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第3話 主の許し
「サバトラ、チャトラ、お前ら名前あったんか?」
来い来いと、主が手を伸ばす。
兄弟を引っ張って一緒に頭を差し出した。
主に撫でられるのはなかなか気持がいいのだ。
「わしの名、いうか……時々餌くれる人が、わしらのことそう呼んでたんです」
「他の人は他の名前やったけど、なんか、あの人は特別やったんで……アイシ……サバトラがあの人だけは触らしてたし」
「イナバ」
「ええ、ええ、サバトラに特別な人がおるんは知ってんねや」
そのために水鏡もやったやろ、と笑いながら主は言って、わしの耳の下をくすぐる。
主の指は気持いいけど、くすぐりはあの人の方のが好き。
時々、社にきて公園でぼーっと座ってた人。
温かかったその手を、今もはっきりと覚えている。
手ずから食べ物を与えてくれた。
小さな声でわしにいろんな話を聞かせてくれた。
その声が心地よいと思ったのだ。
好きな匂いがする人間と、そうじゃないのがいるのは、あの人が社に来るようになって知った。
ニンゲンの大人というのは、存外よく泣くものだというのも。
ふとした時に消えてしまいそうな笑い方をするくせに、なんか図太そうだとも思った。
気になっていたけど飼われるのは嫌で、でも一人で泣いているときにはやっぱり気になって、傍にいた。
わしがここに来てしまって、またあのニンゲンが一人でぼーっと座っているのは、水鏡で見ている。
今でもわしに与えるための餌を公園に持ってきているのも、知っている。
「サバトラの心残りや。心残りはない方がええさかい、節会の百鬼夜行の時にお前を送ってやろうと思うてな。されど、ここに猫がおらぬようになるのは寂しい故、チャトラを連れてきた。サバトラとチャトラは縁が結ばれておるから、なんぞあったときに戻ってきやすくなるしな」
どやあって顔で、主が胸を張った。
節会の夜は季節が入れ替わるから、いろんなものが生まれて死んであちこち歩きまわる。
その行列が百鬼夜行。
「『お化け』の夜や、ニンゲンもいろんな恰好しよるし、お前が人の中に紛れても、誰も何も思わんやろ」
「お化け?」
お化けの夜?
首を傾げたわしより先に、ミサキが口を開く。
「お化けて何?」
「うち知ってる。節会の前の晩にな、ニンゲンが仮装しよるん。妖やらへの目くらましやねんて」
自慢気にオサキが答えた。
「目ぇくらましてどないするん?」
「百鬼夜行があるやろ。妖に見つからんようにするんやて。見つかってもどこの誰やらわからんように、化けとくのんやって」
「そんなん、目ぇで見る妖の方が少ないえ? 目しか使えんのは、ニンゲンくらいえ?」
「妖やったら匂いでどこの誰やって、すぐわかるもんなあ。そこがニンゲンの浅はかさやん」
「全部が全部、ニンゲンと同じことしかできやんのと違うのにな」
「な」
ミサキとオサキが話すのを聞いて「お前らは賢いなあ」と、主が頷いた。
「そんな夜や、サバトラが人に紛れて惚れたニンゲンとこに行くくらいやったら、すぐできよう。仮でも名前もろぅているなら、縁は結ばれてるよって、簡単な話や」
「そうなんか?」
「会うだけなら簡単。けど、思いを通じ合わせるのは、難しい」
住む世界が違うから、そう簡単に何度も行き来できるものではないと、主は言う。
わしは主の庭の中では猫又でいられる。
けどまだ猫又としては若輩者だから、人の世に出てしまえば何かと結び付けられないといけないのだそうだ。
「百鬼夜行について練り歩くのはええ。うっかり人の世に紛れ込むのも、一晩くらいならええ。せやけど、節会の朝までにちゃんと契りを結ばんと、お前は迷子になってしまうかもしれん」
「迷子になったらどうなるんですか?」
「どうもならん。吾の庭にも戻れず、人の世にもなじめず、漂うだけや。まあ、なんかのきっかけで力を得れば、別のとこと縁を結ぶこともできるやろうし、縁を結べばそこにはなじめる。別の百鬼夜行に紛れ込めたら妖の世には戻れるやろうけど……まあ、迷子は迷子や、そんなもんやろ」
「契り……縁を結ぶんとは違うんですか?」
さっき主はわしはあの人から名前をもらっていると言った。
「近いけどだいぶ違う。縁は名づけやけど、今のお前は仮の名やろ。そこまでの力はない。それに名づけより契りの方が結びつきは強い。両方あれば、尚更強い」
「一晩でて、忙しないですな」
「せやし、そう思う奴は夜行だけしかせんのや。わざわざ人の世に紛れようなん、思わへん」
さあどうする? と、主はわしを見る。
主が拾い上げてくれた。
ただの猫から、猫又になった。
猫の姿と人の姿を手に入れた。
主は知っていると言っていたから、わかっているのだろう。
わしは人の姿が欲しかったのだ。
この手で、あのニンゲンがわしを温めてくれたように、温めてやりたかったのだ。
主がわしをかわいがるように、わしがだらけている姿を見て満足するように、あのニンゲンにしてやりたいのだ。
「わしは、行きたい」
「そうか。そやな。お前はそう言うと思うておった」
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