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ブルームーン 4

「何年ぶりだろー、乙都くん変わらなさ過ぎでしょ、時止まってない?」  そう言って笑う美沙ちゃんも、最後に会った三年前となんにも変わっていない。だから余計に隣に座るまーちゃんの存在が、不思議でたまらない。  まーちゃんは、一歳半になったばっかりらしい。  今日はたまたま旦那さんが飲み会で外食だから、息抜きにファミレスに来たんだって話す。まーちゃんは、短く切ったうどんを上手にフォークで食べている。 「元気そうだね」 「うん、元気だよ。美沙ちゃんもね」 「最近さ、まーちゃんと散歩したり、ベビーカーに乗せて近所をウロウロしたりするんだよね。それでさ、懐かしいなーって工場の近く通ったら、看板なくて」  ああ、と思った。 「一番に、乙都くんどうしてるかなって、思ったんだ」  美沙ちゃんが気を遣って言いづらそうなのを感じる。分かる。美沙ちゃんがどんな風に想像したのかも。俺が想像していた俺の未来像、だっただろう。  突然家をなくして、仕事も失って、行き場がなくて……。  だから俺は、あの日起こったことを全部話して聞かせた。嘘みたいにことが運んで、俺はすごくラッキーなことに、今幸せに暮らしてるって。  そうやって美沙ちゃんに話しながら、そうだ、俺ってけっこう幸せだ。ってほんとに思った。  美沙ちゃんは、俺の話を黙って聞いていたかと思うと、ふうっと息を吐いて、よかった、って呟いた。 「ありがと、そんなに心配してくれてた?」 「そうだよ、スマホの古い連絡先を辿って、誰か乙都くんに繋がる人はいないかって、探すくらいには心配してたよ」  それは、結構ほんとに心配してくれてたんじゃないか。なんて思ってしまう。なんだか、嬉しくてくすぐったい気持ちだ。 「でも、繋がらなかったんだ?」  思わず自虐的に突っ込んだけど、当然だと思って笑ってしまう。美沙ちゃんと同じ時期に働いていた人や辞めて行った人の連絡先は、ひとつも知らない。 「ありがと、心配してくれて」  俺がそう言うと、美沙ちゃんは別にいいけど、って笑った。  美沙ちゃんと出会ったのは、もう六年も前だ。俺は十九歳で美沙ちゃんは二十一歳だった。事務職で入って来た美沙ちゃんは、髪を明るく染めて、長い爪でカタカタと音を鳴らしながらキーボードを叩いていた。田舎から出て来てまだ一年ちょっとの俺からしたら、年上でしっかりメイクをした大人の女の人で、誰にも物怖じせずに自分の意見を言う美沙ちゃんがちょっと怖くて、それでいて、かっこいいと思っていた。その頃の職人さんはみんなかなり歳上で、歳が近いのは美沙ちゃんだけだった。  美沙ちゃんから積極的に話しかけてくれたおかげで、休憩時間に少しずつ話すようになって、いつの間にか、仲良くなった。  それから美沙ちゃんが退社するまでの四年間、楽しく日々を過ごした。お酒の飲み方を教えてくれたのも美沙ちゃんだったし、こんな服を着ればいいとか、髪型はこうした方がいいとか、色々と教えてくれたのも美沙ちゃんだ。  工場の人には、付き合えってよく言われたけど、お互いにその気がないことはよくわかっていた。よくわかってはいたんだけど。俺と美沙ちゃんは、少しの間、変な関係だったことがある。  二十歳の頃だった。美沙ちゃんが失恋したから慰めろって、快諾して一緒に部屋でお酒を飲んだ。お互いに大いに酔っ払った。彼氏の愚痴とか聞いて慰めているうちに、私のことはいいから俺のことを聞かせろって言われた。  だけど、恋愛経験ゼロの俺に語れることなんて、なんにもない。そう告げた言葉が、美沙ちゃんの何かにいきなり火をつけた。 「なんにも知らないで生きて来たなんて……知りたくない?」  そう言ってジッと俺の顔を覗き込む美沙ちゃんに、背中がぞくっとした。  その晩、流れに任せて初めて体を重ねた。それからしばらくの間、何度も。  だけどその間、昼も夜も、布団の中にいない時はいつも通りだったし、手を繋いだこともデートしたこともなかった。  美沙ちゃんは俺のことを恋愛の意味で好きだったわけじゃないし、俺もそうだった。  ある時美沙ちゃんが、好きな人が出来たから、もう終わりって言って、その変な関係はあっさりと終わった。  そう言われた時も、悲しいとか辛いとか、思わなかった。ただ、受け入れた。  体を重ねなくなっても、お互いの関係はその後も変わらなかった。良き同僚として、助け合って仲良く過ごした。  実はどちらかの片思いだった。なんてドラマチックな展開も、全くなかった。  体の関係が急になくなると、溜まったり発散したくなったりするのかと思ったけれど、体も簡単にそのことを受け入れて、熱を持て余して悶々とするようなこともなかった。  それに、寂しいとか悲しいとか感じない自分は、どこかおかしいんじゃないかと少し心配にもなったし、がっかりもした。  結局、俺は細胞の隅々まで、平凡と平穏を心から愛してるんだな、と理解する事で折り合いをつけた。

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