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第2話 主の庭で
「にゃぁん」
風が吹いて、ひげが揺れる。
出かけていた主がここにもどった。
主が言うには、力を持った『ヌシ』と呼び合う妖が他にも何人かいて、それぞれに縄張りを持っているのだそうだ。
『ヌシ』が住まう、この世であってこの世でないところを、庭と呼ぶ。
わしに力を与えてくれた主は、街の中にある、大きな公園がくっついた社に祀られている。
社から通じる主の庭には、わしと同じように主に気に入られて人の姿を与えられた眷属が住まう。
主の使役がわしらの世話をしてくれてて、わしは猫の時と変わらず気ままに過ごす。
主の言いつけさえ守っていれば、安全に安心して暮らしていられる。
それでも、どうしても思いきれんわしの心残りを聞いて、主が水鏡を設えてくれた。
今日もわしは主の庭で水鏡を覗く。
ひだまりでゆらゆらと尻尾を揺らしながら。
主の庭では、猫の姿でも人の姿でもどっちでも過ごせるのが、いい。
けど、気持ちの良いときには、尻尾が出る。
出した尻尾をゆらゆらさせるのは、ホントに気持ちが緩くなっている時で、主はわしがそうしているのを見るのが好きだと言う。
安心してだらけているわしを見ていると、自分がそうさせてやれているのだと、満足するのだと言っていた。
だからわしは、わしをかわいがってくれる主のためにも、尻尾を揺らしてしまうくらいに快適に過ごす。
「サバトラ、サバトラ」
わしは猫の姿の時の毛色から『サバトラ』と呼ばれていて、人の姿になってもなんかそんな感じの髪だ。
猫としては結構な歳だったと思うのだけど、ニンゲンで言うとこ若者の雄の姿している。
人の姿の時は、世話役から衣を着せつけられる。
別にこだわりはないから、着てろと言われるなら着るけどな。
大抵は白衣に紺袴。
「なんやミサキ」
ぱたぱたと軽い足音を立て渡殿を走ってきたのは、真っ黒な髪を鬟に結い真っ黒な水干を着た童。
元は烏だったのだという、ミサキ。
「オサキがおらんの。どこや知らん?」
「知らんな。厨やないのか?」
「おらんのやもん。主さまがまた猫拾ってきはったし、教せたろと思ったのに」
ミサキが探しているのは、近所の別の『ヌシ』から預かっているオサキと呼ばれる狐の子。
毎日毎日、二人して仲良く走り回っては、世話役たちを振り回している。
っていうか!
「猫?」
わしがいるのに、また、猫?
「あ、そやった。主さま、サバトラも呼んできてって言わはったんやった」
「それを早ぅ言わんかい!」
ミサキを放って主の御座所に走る。
他に眷属がいるのはまだいいとしても、わし以外の猫とは聞き捨てならん。
「主ー!」
縁側に座る主を見つけて、声を上げる。
どういうことだ?
どういうことだ!
「おや、サバトラ来たか?」
勢いを殺さずに思いっきり踏み切って飛びついたのに、何事もないかのように主はわしを受け止める。
腕の中に収めて暴れられないように四肢を抱え込み、鼻先をすりすりと寄せて匂いを嗅ぎ、わしの耳を甘噛みする。
「今日もお前はかわいいなあ」
「聞いたぞ主、どういうことだ!」
「おうおう、そういきり立つでない。ほれ、よう見てみい」
言われて主の袖の影を見た。
警戒するようにひしっとしがみついているのは、やっぱり猫。
でも、この匂い。
どこかで見た毛並み。
スン、と鼻を鳴らして確認する。
「……イナバ?」
「……アイシア?」
「うわあ、イナバ! イナバや! また会えた!」
「アイシア~会いたかったよぅ~! お前、おらんなって、寂しかったよぅ」
主の腕が緩んだので、わしは兄弟に跳びかかる。
兄弟が猫のままなので、わしも猫の姿になって、じゃれついた。
匂いを嗅いで甘噛みして、くるくる回る。
息が切れるまで走り回って飛びついて、ようやっと落ち着いて、尻尾を絡めあいながら人の姿になる。
わしとほぼ同じ顔。
同じ白衣に紺袴。
毛色は猫の時のままのチャトラ。
わしの兄弟。
額をすり合わせて、鼻をすり合わせて、ふふふと笑った。
兄弟の目からほろほろと水がこぼれる。
「サバトラが二匹おる」
「けど、チャトラや。色違い」
「顔がちょっと違う」
「ホンマや、ちょこっとちゃう」
いつの間にか、主の両脇に座っていたミサキとオサキが不思議そうな顔をして、わしらを見た。
ミサキが手で両目を吊り上げて「サバトラ」と言い、オサキが手で両眼を引っ張ってたれ目にして「新入り」と言った。
「主」
「お前を手元に置いたら、存外かわゆうてなあ……猫がおるのもええなと思たんや。チャトラはお前がこっち来てから、寂しそうやったしな」
「お前がおれを捨てるわけない思たけど、どこにもおらんし、もう死んでしもた思たん……夜は寒いし寂しかったん」
わしの腕にしがみついて兄弟がぐすぐすと鼻を鳴らす。
「水が出て、目ぇ見えへん」
「お前、泣いとんにゃ」
「あの人みたいや」
「ホンマやな」
口を寄せて、目から出る水をすすった。
ちょっとしょっぱい。
まだ猫だった時に人のをなめた時と、同じ味がした。
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