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ヒヤシンス 1
「じゃあ気をつけてね。いつもありがとう」
「ありがとうございました」
「与一君によろしくね」
初老の徳さんは目尻に皺を寄せて、にっこりと微笑んでくれる。一度横田君と一緒に来て、後はひとりで。まだここへ来たのは三度目なのに、俺にも優しく接してくれる。それはきっと、与一さんとの縁からなんだろう。
「はい、伝えます。じゃあまたよろしくお願いします」
今日も徳さんから聞いたいろんなお酒の話を、メモに書き込んだ。徳さんの話を聞いていると勉強になるし、楽しくて時間があっという間に過ぎてしまう。
受け取ったウイスキーやリキュールの瓶をたくさん車に積み込むと、俺は徳さんに会釈をして丸元 酒店を後にした。
丸元酒店は、江戸時代から続く酒屋らしい。表向き、店内はディスカウントストアや大きなチェーン店と比べると、品揃えが寂しいような気がするけれど、与一さんが頼んだ入手困難なお酒や高価な国産のウイスキー。そういった、レアなものも、徳さんが人脈やルートを駆使して、手に入れてくれるらしい。
「正直最初は、ネットで注文すればいいんじゃ、なんて思っちゃったんですよ。配送もされて来るし。だけど、与一さんが注文してるお酒とか、ネットでも入手困難だって有名だったりするみたいで。え、徳さんすご、って思っちゃって。それに、徳さんのお店が大好きだから、与一さんは絶対にあそこでしか買いたくないって、言ってました。なんか、そういうのいいなって、思ったんすよね。与一さんのそういうとこ、俺、好きっす」
助手席で口元を綻ばせながら、尊敬の眼差しで語る横田君に、深く同意した事をふと思い出す。
その時、俺も好きだな、って思ったのに。なんとなく口に出せなかった不思議な感覚も思い出した。
横田君の大学の卒業式が近づいて、就職先の研修を受ける為にムーンライズを辞めるまでには、俺はなんとか独り立ちすることが出来た。
横田君はまだ若いのに本当にしっかりしていて、俺にも親切丁寧に、全てを教えてくれたし、色んな取引先へ連れて行って俺を紹介してくれた。
俺は立派な年下の先輩のおかげで、なんとかムーンライズの一員に正式に加わる事が出来た。
タイムカードも無いし、朝起きてから夕方与一さんが出勤して来るまで、店にいるのは俺だけだ。
曜日ごとに出向く場所が決まっている他、その日に必要な物を与一さんから前日に聞いておいて、買いに行く。時々は車でニ時間以上の遠出をする事もあるけれど、時間に追われたり切羽詰まる様な事は無い。
後は、店に届く荷物を受け取ったり、掃除をしたり、細々とした片付け物や雑用をする。
途中休憩時間を必ず一時間取るように言われているけれど、休みなく働き詰めだった前の仕事に比べると、何もかもがゆったりとしていて、自分のペースだし。休憩なんて必要も感じない。
だいたい、横田君が大学の授業と並行して間にやっていた仕事の量を、フルタイムで俺がするのは、どうなのか、なんて思えて来る。
10時から18時まで、サボりたくなくて、空いた時間にどこか掃除をする場所はないか、なんてムキになってしまうほどだ。
初めて与一さんから貰った給料明細を見て、俺は目を丸くした。自分が思っていたよりも随分と多かったからだ。
家賃を払いたいと申し出ると、与一さんは、目を見開いてから可笑しそうに笑って、ほんと、乙都君は乙都君だね、なんて訳の分からないことを言って俺の頭をぐりぐり掻き回して一蹴した。
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