22 / 42
第19話 Zerstörung
ヴィルに足を切りつけられ、オットーと名乗った悪魔祓い はバランスを崩してよろめいた。
隙を見て、右腕に牙を立てる。オットーは驚いたように身を強 ばらせ、剣を右腕から左腕に持ち替えた。
噛み付いた腕は妙に硬く、溢れ出た血も生臭い。こう表現するのもどうかとは思うが……非常に不味い。死体に噛み付いた方がまだましだ。
「クソがッ! 二人がかりかよ!」
罵声と共に、剣が振り下ろされる。
……想定通りの動きだ。
当たる寸前で刃を避ければ、オットーは自分の腕を斬りつけることになる。……が、腕に刃がくい込む直前に剣は止まった。
「……チッ、小賢 しい手を使いやがって……」
オットーは舌打ちをしつつ、体勢を立て直す。
相変わらず、長剣以外の獲物を取り出そうとはしない。
「賊だろうが異形だろうが、人様に迷惑かけるんならとっとと死ねよなァ!」
オットーは四方八方に剣を振り回し、不平不満を垂れる。
おそらくは、威嚇のつもりだろう。……だが、その程度は脅しにすらならない。
私は多少のことでは死にはしない。
そして、この身の傷はすぐに癒える。
多少斬りつけられたところで、何のことは無い。強いて言うなれば、痛みがあるくらいだ。
とはいえ、問題は私に戦局を終わらせる覚悟がないことだ。
自らの意思で人を殺めることが、私にはできない。
慈悲といえば聞こえはいい。
特にヴィルは、私の弱さを優しさと呼ぶのだろう。
……それが今の状況において、不利にしか働かないのだとしてもだ。
「……悪意が透けていますよ。八つ当たりの的にしているようにしか見えません」
剣の切っ先が頬を掠 める。
様子を伺いつつ、その時点で身を引いた。
切り裂かれようが、貫かれようが距離を縮めることはできる。
だが……問題はそこから先だ。
私には、誰かを殺せない。……ヴィルに、殺させることしかできないのだ。
「だから何だ? クズどもに八つ当たりしようが何しようが、クズがクズってことに変わりはねぇだろ?」
オットーは私の言葉を鼻で笑い、少年に鋭い視線を投げる。
いつの間にやら少年は隅の方に逃げ、身を縮こまらせていた。
「おいボンクラ!! 盾になる努力ぐらいしたらどうだ!?」
怒鳴り声をぶつけられ、少年の肩が大きく震える。
「む、無茶言わないでよオットーさん……! し、死んじまうよ!!」
「あァ? ゴミカスの癖して、まだ自分に生きる価値があるとでも勘違いしてんのか?」
「ひ……っ、そ、そんなこと、言われても……」
少年は更に震え上がり、頭を抱えて蹲 る。その様子を見て、ヴィルもさすがに眉をひそめていた。
……なんと、惨 いことを……。
「その少年が罪人であることと、貴方が彼を捨て駒として扱うことはまったくの別問題です」
少年が罪人であろうが、無実であろうが、オットーの行為は許されるものではない。
たとえ相手が罪人であったとしても、無関係の人間が新たな罪を重ねることは正当化できないはずだ。
「……これだから聖職者は好かねぇんだ。甘っちょろいことばっか言いやがって」
……待て。「聖職者は好かない」……?
妙な言い分だ。この男、悪魔祓いではないのか……?
「坊さんはいい立場だよなァ。俺の苦労も知らずに、薄っぺらい理想論ばっか並べやがる」
「……貴方は悪魔祓いではないのですか」
「ハッ、冗談言うなよ! 俺が神とやらに仕えるタマに見えるか? 強いて言うならアレさ」
オットーはげらげらと品のない笑いと共に、言葉を続ける。
「一般市民の味方……ってとこだな」
……。
何を、言っているのだ。こいつは。
「いつの時代も、悪党のせいで被害を被るのはか弱き一般市民だ。だから、そんなクソ共から守ってやらなきゃいけねぇ。……そうだろ?」
澱 んだ瞳で、オットーは恍惚 と語る。……露骨なまでの自己陶酔に、目眩 がする。胸の奥から、堪 えがたい嫌悪感が込み上げてくるのが分かる。
隙だらけの今、攻撃は容易いが……おそらくは罠だ。様子を見るべきだろう。
「……チッ、慎重なこって。でも……もう遅いぜ」
その瞬間、割れんばかりの頭痛が私を襲った。
「あ……!?」
目の奥に、見知らぬ情景が浮かんでは消える。
なんだ。
これは。
「残念だったなァ。掠っただけで充分なんだよ」
「……! 毒か!!!」
二人の声が遠い。
現実の音をかき消すよう、頭の中に怨嗟 の声が響く。
痛い。苦しい。憎い。うらめしい。悲しい。つらい。怖い。寂しい。
──許さない
「あ……ぐ……っ、う、うぅううう……ッ」
繰り返される殺戮。
目まぐるしく変わる視点。
焼き付く痛みと、響く嘲笑と、動かぬ肉体の記憶。
嗚呼、私は、この感覚を知っている。
生命が踏みにじられる瞬間を、知っている。
飛び散る紅。
こびり付いた緋。
視界を埋め尽くす赤──
「神父様……? てめぇ、いったい何を……!?」
ヴィルの声で、思考がわずかに現実に呼び戻された。肩に寄り添う体温が、蝕まれる自我をどうにか引き戻してくれる。
「何だろうなァ? 当ててみろよ」
オットーは長剣を器用に片腕で弄 んでいる。
視界の隅で、少年が機を得たとばかりに走り出すのが見え……
ドクンと鼓動が高鳴る。
知らないはずの記憶が、警笛 を鳴らす。
数え切れないほどの痛みと断末魔が、脳内を埋め尽くす。
待て。やめろ。動くな……!
「おい、誰が逃げていいっつった」
「ぎゃっ!?」
少年の襟首を掴み、オットーが剣を振りかぶる。
芳醇 な香りが辺りに満ち、転がった「それ」と目が合った。
意識が塗り替えられる。
目の前にいるのは……私だ。オットーと、ヴィルと、私が、地面に転がった「私」を見下ろして……いいや、違う。地面に転がった「私」が、私を見ている……?
胴体を失った「私」は、まるで、祖父の……
兄上の声が蘇る。
──酷い死に方だったよ
──首を落とされて、数時間晒し者にされた
──最期は日に炙られて、跡形もなく……
違う声が、聞いたことのない罵声が、私の意識を別人に塗り替える。
──その顔を向けるな! 薄汚い下郎の子が!
──はぁ。こんなことになるんなら、産むんじゃなかった……
「あぁあぁあぁあっ」
父に殴られた記憶が、母に蔑まれた記憶が、私のものでない記憶が、次々に流れ込む。
***
頻繁に食事を抜かれ、時には家を放り出され、そのたびに店先からパンを掴んで死に物狂いで逃げた。
やがて財布を掠め取ることを覚え、抜いた金はいくらか「父親」に渡せば、機嫌が悪くても殴られずに済んだ。
ある日、偶然、身なりのいい紳士を見かけた。男はいかにも隙だらけで、財布を盗ることはそう難しくなさそうだった。
上手くいけば、大金が手に入れば、両親に褒めて貰えると思った。
父親が自分を「不義の子」と呼び始める以前に、戻れるような気がした。
だが、それは罠だった。
男は容赦なく自分を捕らえ、「殺されたくなきゃ、言うことを聞くんだな」と、長剣を喉元に突きつけた。
──おれは人を殺したことなんてないのに。
そんな大それたこと、するつもりなんてなかったのに。
ナイフを持たせて、「あの神父を刺せ」って……
***
……間違いない。
これは、あの少年の記憶だ。
「し、神父様……?」
「ハハ……どうだ? 頭をぶっ壊される気分はよォ……! 良かったなァ小僧! ゴミでも最期は役に立ったぜ!!」
はぁ、はぁ、と荒い呼吸を整え、自らの意識をどうにか手繰り寄せる。
オットーを睨みつけ、吐き捨てた。
「……こ、の……外道が……ッ!」
少年の恐怖や無念を押し退けるように、誰のものともつかない記憶が濁流のように押し寄せる。
「彼ら」の記憶は次第にひとつの意志を持ち、途切れ途切れに言葉を伝えてくる。
他でもない私に向けて、呪詛が示される。
オ マ エ モ
コ ロ ス
……と。
「この剣は俺愛用の剣でなァ、クズの血を吸えば吸うほど、クズ達の怨みや憎しみが根付く。……お前の頭を食い潰そうとしてるのは、そういうドス黒い思念さ」
仕掛けがわかった途端、ヴィルは間髪入れずに骨の刃を構えた。刃がオットーの眼球を貫く間際、余裕ぶった声がヴィルの動きを止める。
「……残念。俺を殺しても、なんなら傷つけても呪詛は強まるぜ。……俺の分が加わるからなァ」
「な……っ!?」
「今でさえこの苦しみようだ。下手すりゃ廃人になるかもな……?」
狡猾 なやり口に狼狽 えたのか、ヴィルは唖然とした様子で固まる。私の身体も石のように固まり、動くことができない。
「そう焦んなよ。すぐには殺さねぇさ。じっくり楽しんでから、嬲り殺してやる……!」
「が……ッ!?」
そのまま動けない私の胸を、オットーの長剣が貫いた。舌なめずりの音が、間近で聞こえる。
激しい痛みと共に、再び怨嗟の声が意識になだれ込む。
「野郎……!!」
ヴィルの声を最後に、意識が遠のいていく。
……その最中。
奥底に秘めていた「何か」が、嗤 ったのを感じた。
「…………おいおい……そう、来るのかよ……」
今度は、呆然とした呟きが間近で聞こえた。ヴィルではない。オットーの声だ。
地面に、黒髪の頭部が転がる。
いつの間にやら、指が、真っ赤に染まっている。
嗚呼……不快な香りだ。
味も生臭くて、とても飲めたものではない。
だが、
私はずっと……こうしてやりたかったのだ。
「……っ、ぁ……、────ッ!」
喉から、自分のものとは思えない声が迸 る。
渦巻いていた憎悪が、確かな悦楽へと形を変える。
愉 しい。
自らの肉体から剣を引き抜く。首のない胴体に突き立てる。切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む、切り刻む……!
私を 嬲り、辱め、蔑み、貶め、弄び、甚振 った者たちを、力では圧倒的に劣るくせをして、愚かな、恥知らずの人間どもを、
引き裂いてやりたかった。
捻り潰してやりたかった。
……殺してやりたかった……!
オットーは鳶色の目を見開き、既に事切れていた。
身体の感覚が遠い。手を伸ばし、転がった頭を潰したのが私だと、すぐには気付かなかった。
「────ッ、────!!」
獣のごとき咆哮を発したのが、私だということも。
「……神父様」
声が、聞こえる。
優しい声だ。
温かい声だ。
……ヴィルの、声だ。
「……ヴィ、ル……」
地面に、重い何かがぶつかった音がする。
どうやら、私の腕から剣が落ちたらしい。
肉体の感覚が蘇り、手が、身体が震える。
「……身体洗って……宿、探しましょ。話は、その後っす」
「……ああ……」
何が起こったのか、自分が何を行ったのか、未だに飲み込めない。
ただ、私を抱き締めてくれる腕が、心地よい。
「……あたたかい……」
そして、今度こそ。
私の意識はふつりと途絶えた。
ともだちにシェアしよう!