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第21話 Der Kampf hört nie auf
「オットー・シュナイダーはね……本来、50年ほど前……『諸国民の春』の時代に生きた人物なのよ」
話を聞くうちに、どうにか頭が動き始める。
「諸国民の春」。欧州各地で巻き起こった革命の時代だ。
「しょこくみんのはる?」
ヴィルは、聞き慣れない単語に困惑した様子で聞き返している。
解説をしてやりたいところだが、何というのか……短時間で済ませるのは難しいというか……
「……革命の時代ですね。なるほど、社会主義を勘違いし妙な方向に拗 らせたような思想も頷けます。当時はまだ、黎明期でしょうから」
ともかく、襟を正してマルティンとの会話に望む。
まだ頭痛や不快感は残っているが、ヴィルに理解が難しい以上、私ができる限りの情報を集めておくべきだろう。
「しゃかいしゅぎ?」
ヴィルはやはり理解できていないようで、目を白黒させている。
申し訳ないが、今は情報収集に力を割 く他ない。
「ああー……確かにそうね。おそらくだけど、彼の中の人類は『秩序正しい一般市民』と『それを脅かす悪党』にくっきり別れてるわ。資本家階級 を必要以上に敵視する過激な労働者階級 と構図は少し似ているかしら……?」
「ぶ、ぶるじょ……? ぷろれたり……?」
「ええ。……もっとも、悪意の矛先はより共感されやすい属性ではありますが」
済まない、ヴィル。もう少しだけ我慢していてくれ。
「貴族の処刑ブームを正義と持て囃 す民衆がいたように、彼が盗賊をいたぶり殺すことを持て囃す民衆もいた。だから、時と場合によっては英雄視されることもあるんだったかな」
テオドーロも話に入り、ヴィルは「お前もか」といった様子でそちらを二度見した。
「よくある名前だとは思っていましたが……著名人だったとは」
「まぁ……特定の界隈ではね。数年前にイギリスで『切り裂き魔 』が出たでしょ? あんな感じの『著名』よ。もっと古く遡れば、少年を殺しまくったフランスの『青ひげ 』男爵と同じ系統ってこと」
……なるほど。名が広まるのは、必ずしも栄誉あることとは限らない。それが、悪名である場合も充分にある。
しかし、悪に魅了される者も少なくはない。あの男……司祭エマヌエルにも、常に取り巻きがいた。
私を穢れた血と断罪し、時に水をかけ、ものを隠し、面倒な仕事を押し付け、そのたびに私の反応を見ては嘲笑った者達だ。決して喜ばせないよう冷静に振舞えば、やがて嫌がらせは収まったが……その後私は吸血鬼と化し……奴らのあの目は……あの、声は……
──穢れた血の死に損ないが、何を乞いに来たというのだね
……いいや、これは、今考えることではない。今は、あくまで目の前のことに専念するべきだ。
そう思えば思うほど、思考がどす黒い怒りに呑まれていく。
「……っ」
……と、その瞬間。
下腹部の違和感に思わず声を上げそうになった。
何というのか……吸収しきれていなかった分を、身体が飲み始めたというのか……
ぞくぞくと、背筋に快感が駆け抜ける。舌で味わう時とはまた別種の「味」が肉体に染み渡っていく。
「あら、どうしたの?」
「い、いや、大したことでは……」
マルティンの問いには、言葉を濁す。どうにか、気付かれないようにしなくてはならない。
ヴィルの視線を感じる。何かを察したのか口元がわずかに緩んでいるようだが、誰のせいだと思っているのだ。
「……異形化した殺人鬼……と、言っていましたね」
話題を切り替え、どうにか誤魔化す。
「ああ 。オットーはあくまで『自分の快楽のために』盗賊をいたぶり殺した。もっともな理屈を並べていたようだけど、それらはいわば言い訳だ。彼は次第に些細な不道徳行為を行ったものですら狙い、最期は皮肉にも処刑された。……けれど、彼はなぜか死ななかった。いや、『確かに死んだのに、彼は存在し続けた』」
「……彼も、吸血鬼だったのですか」
しかし、異形を憎んでいる、もしくは嫌悪しているような口ぶりだったが、オットー本人も異形だったとは。
「いや 、吸血鬼 とはまた別物だ。彼は『他人の屍を餌にし、自分の肉体を再構築できる』。……そういう存在と化していたんだ」
……なるほど。話が見えてきた。
「他人の屍を餌に…………あっ、それで、さっきの消えた悪魔祓いの話と繋がるのか!」
どうやら、合点が行ったのはヴィルも同じだったらしい。
「おお! その通りさ ! 君、意外と頭が切れるね」
テオドーロはそう言うが、そもそもヴィルは「頭が悪い」わけではない。
「ヴィルは物覚えも良く、知能は決して低くありません。知識が足りないように見えるのは、学習の場に恵まれなかっただけです」
と、補足したところ……
「……あらあら」
「何ですか」
「いえ、何でもないわ」
マルティンの方から、生あたたかい視線を感じる。
しばらく黙っていたかと思えば、やけに楽しそうというのか、嬉しそうというのか……。
「……私はただ、事実を言ったまでです」
腕を組み、目線を逸らす。何だ、この気まずさは。
「それで、修道士マルティン。消えた悪魔祓い は黒髪に鳶色 の目だったのですか」
ともかく、今は話を先に進めるべきだろう。
私の質問に、マルティンの表情から微笑が消える。彼(いや、彼女か?)……は、ふっと視線を落とし、俯いた。
「……ええ。大量の血痕を残して、教会から借り受けた武器ごと消えていたの。その武器が『いわく付き』だったから、まさか……と思ったのだけど……嫌な予感は当たるものね……」
「……。そう、ですか……」
……身内を失う辛さは、私にも理解できる。
しかし、彼らが元はと言えば「私を殺しに来ていた」と考えれば、複雑だ。
なるべく戦いにならないよう動いていたのも、事実ではあるが……
「オットーの使っていた剣は、彼が悪意を向けそうな相手にほど効果的でね。対異形用の武器として保管されていた。ただ、取り扱いが難しいし、下手をすれば宿った『オットー・シュナイダー本人』に餌にされてしまう。まさしく両刃の剣、というわけだ」
テオドーロの説明を、マルティンが引き継ぐ。
「……わたしの責任よ」
その表情は、ひどく曇っていた。
「元々はわたしの不手際で、彼も『司祭コンラート』が吸血鬼化したことを知ってしまって……それで、この仕事を手伝わせてしまうことになったの。せめて戦闘はわたし一人でやるって言ったんだけど……倒せず怪我をして帰ってきたから、彼……武器を調達してくるって聞かなくて……」
マルティンの首元からは、包帯が覗いている。
……私がつけた傷だ。
おそらくは、この傷から分析したのだろう。遠隔武器ではなく、近接武器の方が有利だと……
「……よほど強い相手だと、誤解を与えてしまったのですね」
あの時。
本来であれば、負けていたのはこちらだ。
しかし、マルティンは私達に情けをかけ、見逃した。
その選択が、仲間の死を招いてしまったということになる。
「そうね。あんたのは馬鹿力と回復力を当てにしたただの特攻よ。戦法も何もあったもんじゃないし、そこら辺、もうちょっとそこのチンピラに教えて貰った方がいいわ。料理で例えるなら、高級素材をただ焼いただけみたいな状態ね。ある程度までの相手になら通用するけど、無謀な特攻は身を滅ぼすだけだわ」
「…………。……参考になります」
マルティンの戦闘への指摘は、あまりにも的確だった。ぐうの音も出ない、とはこのことだ。
しかし……本来は敵対関係にあると考えれば、この忠告もあまりに親切すぎる。以前私を見逃したことと言い、お人好しなのは間違いないだろうが……
「大丈夫だよコンラートくん。無理して戦わなくたっていい。君は生きているだけで素晴らしいんだ。なぜなら、その美貌と匂い が僕の心を癒してくれるからね。……ああ、愛らしい吸血鬼 くん。良かったら僕の妻にならないかい?」
テオドーロが、爽やかな笑顔を向けてくる。いつの間にやら手を握られているのだが、彼の距離感はいったいどうなっている……?
「もちろん、ヴィルくんとの関係はそのままで問題ないよ。僕の方だって、たくさん妻がいるわけだし」
「は、はぁ……???」
本当に何を言っているのだ。この男は。
「どさくさに紛れて口説くな変態。神父様から離れろ。あと死ね」
「コンラート、気を付けなさい。あんたは完全にテオドーロの守備範囲内なの。油断してたら触手に絡まれるわよ」
「痛い痛い痛い!!! ただのスキンシップじゃないか! 耳!! 耳が取れる!!」
マルティンがテオドーロの耳を引っ張り、私から引き剥がす。
そのまま私の身体はヴィルに抱き寄せられた。……いや、どういう状況だ? これは。
「その……どういうことなのだ? 修道士テオドーロももちろん聖職者で……しかし既に妻がいて……そして、男の私を妻に迎えたくて……いや、どういうことなのだ……?」
「……ッ、可愛いなぁもうー」
ヴィルに尋ねると、なぜか愛おしそうに抱き締めてくるわ頭を撫でてくるわ……本当に訳が分からない。
その瞬間、ズキン、と頭が痛んだ。
頻繁に起こることではあるが、この痛みはいつもと質が違う。
視界がぐにゃりと歪む。
暗い路地裏の光景が、引き潰された肉塊の姿が、まざまざと視える。
激しい殺意と悪意の渦が、頭の内側から私に牙を剥く。
脳裏に呪詛が響く。
オ マ エ モ
コ ロ ス
小柄な手が、転がった剣を拾い上げる。
……オットーは、剣が本体だと聞いた。
そして……
他人の屍を餌にする、と……。
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