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第4話 あっためてください

翌朝、橋田は帰っていった。律は書斎で、ノートパソコンを開いた。 橋田はもう少し札幌にいるらしい。互いの仕事を終えたら、夕食をともにしようと約束している。 文章をタイプしながら、律は思わず唇を撫でた。 (昨日は、激しかった……) 思い出すと顔が熱い。 (僕、橋田さんのことが……) だが、それを言葉にしてしまうはまだ怖い。 作家と編集者。その壁を壊していいのだろうか。でも自分の気持ちに嘘をつくことはできない。 (やっぱり、好きだ) 執筆を終えると、律は携帯を手に取った。橋田にメールを送った。 電車で、橋田が指定した場所に向かった。 「すみません、お待たせして」 待ち合わせ場所に先に来ていた橋田に声をかける。 「いいえ、全然待ってませんよ」 橋田が腕時計を見て言う。 駅直結で通路とつながっているデパートの入り口。 札幌で待ち合わせするなら、いちばんわかりやすい場所だ。 まだ外は明るいが、季節は秋。空気が冷たくなっていた。冷気が、頻発に開閉のある扉から入り込んでくる。 「今日は冷えますね。律先生」 「はい……だから、あっためてください」 「え」 「いつもひとりでいたから、寒さには慣れていました」 律は橋田の手を取った。 「橋田さんの言う通りですね。僕は変わってしまいました」 律の手は震えていた。緊張していると、橋田は悟っているだろう。 でも、律は橋田の手を離さなかった。 「人肌が恋しい、という言葉の意味がようやくわかりました。僕はまだ一度しかしていないのに……」 「誘うのが上手いですね。さすが、恋愛小説家だ。経験豊富だと噂されているだけのことはある」 「茶化さないでください」 「すみません。では、行くとしましょうか」 橋田は手を引いて歩き出した。律は慌ててついていく。 「店を予約しました」 橋田に連れられてきたのは、しゃれたイタリアンレストランだった。 テーブル席に案内されると、橋田はワインリストを差し出してくる。 「どれにしますか?赤?白?」 「お任せします」 橋田がソムリエに注文を伝える。ソムリエが去っていくと、橋田は小さくため息をついた。 「どうかしましたか?」 「……実は、こういうところに来るのは久しぶりで……少し緊張しています」 「意外です」 「律先生は?」 「先輩作家や他社の編集者に誘われて来たことがあります」 橋田は笑った。 「あー……これは、律先生の『初めて』じゃなかったか」 橋田は急に真顔になった。 「思った通りだ。ライバルが多いな」 「誰も狙ってませんよ」 「律先生は、周りの男どもになんて言われているか知らないんですね」 「え」 「美人で、頭が良くて、気立てが良い。それに、エロい」 「そ、そんな……」 「事実ですよ」 はっきり言われて、顔が熱くなった。 「みんな、僕の本当の顔を知らないんですよ」 「本当の顔?」 律は頷いた。 「はい。本当はコーヒーが苦手で、ジュースと牛乳が大好き。おやつはどら焼きがあれば幸せ」 「そうなんですか? ……かわいいな」 「ね、エロくないでしょ?」 「そんなことないですよ。律先生に見つめられて、ボーッとしている奴は大勢います」 「それは……なんて答えたらいいかわからないときです。何も言えなくて、相手の顔を見ているだけで……」 「律先生の瞳に参ってしまうと、私の周りでは話題ですよ。犯したいって酔った勢いでのたまう奴もいます。そんな輩に狙われないように、注意してください」 「はい……」 「きみを抱いた私が忠告するのも変ですね」 「いえ……気をつけます」 「ところで、律先生の好みってどんな感じの人ですか?」 「え、僕のですか?」 「はい」 「えっと……優しくて、誠実で……あったかい感じがする人、かな……」 律の言葉を聞いて、橋田はうれしそうに笑う。 「私のことだ。よかった」 料理が運ばれてきた。 橋田はコースを頼んでいたらしく、前菜から順番に出てきた。 橋田が話しかけてくるので、律は話に花を咲かせた。橋田は聞き上手なので、律の話をうまく引き出してくれる。 そして、あっという間にメインディッシュがやってきた。 律は目の前に置かれた皿を見つめた。白いソースがかかった肉の上には赤い花びらが飾られている。 「うわあ、すごく美味しいです!」 「それはよかった。律先生、デザートも頼みましょう」 「はい」 律はメニュー表を見た。 「チーズケーキがありますね」 「いいですね」 橋田はウエイターを呼ぶと、ふたつ注文する。ウエイターが去っていく。 橋田に優しいまなざしで見つめらた。 「律先生、ありがとうございます。いつも私の依頼を引き受けてくださって」 「仕事ですから」 「私は、何も知らないきみにいろいろアドバイスしてきました。その、性的なこととか……」 確かに橋田との打ち合わせは、かなり際どい話が多かった。 「……きみを手に入れたくて焦って、焦って、いやらしいことばかり口にしました……この年で、恋をするとは思わなかった……」 橋田は自嘲めいた顔をしていた。 「橋田さん。僕は子供じゃないですよ」 「律先生」 「ひとりの作家です。編集者が何を求めているか知るのが、作家ですから。それに……」 律はうつむいた。 「僕は、橋田さんが好きだから……」 橋田は目を丸くしたが、やがて口元を緩めた。 「うれしいことを言ってくれますね。やっぱり、抱かれて情が湧きましたか」 律は首を振った。 「抱かれて、わかったんです。僕のずっと欲しかったものが。橋田さん。あなただったんです」 橋田の顔が赤くなっていく。声を上げて笑っている。 「うわぁ、これが恋愛作家の本気のアプローチか……はあ、参りました。律先生には敵わないな」 橋田はワイングラスを手に取った。 「律先生、乾杯しましょう」 「はい」 律もワインを口にした。甘みのある味が広がる。 「律先生……」 橋田は身を乗り出した。律に囁く。 「デザートは急いで食べてください」 橋田は律の手を取った。 「いますぐ、きみを抱きたい」

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