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Episode2・冥王ゼロスは修業中にて51
「あなたのおかげです。リオとルカもとっても嬉しそうでした」
「……たいした事はしていない。それにあそこは実力主義だ。あの双子は特待生として留学が決まるだろうが、だからといって甘やかされることはないぞ」
「もちろんです。特別待遇はかえってリオとルカを困らせてしまうかもしれません」
私はそう答えて隣のハウストにそっと凭れかかります。
彼の肩に頭を置いて、じっと見つめてみる。
すると視線に気付いた彼が私を見下ろして、至近距離で目が合って。たったこれだけのことなのに不思議ですね。胸がきゅっと甘く締めつけられるのです。それは出会った頃から変わらないもの。
「あなたは変わりませんね」
「なにがだ」
「今回のリオとルカの留学のことで思い出したのですが、あなたはイラスとゼロスが幼い時も公正な教育の機会を与えてくれました」
「そのことか」
「大事なことです」
イスラとゼロスはそれぞれ人間界と冥界の王様なので、魔界とは何の関係もないのです。
それなのにハウストは二人が幼い頃から専属講師をつけて教育することを惜しみませんでした。
私と結婚して二人が息子になったとはいえ、魔王がする必要のなかったことまでしてくれて、二人にたくさんのものを与えてくれたのです。
今日のゼロスの裁きは、そんなハウストが与えてくれた公正な教育の賜物でした。
「今日のゼロスを見て、どうしてもあなたに伝えたくなりました。感謝しています。ほんとうに」
「…………。……それは違うぞ」
ハウストがぽつりと漏らしました。
聞こえた内容は思わぬもので少し驚いてしまいます。
「え、違うんですか?」
「違う。イスラが子どもだった頃は魔界の為にしていた。魔界は先代によって破壊の限りを尽くされた。だからたとえ人間界の王であったとしても、暗君の存在はすべての世界に影響し、世界を衰退させることを知っている。それを阻止するためだった」
「そうだったんですか」
「ああ、魔界の為だ。……だがまあ、そういうわけでもなくなっていったが」
「ふふふ。でもやっぱりあなたのおかげですよ。どんな理由があっても必要なことでしたから」
私が小さく笑うとハウストは少しだけ目を据わらせてしまいました。
面白くなさそうな顔をするので怒らせてしまったかと思いましたが。
「……そうじゃないって言っただろ。俺じゃない、お前だブレイラ」
「……。私、ですか?」
またしても思わぬ返答です。
見ていると気付いてしまう。怒らせてしまったかと思いましたが、違いますね、これは照れている時の顔です。
「ブレイラ」
「なんでしょう」
「お前、クロードにチェックシート作ってるんだな」
唐突に聞かれたチェックシート。
ますます意味が分かりません。今の話しに関係があるんでしょうか。
「学習プリントの保護者チェックシートのことですよね。それがどうかしましたか?」
「俺がチェックさせられた」
「えええっ、あなたが!?」
「あいつ、わざわざ俺のところに持ってきて、ここにサインしろと言ってきたんだ」
「ええ……」
どうしましょう。
クロードは魔界の城でお勉強をします。講義はちゃんと講義室で受けるのですが、自主学習になると北離宮へやってくるのです。
北離宮には私の執務室にクロード専用のスペースがあるので、自主学習ももちろんそこでしていました。
学習プリントが一枚終わるたびに私のところに持ってきてくれるのですよ。その姿が可愛くて保護者チェックシートを作ってあげたのです。
こうしてクロードは北離宮の執務室にいるわけですが、かといって私の執務を邪魔したりする子ではありません。それどころか私の仕事をいつも気にかけてくれます。政務が立て込んでいる時はクロードをお待たせしてしまうこともありますが、ソファにちょこんと座って私の手が空くのを待ってくれるのです。
『クロード、お待たせしました』
『だいじょうぶです。ちゃんとまてます。ブレイラこそ、いつもおつかれさまです』
『ふふふ、ありがとうございます。でも待っている間は退屈ではありませんでしたか?』
『だいじょうぶです。ここから、ブレイラがんばれっておうえんしてました』
『なんて嬉しいことを』
『おじゃまにならないように、こころのなかでガンバレって。きこえてましたか?』
『聞こえてました。しっかり伝わっていましたよ』
なんて可愛らしいんでしょうね。
嬉しいことを言ってくれるので感動してしまうくらいですよ。
「驚きましたが、きっと寂しかったんですね。ふふふ、可愛らしいことです。クロードは執務の邪魔になるようなことはしないので、あなたも。…………どうしました、そんな顔して」
「…………。……いや、別に」
「そうですか?」
真顔です。ハウストがとっても真顔になってます。
クロードとなにかあったんでしょうか……。
でも今はそれよりも保護者チェックシートにハウストがサインしていたなんて。
「驚きました。あなたも書いてくれたんですね」
「持ってこられたら書くしかないだろ……」
「ふふふ、私も見たくなってきました。明日クロードに見せてもらいましょう」
「ああ、見てやれ。あいつはお前に褒めてもらいたくて俺に書かせたんだ」
「それでは遠慮なく」
明日の楽しみが増えましたね。
思わず笑んでいるとハウストの視線を感じて振り向きます。
「どうしました?」
「お前のおかげだと、そう思ってな」
「はあ……」
改まって言われました。意味が分かりません。
そんな私の反応にハウストは目を細めると、唇に触れるだけの口付けを一つ。
「いつも感謝している。ありがとう。お前が俺の横にいてくれたことは、俺にとっても、四界にとっても幸運なことだ」
「なんですか急に」
「言いたくなったんだ」
「ふふふ、照れてしまうじゃないですか」
私も目を細めてハウストを見つめます。
私こそあなたに出会えて幸運でした。あなたに出会ったからイスラとゼロスとクロードに出会えたのですから。
こうして夜は更けて、明日はいよいよ四界会議最終日です。それが終わればようやく家族で海水浴ですね。
目の前にハウストがいて、楽しみな明日がある。それは私にとってなによりも幸福なことでした。
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