がれるわけだし……」 「…………」 「…………」  侍女たちが気まずそうに黙り込んだ。  微妙な雰囲気になって「行こっか」「うん、行こ」と侍女たちが移動する。  クロードは強張ったままじっとしていた。  じっと縮こまって呼吸を止めて、侍女たちに見つからないようにしていたのだ。  侍女たちが立ち去るとクロードは見つからなかったことに安心する。  安心して息を吐いたけれど、吐く息が微かに震えていた。 「っ……ぅっ」  唇を噛みしめてプルプルする。  クロードは縮こまるようにしゃがんだまま膝に顔を埋めた。  だってあの侍女たちの噂話こそ魔族の本音なのだ。  その本音にクロードはなにも言い返せない。  頭の中がぐるぐるして、体は強張って、心臓がぎゅっと握られている感じ。  クロードはぎゅっと膝に顔を埋めてプルプルに耐えていた。  でもふいに。 「クロード、どこですか? 待たせてごめんなさい」 「ブレイラ!」  クロードがハッとして顔をあげた。  政務を終えたブレイラが庭園に来てくれたのだ。 「こ、ここです! ここにいます! いまいきます!」  クロードは慌てて返事をするとブレイラの元へ駆けだそうとした。  でもその前に地面に描いた数式や魔法陣を足で消してしまう。散歩の時にブレイラに見せようと思ったけれど、なんだか地面に描いているのが恥ずかしくなったのだ。 「クロード~?」 「まって、いまいきます! ……よしっ」  クロードは全部消すとブレイラの元に駆け出した。  ブレイラは白薔薇のアーチの前で小さく手を振っている。「クロード、こちらですよ」とクロードの名を呼んで微笑んでいる。  その姿を見るとクロードはわけもなく安心して、なぜだか視界がじわりと滲んだ。  でも慌てて拭うとブレイラの元へ。そしてぎゅっと足に抱きつく。 「クロード、お待たせしました。待っててくれてありがとうございます」 「ううん、まってないですっ」  クロードは抱きついたまま答えた。  ローブに顔を埋めるクロードの頭にブレイラが手を置く。いい子いい子と頭を撫でられて、クロードの体から強張りがとけていく。 「クロード、お腹が空きませんでしたか? 昼食にしましょう」 「はい」  クロードはブレイラと手を繋いで歩きだす。  今からブレイラと庭園で昼食を食べて散歩をするのだ。 「楽しみですね。……ん? クロード、なにかありましたか?」  ふとブレイラがクロードの顔を見て不思議そうに聞いてきた。  クロードは「なにもないですっ」と慌てて首を横に振る。  ブレイラに話すことは出来なかった。  話せばきっと優しく慰めてくれるし、クロードを守ってくれる。でもブレイラに話せなかった……。 ◆◆◆◆◆◆

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