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第7話
橘さんが煙草の断りを入れると、慣れた手つきで火をつけた。
何気ない仕草も、この男がすると妙に絵になる。
「…圭佑、そろそろいいんじゃない?」
市村さんはソフトドリンクのメニューを眺めたまま、ポツリと言葉を落とす。
橘さんは煙草を吸いながらうつ伏せの遼を確認して、煙を出しきった。
「…杉原ってオレのグチ言ってる?」
ほろ酔い気分の頭は一気に冷める。
「えーっと…。」
どう答えるべきかと脳がフル回転で考える。
言葉を選ぶ俺から何かを察した橘さんは煙草の灰を落としながら笑った。
「ちゃんとグチってるみたいだな。」
「いや!そんなことは…っ!」
「クククッ…。杉原は良い同期を持ったな。」
「圭佑。あんまり困らせるな。」
市村さんにたしなめられる橘さんは悪戯が成功した子どもみたいだ。
「悪い。まぁ、自分がどう噂されてるかくらい知ってるから、ついね…。」
金谷さんの言葉が蘇る。
俺だって一緒に仕事をしたいとは思わない。
「厳しくしてるつもりはないんだけど、厳しいんだろうな…。上司から何度も注意されてる。」
「そう、だったんですか…。」
「ま、変えるつもりもないけど。…ついてこれなければ、それまでだろうし。」
先程までと全く変わらない穏やかな口調だけど、真剣な言葉に姿勢を正す。
「圭佑の下に後輩をつける事自体が久々でね。耐えれる見込みがないと上もつけられないから…。」
市村さんも苦笑してるけど、否定しないところをみると橘さんと同じスタンスなんだろう。
「もし杉原がグチってきたときは、全面的に肯定してガス抜きして貰えると助かる。」
今日、俺が誘われた本当の理由が分かった。
隣で潰れた遼に目をやる。
ここまで気にかけて貰えるコイツが少しだけ羨ましい。
「もちろんです…。」
「…もし、杉原が本当にヤバいと感じたら教えてくれるか?俺の下からは外すから。」
「はい、分かりました。」
橘さんは煙草を消すと、息を吐く。
「歳とったなぁ…。」
「昔の圭佑だったら、間違いなくこんな事頼まなかっただろうね〜。」
二人は懐かしむように笑った。
穏やかな空気の中で、くだらない話ばかりをしていたらあっと言う間に時間が過ぎた。
個室の扉をノックする音の後、店員が顔を出すと申し訳なさそうに店じまいを告げた。
入口に近い俺が伝票を受け取って、扉が閉まると同時にテーブルに身を乗り出した橘さんに手から伝票を抜き取られる。
「あ、出します!」
「いーから。杉原、起こしてやれ。」
橘さんは中を確認すると現金を挟んでそのまま市村さんに渡した。
「いや、でも…!」
「そうそう。先輩には甘えておきなさい。」
市村さんにニッコリと微笑まれて、そう言われれば従うしかない。
これで引かないのは無粋だ。
「じゃあ、お言葉に甘えて…。ご馳走様です!ありがとうございます!」
ラッキーって思う人もいるだろうけど、俺は自分が飲んだ分くらいは払いたいと思う。
今日みたいに飲んだ量が多い日は尚更気が引ける。
先輩二人にペコリと頭を下げてから、申し訳なさを誤魔化すように隣で寝ている遼を手荒に揺らす。
「リョウ!起きろっ!」
「ン〜…?」
「ほら、水!飲んだら帰るぞ?」
「ん〜……。」
うつ伏せの顔を何とか上げた瞬間に急いで水を飲ませる。
オレより大きな男を担いでタクシーを捕まえる事ほど厄介なこともない。
殆ど目が開いていないが意識はあるようなので、コートを背中に被せて着るように促すと自分の帰り支度を始めた。
「慣れてんな…。」
「同期と飲むとコイツの世話は大体オレになるんで…。」
「高丘くん意外とお酒強いよね。」
「…よく言われます。」
橘さんと市村さんの言葉に苦笑いしながら、座ったまま器用にコートを着る遼の周りに忘れ物がないかを確認する。
「…あ!高丘くん、携帯番号って聞いてもいい?」
市村さんの一言に思わずフリーズした。
喜びと驚きで停止した脳は上手く言葉を選べずにいる。
「…。キヨさん、パワハラですよ?」
「エッ!?そんなつもりじゃなくて…!ほら!会社の携帯とかあるじゃん!?」
「キヨさんが教えたらいいんじゃないですか?」
「あ、そっか。じゃあ…はい、コレ。」
そんな俺を見て橘さんがフォローのように会話を進めるが、決して教えたくないわけじゃない。
その間に市村さんがカバンから一枚の名刺を差し出した。
ビジネスシステム基盤事業部
市村 清澄
未だかつて、こんなに心が震える名刺があっただろうか…。
(うっ…わあぁぁぁ!!!ホンモノ!市村さんの名刺!!キヨスミってこんな字なんだ!)
手にした名刺をマジマジと見つめる。
自分と同じ見慣れたデザインなんだけど、市村さんの名前書いてあるだけで特別感が違う。
「良かったら連絡して?また飲もうね。」
「〜ッ!!っはい!喜んで!」
「ほら、圭佑も。」
「いや、俺のはいらねーだろ…。」
「俺だけパワハラって言われるだろ。」
橘さんは溜め息を吐くとカバンから名刺入れを出し、俺の手の上に名刺を重ねた。
ビジネスシステム基盤事業部
橘 圭佑
「どーぞ。ほんと無理に連絡しなくてもいいからな?」
「いえ!…さっきの件もありますし。」
困ったように笑う橘さんに慌てて否定する。
短い時間だけど一緒にいて、橘さんが悪い人じゃないことはよく分かったから。
座ったまま器用にコートを着た遼に目をやる。
オレの視線に気づいた橘さんも優しい目で遼を見る。
「そうか…。…オラ!杉原、帰るぞ!さっさと起きろ!」
そんな内面を隠すように、橘さんは乱暴な言葉と一緒に遼の腕を引っ張り上げた。
きっと遼が橘さんのあの目を見る事はない。
けど、それがこの二人には丁度良いのかもしれない。
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