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Episode2・冥王ゼロスは修業中にて29
「ふふふ、悔しいですか? 生意気なことを言ったからです。反省しました?」
「なにが反省だ! なめでんじゃねぇ、離ぜよッ!」
「いい声じゃないですか。可愛らしい鼻声です」
ふふふ、ふふふ。いい気味です。生意気なことを言ったからです。
私は笑いかけると、つまんでいた鼻を離して今度はハンカチを取り出しました。
少年の顔は砂埃で汚れてしまっています。
いいえ顔だけではありません。服はずっと同じものを着ているのかくたびれていて、ところどころがほつれています。手足の素肌も髪もすすけていて、きっと何日も手入れできずに過ごしていたのだと分かりました。
それは休まる場所がないままに過ごしていたということ。
胸がぎゅっと痛くなったけれど、今は砂埃がついた顔をハンカチで綺麗に拭いてあげます。
「砂がついてます。ほらここに、綺麗になりました」
「っ、余計なことするな!」
「余計なことではありません。大事なことですよ。あなた、まだ子どもじゃないですか」
「ガキじゃねぇよ!!」
「そうでしたか、それは失礼しました。イスラ、そろそろ離してあげてください」
「駄目だ。たとえガキでもなにするか分からない。ブレイラには危険だ」
ああ、私のためでしたか。
ならば大丈夫ですね。
「あなたが守ってくれるのに、いったい私になんの危険があるのです。そうですよね、イスラ?」
私がそう言って笑いかけると、イスラがムムッとした顔をする。
でも渋々ながらも納得してくれます。
「…………分かった。ただし俺から離れるなよ?」
「もちろんです」
イスラは頷くと今度は拘束していた少年を見ます。
「お前も分かっていると思うが、少しでも妙な動きをしてみろ。命はないと思え」
「くッ……」
少年は悔しげに唇を噛みしめました。
この少年は年不相応とも思える強い魔力を持っています。それは相手の強さも推し量れるということ。少年はイスラに敵わないと察しているのです。
イスラが拘束していた腕を解放します。
少年はイスラを警戒していますが攻撃を仕掛けてくる様子はありません。逃げることは諦めてくれたようですね。
私は改めて少年を見つめ、ゆっくりとお辞儀します。
「初めまして、私はブレイラと申します。こちらはイスラです」
顔をあげてまた微笑みかけました。
相変わらず警戒心剥き出しのピリピリした雰囲気を纏っているけれど、逃亡や攻撃を諦めてくれたなら充分です。
「あなたのお名前は?」
「誰が教えるか!」
「では、あなたのお父様やお母様は?」
「うるせぇっ! そんなのいるわけねぇだろ!! いらねぇよ!!」
少年の眼光に鋭さが増しました。
悲しいほど殺気立つ少年に僅かに目を伏せる。
申し訳ないことをしました。この質問は控えるべきでしたね。
「そうですか」
私はなんともないふうを装うと、イスラを振り返ります。
「ではゼロス探しの続きをしましょう。もちろんこの謎の少年も一緒です」
「ああ、そうだな。こっちだ」
「ち、ちょっと待て! なんでオレがお前らと一緒に行かなきゃなんねぇんだよ!!」
「こればかりは問答無用です。ここにあなたを放置することはできません。せっかく捕まえたことですしね」
そう言って私はイスラと歩きだしました。イスラはこの冥界でこの場所以外にも強い力を感知しているのです。
少年は悔しそうに歯噛みしますがイスラがいるので逃げ出すのは不可能。渋々ながらも私たちと一緒に歩きだします。
こうして私たち三人はゼロスを探して森の小道を進むのでした。
◆◆◆◆◆◆
冥界の朝。
「この辺だと思うんだけどな~」
ゼロスは山の中腹にある洞窟に向かって歩いていた。
正直ここにくるつもりはなかった。確認していたわけではないが、行方不明者はここにいるだろうと見当がついていたからだ。
ゼロスが行方不明者を初めて目にしたのは、難民の一時保護を決議した時のことだった。
冥界に一時保護されることを希望した難民は三十名。ゼロスは書類で難民たちの身辺情報を確認したが、実際に姿を見ておこうと思ったのは気まぐれである。
といっても四界の王が直接難民と対面することはない。冥王ゼロスは離れた台座から冥界に転移していく難民たちを見ていたのだ。
そしてその時に一度だけ今回の行方不明者の姿を見ている。それはゼロスより少し年下の少年だった。
少年は疲弊しきった大人たちの中でひどく攻撃的な眼差しをしていたのを覚えている。そしてなにより気になったのが少年の強い魔力。一般の少年が持つにはあまりにも強大な魔力だった。
その少年が冥界で行方不明になったと報告があったのは四界会議の前である。
正直、そのままにしておきたいと思った。
少年の詳細な境遇も事情も知らないが、訳ありだろうということは想像に難くなかったからだ。
少年のあの強さなら創世期の冥界でも生き延びられるだろうから、もう少し自由にして見守ろうと思ったのである。
しかし第三国に異形の怪物が大量出現し、のん気なことは言っていられなくなったのだ。もし本当に少年がクラーケン出現に関わっているならゼロスの責任問題になるだろう。
「この先かな?」
ゼロスはそう言うと、ひょいっひょいっと身軽に険しい傾斜を駆けあがってまっすぐ洞窟へ。崖のような傾斜角度だったがゼロスにはなんの問題もない。
ゼロスはあっという間に崖のような坂を登ると、目の前にぱっくり開いた洞窟があった。
「あったあった。やっぱりここだ」
ゼロスはうんうん頷くと薄暗い洞窟に入っていく。
雨風を凌ぐには丁度いい大きさの洞窟だ。
少し歩くと奥に人の気配を感じる。やはりここに行方不明になった少年は潜んでいた。大正解というわけだ。
ゼロスが奥を覗き込むと少年も気付いて振り返る。
「にーちゃん、おかえりなさい! っ、ちがうっ。にーちゃんじゃない!」
「みーつけた。……あれ? なんか初めて見た時と雰囲気違ってる?」
少年は嬉しそうに振り返ったがゼロスを見ると恐怖に顔を歪ませた。
ゼロスも少年を見て目をぱちくりさせてしまう。少年の顔は初めて遠目に見た時と同じ顔、ひと際目を引く強大な力。でも纏っている雰囲気が違ったのだ。初めて目にした時は攻撃的だったのに今はおどおどした雰囲気だ。正反対である。
ゼロスは不思議に思ったが、少年は怯えてじりじり後ずさった。
「ど、どうしてここに人がっ。ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! お願い、こないでください……!」
「ちょっと待って。そんな怯えなくても……」
ゼロスは困惑した。
脅かすつもりはなかったのにとっても怯えられてしまっている。
初めて目にした時はこんなふうに怯えたりする少年には見えなかったのだが……。
そうこうしているうちに少年は恐怖のあまり魔力を昂らせる。
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