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第20話 und Ein überströmender Drang
なぜ、気付かなかったのだろう。
殺したくなかったから、殺せなかったわけではないのだと。
慈悲や、覚悟といった言葉では片付けられないほど複雑に絡み合った感情が、私の中にあったのだと。
なぜ、気付かなかったのだろう。
煮え滾るほどの殺意は、常に私の中で燻 っていたというのに。
私は、恐ろしかったのだ。
自らの憎悪が理性を食い破るのが。
平然とヒトを殺めるような、怪物に成り果てるのが……
***
黄昏の光が、重い瞼 をこじ開ける。
どうやら路地裏の、更に奥まった場所に寝かせられているらしい。
「……ヴィル?」
ヴィルは、私の顔を拭ってくれていたようだ。名を呼ぶと、今にも泣き出しそうな表情を見せた。
私の身体を強く抱き締め、掠れた声で問う。
「大丈夫っすか。痛いところとかねぇ?」
「……ああ」
ヴィルに支えられながら、上体を起こす。
まだ、頭の内側に「何か」が残っている感覚はある。受けた呪いの残滓 だろうが、先刻の凄まじさに比べれば何ということはない。
身体を起こしたところで、全身が返り血に塗れていることに気付いた。
……遠くの地面を見、自らが引き起こした惨状に言葉を失う。
ふらつく足取りで、二つの屍の方へ向かう。
切り刻まれた死体に軽く祈りを捧げ、少年の亡骸の方へと歩みを進めた。
助けられなかったことを詫び、そちらにも祈りを捧げる。瞼の裏側に、再び少年の記憶が浮かび上がる。……あまりに惨いものを見てしまった。どうか、彼の魂が救われることを祈る他ない。
「上着、脱がしますね」
返り血で汚れた上着に手をかけ、ヴィルは低い声で囁いた。
「オレ、ちゃんと言ったっすよね。無茶したら怒るって」
茶色の瞳が、瑪瑙 のように輝く。
真剣な視線に射抜かれ、身動きが取れない。
「身体に教えこまなきゃ、分からねぇんすか」
何も、返答が思い浮かばない。
血を吸い込んだ上着が、足元にぱさりと落ちる。
しばし無言の時間が続いたが、上着を拾い上げ、ヴィルは私の手首を掴んだ。よほど怒っているのか、掴む手は普段よりも力強く、強引だ。
「……いつまでも死体のそばにいるのはアレですし、とりあえず移動しましょ。こんなとこ、誰も来ねぇだろうけど……念の為っす」
振り払おうと思えば、できる。
逃げようと思えば、逃げられる。
……だが、大人しく後に続いた。
血に汚れたロザリオを、血臭の染み付いた手で握り締める。
今はただ、私を、罰して欲しかった。
***
安宿に連れ込まれ、剥ぎ取るようにすべての服を脱がされた。
寝台に転がり、険しい顔つきのヴィルを見上げる。
「優しくしませんからね」
その言葉に、黙って頷いた。
恐怖や、不安はない。……と、言うより、分からない。
自分が何を考えているのか、何を感じているのか、感覚と思考が結びつくまでに時間のズレがある。
ヴィルは獣の如く私に覆いかぶさり、噛み付くように口付けてくる。その瞬間、確かに恐怖を感じたが……すぐに、異なる感覚に溺れることになった。
「ぁ、んぁあっ、も、ゆ、ゆるし……ッ!!」
痛みは覚悟していた。……いいや、むしろ、痛みを欲していた部分もある。
だが、与えられたのは暴力的なまでの快楽だった。
「言ったじゃ、ない、すか……っ。無茶、したら、許さねぇ、って……!」
深々と奥まで貫かれ、突き上げられる。
枕に顔を押し付け、声を堪えようとも、淫らな嬌声を抑えることはできなかった。
「あぁあっ! む、無茶、など、して……なっ、ァ、あっ!」
私は、私のやるべきことを、やらねばならないことを、自分のできる限りの力で行おうとした。……だが、結果として私は少年を救えず、理性を手放し凶行に及んだ。
それは私の不徳の致すところであり、力が及ばなかったがゆえに起こったことだ。もっと上手くやれていればとは思うが、無茶をしたとは思っていない。
……しかし、弁解の言葉を紡ぐ余裕などなかった。
「ふっ、ぅ……! う、ぁあっ!く、ンッ、んぅーーーーっ!」
何度絶頂に達したのか、もはや覚えていない。
腹の奥を抉られ、腰を押し付けられるたび、目の前が白く染まる。ものを考えることすらできず、脳髄が快楽に侵されて蕩けていく。
「今日は……っ、ぐ……、甘やかさない、ん、でっ! ガチでッ、犯すんで……!」
「や、ぁ、ま、またはい……っ、て……あぁぁあっ!」
まともな思考が失われゆく中、なけなしの理性で思い知る。
今までは、加減されていたのだ、と……。
「ほら……っ、また、ナカに……出し、ます、よっ! はぁ……ッ、孕むまで……っ、ぜったい、逃がさねぇっす!!」
「ぁ、あぁっ、も、はらんでる……ッ。こども、できて……っ、できてるからぁあっ」
自分が何を口走っているのか、もはや分からない。
唇に生ぬるい感触が伝う。
舌で血を流し込まれたのだと気付いた途端、意識は白く弾け飛んだ。
***
「ごめんな、神父様。歯止め効かなくって……」
眠りの最中、わずかにヴィルの声を聞いた。
身体は動かない。これが夢なのか、現実なのかも曖昧だ。
「いやいや、あの艶姿を見たら仕方ないよ。情熱 が溢れ出すのも無理はない」
「だよな……。……ん? うぉぉぉお!? いつの間にいやがったてめぇ!?」
他の誰かの声も聞こえるが、頭がまだ眠っているのか、まともに何かを考えることができない。
「妻の能力でちょっと、ね。君達の動向が気になって匂い を辿ってみたんだけど……いやぁ、激しい夜だった。邪魔をするのも悪いし待機していたら、うっかり見入ってしまったよ」
「見入るんじゃねぇよ。帰れよ」
「ただ、何やら子作りを希望しているみたいだけど……まだ無理じゃないかな。そういう器官がないだろう、彼」
「…………わかんねぇじゃん」
「そうかなぁ」
言葉は聞こえるが、何を話しているのか、誰と話しているのか、何一つ理解ができない。
誰かと誰かの会話は、ただただ言葉の羅列 として耳に入り、思考を通さずに零れ落ちていく。
「おい何触ろうとしてんだてめぇ」
「あいたたたた! せ、性別を確かめようと思っただけだよ!」
「あぁ? 見りゃわかるだろ。神父様だよ」
「了解 、ちょっと落ち着こうか!」
そのまま、私は再び深い眠りに落ちた。
「……あんた、父親になる覚悟が足り無さすぎるわ。子作りするなら、後のこともちゃんと考えなさい」
「フラテッロ、違う違う。その話じゃない」
「……ああ、そうね。ごめんなさい。つい我慢できなくて……」
「って言うか、なんでみんな疑問に思わないんだい? コンラートくんは妊娠しないだろう?」
……その後も、よく分からない夢を見た気がしなくもない。
***
目が覚めると、目の前に悪魔祓い の二人が立っていた。
「……は?」
赤い髪で片眼を覆い隠した男と、癖のついた金髪の男……間違いない。修道院で見た二人組だ。
「驚かせてごめんなさい、大丈夫よ」
混乱を隠せずにいると、赤髪の方がなだめるような声で言う。
名前はマルティン……だったか。今は落ち着いているようだが、かつては死闘を繰り広げた相手だ。警戒するに越したことはない……はずなのだが、思わず頷いてしまった。
「って、また怪我したのね。怪我させたわたしが言うのもなんだけど、無茶しすぎよ」
「だよなぁ!! 神父様ってば無茶してるよなぁ!!」
マルティンの言葉に、ヴィルがここぞとばかりに同調する。
「おい、なぜそこで気が合う。貴様ら、いつの間に仲良くなったのだ……?」
重い身体を起こし、眉間を押さえた。
いや、別に、嫉妬をしているわけではないのだが、断じてそういうわけではないのだが、それはそうとしてヴィルの態度が以前とはあまりにも違いすぎる。
修道院で話をし、助言を貰ったというのは聞いていたが……。
すると、金髪の方……名前は確か、テオドール……いや、テオドーロだったか? が、すかさず近寄ってくる。私の肩に手を置き、爽やかな笑顔を向けて、
「君も、僕と仲良くしてみるかい?」
……と、言った。
「断る」
その手を叩き落とし、きっぱりと答える。
……しまった。よく知らない相手に失礼な態度をとるつもりはなかったのだが、なぜか勝手に身体が動いてしまった。
そこで、ようやく気が付いた。
今の私は、服を着ていない。
何事も無かったかのように装い、ベッド脇に脱ぎ捨てられた(というよりヴィルに剥ぎ取られた)服を引き寄せ、着替える。
全裸で睡眠をとること自体は何もおかしくなどない。ヴィルと関係を持つ以前の私は、半裸はともかく全裸で寝ることなどほとんどなかったが、そんなことを彼らが知るわけもない。そして、私の体質ではキスマークや噛み跡は(たとえつけられていたとしても)残らない。
おそらく、問題ない。今ならば、まだ誤魔化せるはずだ。ここで挙動不審になれば余計に怪しまれる。あくまで、自然体を装うべきだろう。
「……本題に入るわよ」
「いひゃいいひゃい 、ほっへはふへふほ はへへふへ 」
テオドーロだかテオドールだかテオドロスだかの頬をつねりつつ、マルティンが言う。
少し頬が赤くなっているように思えるが……
よく見れば、マルティンは修道女の格好をしている。
しまった。寝起きだったせいか、まったく気付かなかった。同性しかいないと油断していたが、もしや、淑女の前で着替えてしまったということになるのか?
……いや、待て。マルティンは淑女……で、良かったのか? 少なくとも名前は男性名のはずで、以前は修道士服を着ていたような気もするが……。何が何だかよく分からなくなってきた。これも寝起きのせいなのだろうか。
「まあ……その、ちょっと言い難いことではあるんだけど……あんた達を追いかけてた悪魔祓い の一人が姿を消したの」
頭の働きが鈍く、考えがなかなかまとまらない。声をかける前に話題が先へ進んでしまう。
「……オットー・シュナイダー、か……?」
色々と気まずくはあるが、仕方がない。今は話題に乗るべきだろう。
オットーは自分を悪魔祓いではないと言っていた。……マルティン達が我々にわざわざ接触したことと言い、何か、特別な事情があるはずだ。
急を要する事態の可能性も、十分にある。
「いえ、違うわ」
予想通り、マルティンは私の問いに否定で返す。
「……えっ、マジで? 違うのか」
ヴィルが呟く。
マルティンは、静かに言葉を続けた。
「その悪魔祓いはね、オットー・シュナイダー……つまり、異形化した殺人鬼に殺されたのよ」
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