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第19話 Zerstörung

 ヴィルに足を切りつけられ、オットーと名乗った悪魔祓い(エクソシスト)はバランスを崩してよろめいた。  隙を見て、右腕に牙を立てる。オットーは驚いたように身を(こわ)ばらせ、剣を右腕から左腕に持ち替えた。  噛み付いた腕は妙に硬く、溢れ出た血も生臭い。こう表現するのもどうかとは思うが……非常に不味い。死体に噛み付いた方がまだましだ。 「クソがッ! 二人がかりかよ!」  罵声と共に、剣が振り下ろされる。  ……想定通りの動きだ。  当たる寸前で刃を避ければ、オットーは自分の腕を斬りつけることになる。……が、腕に刃がくい込む直前に剣は止まった。 「……チッ、小賢(こざか)しい手を使いやがって……」  オットーは舌打ちをしつつ、体勢を立て直す。  相変わらず、長剣以外の獲物を取り出そうとはしない。 「賊だろうが異形だろうが、人様に迷惑かけるんならとっとと死ねよなァ!」  オットーは四方八方に剣を振り回し、不平不満を垂れる。  おそらくは、威嚇のつもりだろう。……だが、その程度は脅しにすらならない。  私は多少のことでは死にはしない。  そして、この身の傷はすぐに癒える。  多少斬りつけられたところで、何のことは無い。強いて言うなれば、痛みがあるくらいだ。  とはいえ、問題は私に戦局を終わらせる覚悟がないことだ。  自らの意思で人を殺めることが、私にはできない。  慈悲といえば聞こえはいい。  特にヴィルは、私の弱さを優しさと呼ぶのだろう。  ……それが今の状況において、不利にしか働かないのだとしてもだ。 「……悪意が透けていますよ。八つ当たりの的にしているようにしか見えません」  剣の切っ先が頬を(かす)める。  様子を伺いつつ、その時点で身を引いた。  切り裂かれようが、貫かれようが距離を縮めることはできる。  だが……問題はだ。  私には、誰かを殺せない。……ヴィルに、殺させることしかできないのだ。 「だから何だ? クズどもに八つ当たりしようが何しようが、クズがクズってことに変わりはねぇだろ?」  オットーは私の言葉を鼻で笑い、少年に鋭い視線を投げる。  いつの間にやら少年は隅の方に逃げ、身を縮こまらせていた。 「おいボンクラ!! 盾になる努力ぐらいしたらどうだ!?」  怒鳴り声をぶつけられ、少年の肩が大きく震える。 「む、無茶言わないでよオットーさん……! し、死んじまうよ!!」 「あァ? ゴミカスの癖して、まだ自分に生きる価値があるとでも勘違いしてんのか?」 「ひ……っ、そ、そんなこと、言われても……」  少年は更に震え上がり、頭を抱えて(うずくま)る。その様子を見て、ヴィルもさすがに眉をひそめていた。  ……なんと、(むご)いことを……。 「その少年が罪人であることと、貴方が彼を捨て駒として扱うことはまったくの別問題です」  少年が罪人であろうが、無実であろうが、オットーの行為は許されるものではない。  たとえ相手が罪人であったとしても、無関係の人間が新たな罪を重ねることは正当化できないはずだ。 「……これだから聖職者は好かねぇんだ。甘っちょろいことばっか言いやがって」  ……待て。「聖職者は好かない」……?  妙な言い分だ。この男、悪魔祓いではないのか……? 「坊さんはいい立場だよなァ。俺の苦労も知らずに、薄っぺらい理想論ばっか並べやがる」 「……貴方は悪魔祓いではないのですか」 「ハッ、冗談言うなよ! 俺が神とやらに仕えるタマに見えるか? 強いて言うならアレさ」  オットーはげらげらと品のない笑いと共に、言葉を続ける。 「一般市民の味方……ってとこだな」  ……。  何を、言っているのだ。こいつは。 「いつの時代も、悪党のせいで被害を被るのはか弱き一般市民だ。だから、そんなクソ共から守ってやらなきゃいけねぇ。……そうだろ?」  (よど)んだ瞳で、オットーは恍惚(こうこつ)と語る。……露骨なまでの自己陶酔に、目眩(めまい)がする。胸の奥から、(こら)えがたい嫌悪感が込み上げてくるのが分かる。  隙だらけの今、攻撃は容易いが……おそらくは罠だ。様子を見るべきだろう。 「……チッ、慎重なこって。でも……もう遅いぜ」  その瞬間、割れんばかりの頭痛が私を襲った。 「あ……!?」  目の奥に、見知らぬ情景が浮かんでは消える。  なんだ。  これは。 「残念だったなァ。掠っただけで充分なんだよ」 「……! 毒か!!!」  二人の声が遠い。  現実の音をかき消すよう、頭の中に怨嗟(えんさ)の声が響く。  痛い。苦しい。憎い。うらめしい。悲しい。つらい。怖い。寂しい。  ──許さない 「あ……ぐ……っ、う、うぅううう……ッ」  繰り返される殺戮。  目まぐるしく変わる視点。  焼き付く痛みと、響く嘲笑と、動かぬ肉体の記憶。  嗚呼、私は、この感覚を知っている。  生命が踏みにじられる瞬間を、知っている。  飛び散る紅。  こびり付いた緋。  視界を埋め尽くす赤── 「神父様……? てめぇ、いったい何を……!?」  ヴィルの声で、思考がわずかに現実に呼び戻された。肩に寄り添う体温が、蝕まれる自我をどうにか引き戻してくれる。 「何だろうなァ? 当ててみろよ」  オットーは長剣を器用に片腕で(もてあそ)んでいる。  視界の隅で、少年が機を得たとばかりに走り出すのが見え……  ドクンと鼓動が高鳴る。  知らないはずの記憶が、警笛(けいてき)を鳴らす。  数え切れないほどの痛みと断末魔が、脳内を埋め尽くす。  待て。やめろ。動くな……! 「おい、誰が逃げていいっつった」 「ぎゃっ!?」  少年の襟首を掴み、オットーが剣を振りかぶる。  芳醇(ほうじゅん)な香りが辺りに満ち、転がった「それ」と目が合った。  意識が塗り替えられる。  目の前にいるのは……私だ。オットーと、ヴィルと、私が、地面に転がった「私」を見下ろして……いいや、違う。地面に転がった「私」が、私を見ている……?  胴体を失った「私」は、まるで、祖父の……  兄上の声が蘇る。  ──酷い死に方だったよ  ──首を落とされて、数時間晒し者にされた  ──最期は日に炙られて、跡形もなく……  違う声が、聞いたことのない罵声が、私の意識を別人に塗り替える。  ──その顔を向けるな! 薄汚い下郎の子が!  ──はぁ。こんなことになるんなら、産むんじゃなかった…… 「あぁあぁあぁあっ」  父に殴られた記憶が、母に蔑まれた記憶が、、次々に流れ込む。    ***  頻繁に食事を抜かれ、時には家を放り出され、そのたびに店先からパンを掴んで死に物狂いで逃げた。  やがて財布を掠め取ることを覚え、抜いた金はいくらか「父親」に渡せば、機嫌が悪くても殴られずに済んだ。  ある日、偶然、身なりのいい紳士を見かけた。男はいかにも隙だらけで、財布を盗ることはそう難しくなさそうだった。  上手くいけば、大金が手に入れば、両親に褒めて貰えると思った。  父親が自分を「不義の子」と呼び始める以前に、戻れるような気がした。  だが、それは罠だった。  男は容赦なく自分を捕らえ、「殺されたくなきゃ、言うことを聞くんだな」と、長剣を喉元に突きつけた。  ──おれは人を殺したことなんてないのに。  そんな大それたこと、するつもりなんてなかったのに。  ナイフを持たせて、「あの神父を刺せ」って……  ***  ……間違いない。  これは、あの少年の記憶だ。 「し、神父様……?」 「ハハ……どうだ? 頭をぶっ壊される気分はよォ……! 良かったなァ小僧! ゴミでも最期は役に立ったぜ!!」  はぁ、はぁ、と荒い呼吸を整え、自らの意識をどうにか手繰り寄せる。  オットーを睨みつけ、吐き捨てた。 「……こ、の……外道が……ッ!」  少年の恐怖や無念を押し退けるように、誰のものともつかない記憶が濁流のように押し寄せる。 「彼ら」の記憶は次第にひとつの意志を持ち、途切れ途切れに言葉を伝えてくる。  他でもない私に向けて、呪詛が示される。  オ マ エ モ  コ ロ ス  ……と。 「この剣は俺愛用の剣でなァ、クズの血を吸えば吸うほど、クズ達の怨みや憎しみが根付く。……お前の頭を食い潰そうとしてるのは、そういうドス黒い思念さ」  仕掛けがわかった途端、ヴィルは間髪入れずに骨の刃を構えた。刃がオットーの眼球を貫く間際、余裕ぶった声がヴィルの動きを止める。 「……残念。俺を殺しても、なんなら傷つけても呪詛は強まるぜ。……俺の分が加わるからなァ」 「な……っ!?」 「今でさえこの苦しみようだ。下手すりゃ廃人になるかもな……?」  狡猾(こうかつ)なやり口に狼狽(うろた)えたのか、ヴィルは唖然とした様子で固まる。私の身体も石のように固まり、動くことができない。 「そう焦んなよ。すぐには殺さねぇさ。じっくり楽しんでから、嬲り殺してやる……!」 「が……ッ!?」  そのまま動けない私の胸を、オットーの長剣が貫いた。舌なめずりの音が、間近で聞こえる。  激しい痛みと共に、再び怨嗟の声が意識になだれ込む。 「野郎……!!」  ヴィルの声を最後に、意識が遠のいていく。  ……その最中。  奥底に秘めていた「何か」が、(わら)ったのを感じた。 「…………おいおい……そう、来るのかよ……」  今度は、呆然とした呟きが間近で聞こえた。ヴィルではない。オットーの声だ。  地面に、黒髪の頭部が転がる。  いつの間にやら、指が、真っ赤に染まっている。  嗚呼……不快な香りだ。  味も生臭くて、とても飲めたものではない。  だが、  私はずっと……。 「……っ、ぁ……、────ッ!」  喉から、自分のものとは思えない声が(ほとばし)る。  渦巻いていた憎悪が、確かな悦楽へと形を変える。  (たの)しい。  自らの肉体から剣を引き抜く。首のない胴体に突き立てる。切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む……!  私を 嬲り、辱め、蔑み、貶め、弄び、甚振(いたぶ)った者たちを、力では圧倒的に劣るくせをして、愚かな、恥知らずの人間どもを、  引き裂いてやりたかった。  捻り潰してやりたかった。  ……殺してやりたかった……!  オットーは鳶色の目を見開き、既に事切れていた。  身体の感覚が遠い。手を伸ばし、転がった頭を潰したのが私だと、すぐには気付かなかった。 「────ッ、────!!」  獣のごとき咆哮を発したのが、私だということも。 「……神父様」  声が、聞こえる。  優しい声だ。  温かい声だ。  ……ヴィルの、声だ。 「……ヴィ、ル……」  地面に、重い何かがぶつかった音がする。  どうやら、私の腕から剣が落ちたらしい。  肉体の感覚が蘇り、手が、身体が震える。 「……身体洗って……宿、探しましょ。話は、その後っす」 「……ああ……」  何が起こったのか、自分が何を行ったのか、未だに飲み込めない。  ただ、私を抱き締めてくれる腕が、心地よい。 「……あたたかい……」  そして、今度こそ。  私の意識はふつりと途絶えた。

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