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ヒヤシンス 2
今日のミッションは、丸元酒店と、ホームセンターで電球や食器洗いの洗剤を買う事と、宅配便を受け取る事だ。海外から来る荷物で、時間指定されているから、絶対に受け取ってすぐに冷凍庫に入れる様に言われた。
与一さんの様子から、それがとても大切な物なんだろうって感じたから、なんだか緊張してしまう。
丸元酒店はすごく遠いから、今日は往復四時間車を運転した。
店に戻ると、ステンドグラスに光が射して、床に鮮やかな花模様が散っていた。
本当に綺麗だって、毎日うっとりとしてしまう。
芸術鑑賞なんて趣味もセンスも何も無い俺なのに、この窓と床に咲いた花を眺めていると、なんだか毎日幸せな気持ちになるから不思議だ。自分に、綺麗な物を愛でる感覚があることすら、知らなかった。
夜カフェだから、お客さんはこれを見る事は無いんだと思うと、勿体無いなと思う。残念なのに、なんだか自分だけの特別な宝物みたいにも感じてしまう。
この窓は与一さんのだから、俺の宝物、って感覚もなんだか偉そうで変なんだけど。
ぼーっと床を眺めている場合じゃないと、買ってきた物を正しい位置に納めて行く。
そうこうしていると、宅配便が届いた。
クール宅急便になっていて、箱には英語でもない、どこの国の物なのか俺には分からない文字が沢山書いてある。それも、10箱も。
宛名は与一さん宛てで、中身は食品となっていた。
きっと、与一さんが取り寄せた特別な食材なんだろう。貴重な物だと思うと緊張してしまう。
ずっしりと重たい箱を、慎重に運んで、大きな業務用の冷凍庫に、言われていた通りに箱のまま詰めた。
その後、与一さんが来るまで掃除をしたり椅子やテーブルを除菌したりして過ごした。
与一さんはいつも、五時頃にやって来る。その頃になると、何度も時計に目をやってしまう。
一日中1人でいるからだろうか。
前は常にたくさんの人と一緒に仕事をしていたから。
自分はひとりが好きな方だと思っていたのに、違うのかもしれない。
金属の扉がギッと音を立てると、俺はパッと振り返った。
「与一さんっこんにちはっ」
「……乙都君」
与一さんが反応するまでに、一瞬目を丸くしたのが分かった。おっと、と心の中で呟いた。
与一さんが来たのが嬉しくて……なんだかはしゃいだ様な声が出たから恥ずかしくなってしまった。そう、毎日与一さんが来るこの時間になると、ソワソワしてしまう。
ただ人恋しいのか、それが与一さんだからなのか。
横田君ならきっと、なんの曇りもない瞳でサラッと与一さんに会えて嬉しいって、言えるんだろう。
どうして、俺はそれを躊躇うんだろう。
「乙都君? どうしたの?」
「えっ? あっ、え、いいえ、なんにも」
与一さんが近くに来ていた事に全く気が付かなくて、突然顔を覗き込まれて妙に狼狽えてしまった。
「ん?」
与一さんは掛けていたサングラスを外すと、綺麗な薄茶色の瞳で俺を覗き込む。
そんな風にじっと見つめられると、グッと息が詰まってまともに呼吸も出来なくなってしまう。
与一さんは怖い人じゃないし、怒られる様な事をしでかした訳でもないのに。
「あっ、荷物受け取りました。冷凍庫に入ってます」
妙な空気を追い払おうと、お腹に力を入れてそう告げると、与一さんはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、本当に助かるよ」
与一さんはそう言って俺の肩に手を乗せた。
「あ、あと、徳さん元気でした。与一さんによろしく伝えてって、言ってました」
「うん、さっき電話くれたよ。乙都君の事、凄く褒めてた」
「……へ?」
自分のどこにそんな要素があるのか、本当によく分からない。
意味が分からなくて首を傾げていると、ずっしりと重い与一さんの手が頭に乗ってくる。
「ほんとに、乙都君が来てくれてよかったよ。ありがとう」
「え? あ、そう……ですか?」
誰にでも出来る仕事を、ただ普通にしているだけだって自覚はちゃんとある。なのに、そんな風に真っ直ぐな瞳で面と向かって褒められると、まるで自分が特別な偉業でも成し遂げたのかと勘違いしてしまいそうになる。
「俺の方が、ここで働かせてもらえて、ほんと、良かったです」
俺は、与一さんがくれる熱量の何倍もの誠意を込めて、そう言った。
それは、本当に本当に、心からの気持ちだ。
「与一さん、寒いですか? ストーブもっと着けます?」
ふいに頬を掠めた与一さんの指がすごく冷たくて、俺は咄嗟にそう言った。
「ああ、ありがとう、大丈夫だよ。でも、着けようか」
与一さんはそう言うと、しゃがんで近くにあったストーブを点火する。
お客さんの居ない間は、アウターを着て、作業をする近くのストーブだけを着けることにしている。
「乙都君、前にも言ったけど、薄着で大丈夫な温度にしなきゃだめだよ。外にいるんじゃないんだから」
「はい、すみません」
貧乏性が抜けなくて、頼まれてもいないのに節約に努めようとしてしまう。
明日からは、与一さんが来る少し前に店を温めておこうと心に誓う。
「そうじゃなくて、乙都君に風邪引かせたくないから。ちゃんと暖かいところで仕事して。上司命令だよ、分かってる?」
「え? あ、はい」
とりあえず頷いたけれど……いや、本当に分かっていなかった。
「それと、2階のエアコンも使ってる? 電気代チェックしてちゃんと使ってるか確かめるからね。我慢とかしてたら、怒るからね」
与一さんは冗談ぽく笑いながら、そんなヘンテコな命令を下す。電気代が安過ぎると怒られるなんて、なんて変なシステムなんだ。
前の工場の社長だってすごくいい人だった。
だけど、この与一さんの優しさは、普通じゃないと思う。ただのスタッフの俺にそんなにも優しくしなくてもいいし、気を遣ってくれなくてもいい。
そう、心の中では思うけれど、口には出せない。
ばあちゃん以外の人に、人生でこんなにも優しくされた事が無くて。正直、色んなタイミングで、時々鼻の奥がツンとするほど、グッと来る時がある。
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