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第4章 2

 見慣れた家の前で、俺はインターホンに指を掛けた。数年ぶりに訪れるというのに、まるで昨日来たばかりのような錯覚を覚える。 「お、待ってたよ。鍵開いてるから入って」  モニター越しに俺だとわかったのだろう、名乗る前にそう言われた。機械を通しても変わらない蒼空の声になぜか安心する。  壱星ではなく蒼空に会うことになってしまったのは順番が逆なような気もしたけど、仕方がない。壱星に約束をすっぽかされてしまい、苛立ちと不安を抱えて自宅へ引き返している電車の中で、ちょうど蒼空からゲームで行き詰まってしまったという連絡を受けたのだ。メッセージのやり取りは面倒だし、暇なら家に来られないか、そう言ってきたのは蒼空だった。 「お邪魔しまーす」 「うぃーっす。今誰もいないから適当に上がって。弟が夕方帰ってくるんだけど、それまで留守番しとけって言われてすげぇ暇でさー」 「陸斗(りくと)、どっか行ってんの?」 「友達の家。あ、智暁、何飲む?お茶でいい?」 「何でもいいよ。サンキュ」  廊下まで出迎えに来た蒼空は、俺の顔を見るとすぐにキッチンの方へと歩き出した。靴箱の上に飾ってある写真の中から、数年前に会ったきりである蒼空の弟の顔を探しながらスニーカーを脱ぐ。今は10歳くらいだろうか。ガキっぽかったのに、もう少年って感じ。  後を追うように俺もキッチンへと入ると、両手にコップを持った蒼空が振り返った。 「あ、そういえばさ、智暁。そこにある本、お前の家に持ってかなきゃってお袋が……」  テーブルの上に置かれたレシピ集を顎で指しながら何かを言いかけた蒼空は、俺のことを上から下まで一瞥して口を噤んだ。 「何?これ、持って帰ればいいの?」  蒼空の母親とうちの母親はよくこういった本の貸し借りをしている。 「いや、まぁ、そうなんだけど。今度でいいよ」 「何で?」 「智暁、今日この後どっか出掛けんの?ごめん、呼び出しちゃって」 「え、別にどこも出掛けないけど……」  あ、そうか。こいつは俺の服装を見て何かを察したんだ。徒歩10分も掛からない蒼空の家に来るだけにしては、俺がめかしこんでいると思ったんだろう。  そのことに気が付くと、途端に惨めな気持ちが込み上げてくる。 「あ、そうなの?もしかして何かの帰り?」 「……や、ドタキャンされた」 「え?」 「だから、その、彼女に……」  状況を理解した蒼空は一瞬気まずそうに視線を落としたが、すぐに小走りで俺の隣に寄ってくると肩をぶつけるように小突いてきた。 「ははっ、ドンマイドンマイ。せっかくのオシャレが無駄になんなくてよかったな!俺に見てもらえてさ」 「うるせぇな」 「せっかくだから晩飯もうちで食う?母さんと妹にチヤホヤされんじゃね」 「調子乗んなよ。ほっとけ」  いつものようにふざけ合いながら、2階の蒼空の部屋へ移動する。  昔からレイアウトの変わらない蒼空の部屋をぐるりと見渡すと、本棚にずらっと並ぶ漫画の単行本が目に入った。最近アニメ化された流行りの漫画が全巻揃っている。 「すげーな。浪人生だったとは思えない漫画の量」 「ほぼ弟のだよ。この部屋もう乗っ取られかけてる」 「あー、陸斗は自分の部屋ないのか」 「そ。だからそのうち俺が追い出されんの。大学受かったんだから出てけって。あ、智暁も一緒に住む?……なんてな」  何気ない冗談に、心臓を針で刺されたような痛みを感じる。  寝てる俺にあんなことしといて、どういう気持ちでこんなこと言ってるんだよ。 「……で、『大革命(ゲーム)』の話だろ。どこで詰まってんだっけ?」  表情を隠すために無意味に前髪に触れながら、俺は本題を切り出した。 「あー……それもう解決しちゃった」 「はぁ?じゃあ、俺来る意味なかったじゃん」 「いや、それとは別にさ。ちょっと、智暁に相談っていうか、心配事っていうか。今話していいのか迷うんだけど……。あ、とりあえず座って」  蒼空はローテーブルに置いたコップを指でなぞるようにしながら、言いにくそうに視線を泳がせる。  ……何、心配事って。  ゆっくり動く長い指先が妙に色っぽく見えてしまう。心臓が鼓動を早め、口の中が乾いてくる。急かす言葉を口にしてもいいものかどうか躊躇っていると、パッと顔を上げた蒼空と真正面から目が合った。 「智暁の友達の……砂原壱星って人のことなんだけど」 「……え?」  壱星の名前が出てきて、心臓が止まるかと思うほど驚いた。蒼空は言いにくいことを一気に話してしまおうという風に、矢継ぎ早に次の言葉を口にする。 「あの人と真宙さんがどういう関係か、お前知ってる?」 「…………は?」  目の前が急に真っ暗になったような気がして、俺はただ茫然としたまま開きかけた口をパクパクと動かすことしかできなかった。

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