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第9話

※イノリ視点 これは、瞬がハイドさんと出会って間もない時の出来事。 瞬は言葉は理解できてもまだ字は読めなかった。 だからハイドさんと共に勉強してある程度読めるようになっていた。 覚えたての字を練習するように本を読んでいた時、隣で難しい資料を見ていたハイドさんが不思議そうに瞬と瞬が読む本を交互に見た。 顔から少し不機嫌に思えてちょっと嫉妬してくれたら嬉しいなと思った。 ハイドさんとは無縁そうな可愛らしいラッピングの写真の表紙の本を読んでいた。 「何の本を読んでるんだ?」 「ハイドさんはどれが好き?」 そう言い瞬はハイドさんに本のページを開き見せた。 そこにはカラフルなお菓子の写真が沢山載ったページだった。 お菓子作りの本は見た事なかったみたいで興味津々だった。 ハイドさんはなにが好きなのか分からず聞いてみた。 後に知った話だけどハイドさんは甘いものが苦手だった、一口食べるだけで気分が悪くなる。 でも初めの頃はハイドさんの気持ちを知らなかった。 「すまない、俺は甘いものが苦手なんだ」 「そうだったんですね、それじゃあこれは?」 瞬はペラペラと捲りハイドさんが食べられそうなものを調べて別のページを見せた。 ページの一番上には『ショコラ・フロマージュ』と書かれているお菓子があった。 さっきまでカラフルな写真が並んでいたがこちらは茶色いカップケーキのようだ。 上にクリーム色で四角いチョコレートが乗っている。 甘いものは嫌いだったから、お菓子は皆甘いと思っていたがこれは甘くないのだろう。 瞬はハイドさんが一番興味を示したから甘くないお菓子だと説明した。 「チョコもビターだし、上にブロックチーズを乗せてるお菓子だからハイドさんも食べれるかな?」 瞬がそこまでしてハイドさんに食べさせたくて聞いてきたのには理由があった。 勿論お菓子作りが趣味でもあるが、ハイドさんに「美味しい」と言ってもらいたかった…お世辞じゃなく本当に… それにハイドさんは国の騎士だ、危ない場所に行く時があるだろうから小腹が空いた時に食べてほしいと思った。 元の世界では瞬のお菓子を食べてくれる人がいなかった。 ……初めてだった、誰かに食べてほしいと思ったのは… ハイドさんは美しく微笑み「ありがとう」と言った。 ーーー 「……ハイド、さん」 彼を捕まえるように伸ばされた手は何も掴めない。 一筋の涙が頬をつたい枕を濡らしていき、袖で拭う。 再びこの世界に戻ってから一度も夢を見た事がなかった。 …ハイドさんそっくりの彼と会ったからだろうか、あんな夢を見てしまったのは… ダメだダメだと思いながらも思い出してしまい枕に顔を伏せた。 やはりずっと好きだったから未練は簡単に消えるものではない。 「…会いたいよ」 もう一度、美味しいって言ってほしい…笑ってほしい…愛してるって嘘でもいいから言ってほしい。 瞬はいつも一人で作る時甘いお菓子を好んで作っていた。 …本当はショコラ・フロマージュは甘いお菓子だ。 ハイドさんに食べてほしくて、ビターなお菓子としてアレンジして作った…ハイドさんだけに…これからもハイドさんにしか作らない。 もう瞬じゃなくイノリなんだ、ハイドさんに会えない…そう思うと胸がとても苦しかった。 神様は意地悪だ、何故彼がいる時代にもう一度生まれたのだろうか。 これは、きっと神様が俺に与えた罰なのかもしれない… 愛してはいけない人を愛してしまったからいけなかったんだ。 瞬は…いや、イノリはもう恋はしたくないと思った。 …こんなに苦しくなるなら恋せず、ただ生きているだけでいい。 俺にとって最初で最後の恋人はハイドさんだけだ。 もし、ハイドさんの幸せを祝福出来るぐらいに余裕が出来たら…一国民としてハイドさんと婚約者の結婚を心から祝福しよう。 でも…まだ余裕はないから、もう少しだけ好きでいる事を許して下さい。 もう少しだけ、幸せだったあの日々の夢を見させて下さい。 シヴァくんはハイドさんじゃないけど似過ぎていてドキドキするが、やっぱり俺はハイドさんが好きだった。 シヴァくんとは友達に、なれるといいなと思いながら目を閉じる。 今となっては夢の中でだけ貴方に会えて、貴方に甘える事が出来る。 夢だからいっぱいいっぱい本音を伝える、現実では口に出来なかった事を… どうして婚約者の事を言ってくれなかったの? 俺の事、本当に好きだった? いやだ、いやだ…いかないで …偽りの関係でも、ただの友人でもいいから側にいたかった、もう好きとか言わないから… 死にたくないよ… 夢の中のハイドさんは優しく頭を撫でてくれて、全て受け入れてくれた。 …もう、一生夢から覚めたくないと思いながらハイドさんに抱きつく。 夢の中のハイドさんは俺に都合がよく微笑んでいた。 ーーー ふと目が覚めると視界に写った時計が開店時間30分前を知らせていた。 まだボーッとしながらのろのろと起きて身支度を整える。 顔を洗おうと洗面台に立つと鏡に写ったのは酷い顔の俺だった。 寝ながら泣いたのか目元は赤くなり髪もボサボサ。 …こんな腫れた酷い顔をしてお店を開けられない。 顔を洗い髪を整えてからとりあえず店の外に出た。 並んでくれてまで俺のお菓子を楽しみにしてくれてる人達に謝りながら今日はお店を休む事にした。 明日はいつも通りお店を開けるように、今日は気分転換に何処か散歩にでも行こうかな。 厨房に行きおにぎりを作りピクニック気分で部屋にあったリュックにラップで包んだおにぎりと水筒を入れて背中に背負う。 この姿では初めての少し遠出で家を出てある場所に向かった。 ハイドさんが遠征に出かけた時、城に一人でいる時間が怖くなりいつも行っていた場所があった。 それはハイドさんも知らない俺のお気に入りの場所だった。 実は瞬が死んだあの日、ハイドさんが出かけて帰ってきたら一週間くらい休みが出来ると聞いていた。 あの時は婚約者の存在を知らず、ハイドさんの休みの日に一緒に行こうと思っていた…結局叶わなかったけど… 俺は城下町の壁にある隠れた抜け道のトンネルを通り進む。 この道はイズレイン帝国の横にある森に繋がっている。 トンネルの中は薄気味悪く、入ったら二度と出られないなんて噂があり俺以外入ろうと思う人はいないだろう。 当時は噂を知らず入り、出られたから噂を知り、噂は噂だと思った。 トンネルに一箇所出口を知らせに光が見えた。 抜けるとそこには視界いっぱいの緑が出迎えた。 一年前だが俺にとってはついこの間来たばかりなのに、懐かしく感じた。 そよ風が気持ちよくて深く息を吸い深呼吸する。 森をもう少し抜けると俺のお気に入りの場所に出る。 そこはちょうど太陽が森の葉を光らせて幻想的な空間を生み出す湖だった。 汚れがない透き通った綺麗な青い湖に光が反射してキラキラと光る。 俺がそこに着くとふよふよと湖の側を飛んでいた丸い光が俺を歓迎するように集まってくる。 丸い光の正体は精霊と呼ばれる珍しい種族だった。 だからこの森は知る人の間では精霊の森と呼ばれている。 普段は人見知りの精霊だが、前に知らずに入った俺と仲良くなり姿を現してやって来る。 しかし今はイノリだ、精霊達は分かっているのだろうか。 「俺が瞬だって、分かるの?」 精霊は返事のように俺の周りを一周して鈴のような小さな音を響かせた。 俺は嬉しくなり草の絨毯のような地面に座り、持って来たおにぎりをリュックから取り出し精霊達に分け与えながら一緒に食べた。 そよ風に見守られた美しい森…やっぱりこの場所は落ち着く。 空気も綺麗で余計な騒音もなく、安らぎしかない。 誰もいない精霊だけの空間で、まだ夢の中にいるようだ。 芝生に寝転がり空を眺めると雲一つない青空が広がっていた。 「ハイドさん…」 自分でも驚くくらい消えそうなほど小さく呟き、瞳を閉じた。 もうハイドさんの夢は見ず、リラックスして深い眠りに落ちた。

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