26 / 133

Episode1・クロードと二人のにーさま26

「櫛箱をここに」  女官に命じるとすぐに櫛箱を持ってきてくれました。  ここは歴史資料館ですが、私の身支度を整える道具は常に持ち運ばれているのです。  私は櫛箱からヘアブラシを取るとクロードの前髪をといてあげます。  クロードもがまんできずに「わたしもしますっ」とブラシで前髪をとき始めました。  絵画の前で親子で必死に髪をといていましたが、クロードの斜めの生え際は強敵すぎます。何度ブラシを通してもまっすぐにならず、クロードの黒い瞳がまたじわじわ潤みだしてしまう。 「ぅっ、うぅ……、あかちゃんがなおりませんっ……」 「ああクロード、赤ちゃんではありませんっ。大丈夫ですから」 「でも、でもっ……」  涙ぐむクロードに焦りました。  このままではクロードが本格的に落ち込んでしまう。なにか楽しい話しをっ。 「ではクロード、教えてください。あなたはどんな髪型になりたいんですか? 私がしてあげます」 「……ブレイラ、じょうずなんですか?」 「こう見えても私は器用なんですよ。髪結いも出来るんです。イスラの髪を編み込んであげたのも私ですよ?」 「そっか」 「はい、だから任せてください」  私はクロードのしつこい前髪に苦戦しながらも明るい声で言いました。  今のクロードに苦戦しているなんて言えませんからね、今はとにかく気分を盛り上げてあげる時。  するとクロードも少しだけ気分が浮上したのか、目を真っ赤にしながらも照れたようにはにかみだします。どうやら新しい前髪を想像して嬉しくなったようです。 「……ききたいですか?」 「聞きたいです。教えてください」 「ええ~、ききたいんですか?」  ニヤニヤ……、いえニコニコしながら勿体ぶるクロード。  さっきまで悲壮な顔で泣いていたのに新しい前髪をイメージすると照れてしまうようです。両頬を両手でおさえて可愛いですね。  そしてクロードがテレテレしながら指差します。 「……わたしも、あんなのがいいです」 「えっ」  クロードが指差したのは……子ども時代のイスラ。  よりにもよって、よりにもよって子ども時代のイスラ!  子ども時代のイスラといえば自然なセンター分けで、クロードのしっかり癖のある前髪とは対極……。 「……イ、イスラみたいなのがいいんですか?」 「はいっ。イスラにーさまとおなじにしてください。イスラにーさまみたいな、かっこいいのがいいんですっ!」 「………………」  そう言ったクロードの瞳はキラキラしていました。  ……ど、どうしましょう。無謀です。この子は立派な斜め生え際だというのに、まっすぐセンターを夢見るなんて無謀すぎます。  そんな微妙な反応をしてしまいましたが。 「も、も、もしかして、わたしにはできないんですかっ?」 「そんなわけありませんっ! 私に任せなさいっ。すぐにイスラと同じ前髪にしてあげます!」  即座に返事をしてしまいました……。  しまったと思ってももう遅い。でもクロードに悲壮な顔をしてほしくありません。  こうして私は試行錯誤しながらクロードの斜め分け前髪をセンター分けにしてあげたのでした……。 「――――という訳だったんですよ。あの時は大変でした」  あの時は本当に大変でした。  何度ブラシを通しても前髪はまっすぐにならなかったのです。女官が子ども用ヘアワックスの存在を教えてくれなければ今もクロードは悲観に暮れていたことでしょう。 「…………。……それが事の顛末か」  ハウストが複雑な顔で言いました。  彼の顔が少し引きつっているような気がするのは気のせいでしょうか。  私はあの三歳の時のクロードを思い出すと今でも胸が痛くなるというのに。 「ああ可哀想なクロード。ひよこのヘアピンが余計に赤ちゃんを意識させたのですね」 「ヘアピンはお前が」 「うん?」 「いやなんでもないぞ」  即座に撤回するハウスト。  そうですよね。ハウストもクロードのいじらしさを思うと胸が痛くなりますよね。  うんうん頷く私にハウストは微妙な顔をしましたが、気を取り直して話しを続けます。 「それでクロードに整髪剤を送ったわけだな」 「そうです。クロードにとって大切なことですから」 「大切なこと、か」 「はい。今のクロードにとって必要なことなら私はそれを守ってあげたいのです。だからあなたも見守っていてください」  ハウストからすればクロードの悩みは理解に苦しむものかもしれません。  いえハウストだけでなく、きっとイスラやゼロスも。だから今は見守っていてあげてほしいのです。 「そういうものか」 「そういうものです」 「分かった。お前がそう言うなら」 「ありがとうございます」  そう言ってハウストの頬にそっと感謝の口付け。  するとハウストはニヤリと笑います。 「足りないな」 「欲張りですね」 「知らなかったのか?」  ハウストが面白そうな口振りで聞いてきました。  ……面白くありませんね。あなた、優位だと思っている顔つきをしています。とっても面白くありません。  私はスゥッと目を細め、ソファに座っているハウストの膝に乗りあげて跨りました。  突然のことにハウストが少し驚いたように眉を上げる。  そうですよね、驚きましたよね。私だって行儀が悪いことも、はしたない真似をしていることも承知です。  でもね、あなただって一つ見落としているのです。 「あなたこそ知らなかったんですか?」  そう言ってハウストの膝に跨ったまま彼の肩に手を置きました。  思わせぶりに肩を撫でてうっそりと笑いかけます。 「今日はこの時間も二人きりですよ」  知らなかったんですか?  挑発的に聞いてあげました。  この時間はいつも家族の憩いの時間ですが、今夜はお茶の時間も二人きりなのですよ。 「期待してもいいのか?」  ハウストの大きな手が私の太腿に置かれました。  ゆっくりと太腿を撫でられて、その甘い感触に私も目を細めます。  こうして私たちはイチャイチャしながら憩いの時間をすごし、魔界と冥界の夜はすぎていくのでした。 ◆◆◆◆◆◆  冥界、翌日の早朝。  焚き火を囲んで眠っていた三兄弟だったが、……「うぅ~ん……」クロードがもぞもぞと身じろいで目を覚ます。  一番に起床したクロードは眠い目を擦ったが。 「……。…………ッ!?」  おでこに触れて気付く。  前髪が斜めになっている!  クロードは焦ってしまう。だって斜めの前髪とおでこは赤ちゃんなのだ! 「な、なおさなきゃっ……!」  クロードは川に向かって駆けだした。にーさま達が起床する前に前髪を直しておくのだ。  こうして洞窟からクロードの気配が遠ざかると、少ししてイスラとゼロスが目を開ける。  洞窟からクロードが出て行ったことに気付かない二人ではないのだ。もちろんクロードが起床した時から起きている。

ともだちにシェアしよう!