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ヒヤシンス 3
「あ、ヒヤシンス、」
与一さんと見つめ合うとなんだか息が苦しくなって、気を逸らそうと、思い出した事を口に出した。
今日与一さんが来たら絶対に言いたかった事だ。
「ん?」
「ヒヤシンス、咲きました」
俺はステンドグラスの窓の下の棚に並んでいる、球根の入ったたくさんのグラスを指差した。
「ああ……いい香りがすると思った」
与一さんは窓辺に目をやると、目を細める。
「あ、分かります? めちゃくちゃいい匂いですよね、俺、初めてで知らなかった」
与一さんに着いてヒヤシンスの方へ行くと、グラスに手を伸ばして一つ手に取る。
白や紫やピンクの花が見事に開いて、甘い香りがする。
ズラッと並べられたグラスに水が入っていて、そこに球根が植っている。俺がムーンライズに来た頃には、葉っぱと茎に、蕾のような物が付いていた。
毎日グラスの水を変えるのも、仕事の一つだった。
植物を育てた事なんて初めてで、この二ヶ月の間だけ、横田君から引き継いだだけなのに。絶対に枯らしてなるものかと少し怖い気もした。
だから見事に花を咲かせてくれた達成感は、感じた事がないくらいの嬉しさだ。
今朝部屋から降りて来た時、嬉しくて何度も匂いを嗅いだ。
ヒヤシンスの香りが、ほんとにいい匂いで、窓辺に近づくと、甘い香りに癒される。
「ありがとう、乙都君のお陰で綺麗に咲いたね」
与一さんは俺に向き直ると、にっこり微笑む。
与一さんは、些細な事も伝えてくれる。仕事なのに。この二ヶ月で、すでに過去一年分以上のありがとうを聞いた気がする。
「あの……与一さん。俺の方が、ありがたいです。植物育てたのも初めてだし、こんな綺麗だって知らなかったし、この窓も凄く綺麗で、そういうのが好きって、自分でも知らなかったし……なんか、初めての事がいっぱいで。そういうの、知れたのは全部与一さんのお陰だから」
与一さんがしてくれる様に、俺も思ったことは伝えていこうと、最近心掛けている。
「乙都君……いい子に育って」
「へっ?」
与一さんは微笑みながらまたヘンテコな事を口にする。
「え? 子じゃないですよ」
思わず吹き出した俺の頭を、与一さんは掻き回す。
もう子どもじゃないし、成長も見守られてないし、ツッコミどころが多過ぎるけれど、この二ヶ月間ずっとこんな調子だから、与一さんだしな、なんて少しずつ受け流せる様になって来た。
二十五にもなって頭を撫でられるなんて、変だって思うのに。
慣れっていうのは怖い物だ。
初めは変だと思って気まずかったのに、今はそれが何だか嬉しくて……すんなりと受け入れているんだから。
ひとりを寂しく感じたり、スキンシップを心地よく思ったり。
ここへ来てから、自分の知らない自分がどんどん出てきて。なんだか不思議だし変な感じがする。
「乙都君、そろそろ上がって良いよ」
「あ、はい」
「これ、部屋にひとつ持って行くといいよ」
与一さんは、ヒヤシンスをひとつ差し出して言う。
「いいんですか?」
「うん、育てたのは乙都君だしね」
「嬉しい、ありがとうございます」
渡された白いヒヤシンスから、甘い香りがする。ベッドサイドの窓辺に置こう。きっと良い香りがするはずだ。
「どういたしまして」
そう言うと、与一さんは優しく目を細めた。
「天津飯、食べる?」
「食べますっ」
部屋に上がろうと奥に歩いて行く背中に声を掛けられて、反射的に勢いよく返事をした。
「あ、」
図々しかったかな、って思ったけど、振り返ると与一さんはもう卵を手にしていた。ケラケラと楽しそうに笑っている。
「少ししたら降りて来て」
「はいっ、ありがとうございます」
2階への階段を上がりながら、危ない危ないって、思う。
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