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第5話 ニンゲンの匂い

 河原まで一気に走って、後ろから何の気配も来てないことを確認してから、そっと抱えていた人を地面に下した。  ペタンとへたり込んだ前にかがんで、顔を覗き込む。  びっくりしてる顔。 「……大丈夫か?」  声をかけて首元の匂いを嗅いだ。  うん、怪我もないし健康の匂い。  ぼんやりと周囲を見て、自分の手を見て、それからわしの顔を見て、わしの身に着けた毛皮を見て、何度か口をハクハクさせてから、小さい声が聞こえた。 「アイシア……?」  嬉しくて尻尾がふぁあってなった。 「そうや」 「いや、でもそれおかしい。アイシアは猫やし、もうずいぶん前に姿が……」 「猫又になってん」 「人のはずないけど、この毛色は正しくアイシア……さっき、イナバっぽいチャトラの人もいた……」 「そうや。そうやで。会いたかってん。そやしな、お化けに紛れて来た」 「お化け?」 「節分の百鬼夜行」 「ああ」  ずいぶん前に姿を消したと言いながら、全然忘れられてなかったことに、うるうるって喉が鳴る。  素肌に触れないように気を付けて、頭をぐりぐりとこすりつけた。 「夢でも見てるのかな……この甘え方、めっちゃアイシア……」 「だってわしやもん」  夢みたいなのはこっちの方だ。  諦めていたニンゲンに手が届いてる。 「あんな」 「ん?」 「夢やないねん。会いたくて会いに来てん。だから、わしの番になって」 「……はぃ?」  腕を伸ばして、主がしてくれるように抱きしめた。  腕の中にニンゲンがいる。  猫の時には気がつかなかったけど、ずいぶんと細くて小さいと感じる。  かわいい。  全部の匂いを嗅いで、わしの匂いをつけて、かわいがりたい。 「名前教えて。わしに名前つけて。ほんで、わしと交尾して、番になって」 「いや。いやいやいや、ちょっと待って。猫……やろ?」 「人の姿も持ってる。猫又になった」 「でも、猫やろ?」 「なあ、アカン? 番にはなれん? 好きやねん。猫の時からずっと好きやってん。お前の今までの男みたいに、お前泣かせへんから。他の雌には目もくれへんし、大事にするし、寂しがらせへんし、わしが餌食わせる。教えてくれたら人の世で仕事もする。お前に貢がせたり、あんな下衆にお前を触らせたりもせえへん。わしの前で他の雄と交尾なんて絶対にさせへんし、他の雄の前でお前と交尾して見せびらかしたりもせえへん。っていうか、他の雄にお前を見せるのもいやや。わしは猫やから、パチンコやらも知らんし手ぇ出さへん。お前の誕生日とかに、他の雌に貢ぐもんをお前の金で買ぉたりせえへん」  わしの腕の中で、固まっていた身体をますます縮こませて、小さくなっていく。  なんや、なんや? 「どうしたん?」 「おれの嫌なことが、具体的過ぎて……」 「お前がわしに教えてくれたんやで。こういうことされて悲しかったって。そやし、わし、お前にそんなん絶対せえへん」 「あー……改めて他人の口から聞くと、自分の見る目のなさが情けない」  ぎゅうっと小さくなってしまうから、抱え込んで背中を撫でた。  かわいい。  でも、急がなくては時間がなくなる。 「なあ、アカン?」 「お友達からおつきあいしてくださいってのは、なし?」 「ないな。わし、時間ないねん。主に頼んで人の世に出してもろたけど、今夜中に交尾できやんかったら、もう……」 「は? なにそれ。人魚姫か?」  バッと顔を上げて、わしの目を覗き込んできた。  あ。  やっぱり好きや。  わしの好きなきらきら。  人魚姫とやらが何のことかわからないけど、何かを決めた目。  わしの首に腕をまわして「抱っこ」と言う。  そう言われたらするけど、何や?  横抱きに体を抱き上げたら、あっちと指をさされた。 「今更、貞操もへったくれもないし、お前に会わへんかったらあいつらに輪姦されてたんやろうし、な。いいよ。何が何やらわからんけど、俺の部屋でなら、抱かれてやる」

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