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第4話
久しぶりにリョウと一緒のランチ。
会社からは歩くが行きつけのレトロな喫茶店で食べることにした。
メニューは日替りランチかカレーの2択なのだが、食後のコーヒーが美味いこととランチ時でもゆっくりできるので気に入っている。
オフィス街から離れているが、客の入りは良い。
「暁良とメシ食べるの久々だな。リカバリは大丈夫だったか?」
「いやいやいや!どう考えても、話題はオレよりお前だろ!…大丈夫なのか?」
例の橘さんを実際に見て、正直に部署が違って良かったと思った。
俺なら辞めてる。
1ヵ月、いや1週間で辞めてる。
「"今"は大丈夫かな。」
「そっ…か…。」
「3億当たったら辞めてるし、どっかの社長令嬢が今すぐ婿入りしてって言われたら即辞めるな。」
「なんだそれ。」
クスリと笑いながら言うから、本気なのか冗談なのかが分からない。
「本当に"今"って言ったらいいのかな、今日は大丈夫だよ。でも、明日は分からない…。辞めたいとか、逃げたいとか、本気で思う時がある。」
「うん。そうだな…。」
その気持ちは何となく分かる。
「実は、橘さんの下についた最初の1ヵ月が本当にヤバくてさ。辞表書いて、転職サイトも登録したんだよ。」
「マジで!?」
「マジ。ここだけの話、凄い強引なやり方で自分の能力以上の場所へ無理矢理引き上げられてるって感覚もあってさ…。」
ただ遼は少し困ったように笑っていた。
「あの人の下で働いて、あの人に認められれば、きっと信じられないくらい成長してるんだと思う。…頭では分かってるけど、気を緩めると別の会社を探してる。それくらい毎日ギリギリのところにいる感じ…。」
自分でゴクリと唾を飲みこむ音が耳に響いた。
"橘くんの下につく子、潰されるって有名よ?"
金谷さんの言葉が凄い現実味を帯びて再生された。
「お、きたきた!久しぶりだー!」
店員が持ってきた二人分のカレー。
香辛料の良い匂いは思考よりも食欲を優先させる。
「まぁ、今のところはギリギリ耐えれるし。そうだな…。乗り切れたら、暁良からご褒美くれる?」
「やるやる!オレがあげれるなら何でもあげるよ!」
「言ったな?忘れるなよ?」
その言葉に遼はニヤリと笑った。
それから市村さんの話に花が咲き、遼がコンビニに寄る言うので別々に会社へと帰った。
もうすぐ会社に差し掛かろうかという時、エントランスを早足に出てくる人達がいた。
「市村さん!お疲れ様です。」
「あ、高丘くん!丁度良かった。…えーと、コレだったかな?はい、どうぞ。」
鞄からシステム手帳を取り出して開くと、中から一枚の付箋をくれた。
そこには俺が行き詰まっていたバックアップソフトの名前と見慣れない英数字の羅列が書かれていた。
「新しい修正情報の番号。あのサーバーと同じ事象っぽかったから、確認してみて。違ってたらゴメンね!」
「エッ!?…わざわざ、ありがとうございます!」
「たまたまね。別件の調べ物のついでだから気にしないでね。」
「…キヨさん、そろそろ。」
背後に控えていたは橘さんが時計を見ながら声を掛ける。
先程見たときのラフな印象とは違って、ワックスで整えられたロングヘアは雑誌のモデルと並んでも遜色が無いんじゃないかと思う。
「悪い、橘。行こうか。」
「いーえ。いつものことなんで。」
「トゲがあるなぁ〜。」
爽やかで清潔感に溢れた市村さん、ワイルドで派手な雰囲気の橘さん。
一見すると全く正反対の雰囲気の二人。
「あ…、お二人ともいってらっしゃい。」
市村さんは目を細めてふわりと微笑み、橘さんは驚いたように目を丸くしてからフッと不敵に笑う。
「いってきます。」
心なしか、市村さんの言葉は嬉しそうだ。
そのまま歩き出した二人の背中に思わず見惚れる。
対極にいる二人が颯爽と歩く姿は同性であっても憧れる。
その存在を知ってしまえば、目で追わずにはいられない。
(俺も、頑張ろう…….!)
温度なんて無いはずなのに、掌の付箋から熱を感じた。
午後からの仕事をいつもより早く片付けて、サーバールームに籠る。
パソコンの片隅に貼りつけておいた付箋を見ながら、手書きの番号を検索すると更新されたばかりの修正プログラムの情報が出てきた。
「うわ…、本当に一緒だ。」
修正プログラムを適用して、再起動をする。
妙な期待感で心拍数が上がるのが分かる。
リカバリを実行してテストデータが復元されていれば、完了だ。
「…できた……。」
自分が指定したフォルダに蘇ったバックアップデータ。
「できたぁぁ〜………!」
誰もいないサーバールームに響いた声は自分でも情け無いくらい気の抜けたものだった。
金谷さんの足を引っ張らずに済んで良かった。
お客様にちゃんとしたものが出せて良かった。
数日間、自分を追い詰めていた焦燥感はようやく終わりを告げた。
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