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第24話 Was ist Gerechtigkeit?

 意識が朦朧(もうろう)とし、思考がまともな形にならない。  どこか遠くで、声が聞こえる。  私を、悪魔と(なじ)る声だ。  ……幾度となく聞いた、断罪の声だ。  揺らぐ意識の中。遠い過去の記憶が蘇る──  ***  あれは、私がまだ初等学校に通っていた頃の話だ。  四つ上の兄は勉学において非常に優秀だったが、授業に関しては早いうちから休みがちだった。 「あの銀髪、ダールマンのガキらしいぞ」 「げっ、あの家か。カウフマンといいダールマンと言い、この街には厄介な血筋ばっかり住んでいやがる」  ……兄が通学しなくなった理由を、私は痛いほど理解している。  だが、兄に比べて要領の良くない私は、罵声に耐えて通うことを選んだ。通学なしに優秀な成績を収めることなど、私には不可能だっただろう。 「ダールマンの……長男はともかく、次男は真面目な生徒だ。家がどうこうと、くだらない噂を流す方がどうかしている」  真面目に学業に(いそ)しんでいれば、そういった評判も耳にすることになった。  ……まあ、結論を言えば、くだんの教員は、ハインリッヒ司教様のように清廉(せいれん)な気持ちで私を庇ったわけではなかったのだが。 「顔ですかな。確かに、男とは思えぬ美麗な風貌です」 「まさしく。血がどうあれ、容姿だけは神に愛されたらしい」  ……。 「話によれば、悪魔や魔物の方がよほど美しい容貌をしているとも聞きますよ。奴らは人をたぶらかす存在ですからね」 「……何が言いたいのですか」 「先生、熱心に指導されてるそうですが……。もしや、(よこしま)な気持ちはありますまいな?」  …………。 「良いか。他の先生達の言うことなんて気にしなくていい。君は、僕だけを見ていれば良いんだから……」  ………………。  幼いながらに、ある程度は理解していた。  世界は、不条理なものだと。  それでも、居場所が一切ないわけではなかった。  祖父やきょうだい達は私の救いであったし、街の人間も、全員が全員迫害に加わっていたわけではない。 「またお前か」  寂れた教会に立ち寄ると、無愛想に声をかけられた。  初老の神父は名をユルゲンと言い、幼い私によく勉学や遊びなどを教えてくれていた。  顔はよく覚えていない。……確か、この時から一年も経たずに亡くなってしまわれたはずだ。 「どうした。ここはもう……。……とにかくだ。あまり、来ない方がいいと言ったはずだが」  ゴホゴホと胸の悪そうな咳をして、ユルゲン神父は突き放すように語る。  当時は既に肺を病んでいたのだろう。感染症の可能性を思えば、子どもを遠ざけるのも無理はない。 「……最近、先生の様子がおかしいんです。いじわるな先生ばかりの中、めずらしく良くしてくれるとおもってたんですけど……」  私の相談に、ユルゲン神父がどんな表情(かお)をしたのかは覚えていない。 「初等学校のか」 「はい」 「来い、詳しくは中で聞く」  ぶっきらぼうに言い、ユルゲン神父は私に手を差し出した。  病のせいか、その手指は枯れ枝のように細くなっていた。私がもっと幼い頃は、よく抱きかかえてくれたことも、軽い運動に付き合ってくれたことも、記憶の片隅に残されている。 「何もされていないか」 「えっ」 「身体をしつこく触られるようなことは?」 「ええと……肩や腰、なら……たまに……?」 「……。何かあったら、すぐに逃げろ。そして、私に……いや、お前の祖父に知らせなさい」  私の頭を撫で、彼は静かに語る。  その手は、小刻みに震えていた。 「お前は確かに美しい。落ち着きもあるし、聞き分けもいい。だが、まだまだ子どもだ。遊びたいざかりの、ごく普通の少年だ……」  記憶は薄らとしか残されていない。  しかし、私が将来を選択した際に、彼の存在がとてつもなく大きかったことは確かだ。 「わたしが神父になったら、この教会はのこせますか?」 「……やめておきなさい。到底間に合わない」 「そうですかぁ……」 「その気持ちだけで充分だ。……ありがとう」  当時の私には、まだ、何もわからなかった。  優しいはずの教員が、私に「何を」求めていたのかも。  私を抱き締めたユルゲン神父が泣いていた理由も。 「主よ……。幼子に、なんと酷な試練を与えるのか……」  その、言葉の意味も。  悪意が迫る。  私の魂を破壊せんとばかりに、過去の記憶がなだれ込んでくる。 「どうして先生の言うことが聞けないんだ! ダールマン家のお前に、あんなに良くしてやったのに……!」 「例の噂を聞いたか? あんなに大人しい顔をして教師を誘惑するとは、先が思いやられるな……」 「兄さん、姉さん、たすけてぇっ!」 「ちょっとあんた達! 弟から離れなよ……!!」 「アリッサ、一人では危険だ!」 「大丈夫! あたしがやっつける! コンラート兄さんはエルンストを守って!」 「親御さんは大層お怒りだそうだ。……もちろん、向こうのガキどもをボコしたアリッサとお前にな」 「なぜですか!? 先に寄って集ってエルンストを殴ったのはあちらです!」 「俺もそう思ったが、謝る気は一切なさそうだったな。……くそったれがよ」 「……祖父さんの処刑が決まった。満場一致だそうだ」 「そんな……! 父上がまだ帰国されていないのに……!」 「下手に庇ったらお前らも投獄するぞ、と圧をかけられた。……どうしようもなさそうだ」 「……? あれ、どうしたのお母さん(ムッティ)? 窓の外に何か……」 「ギロチンの音が聞こえる……」 「……! やめて母さん! 今すぐ窓から離れて!! 母さんっ!!!!」 「どうしたコンラート。顔が真っ青だぞ」 「あれ? お父さん(ファーティ)は? 起こしに行ったんだよね?」 「……医者を……」 「……! 疼痛(とうつう)!? 喀血(かっけつ)!? 症状はどうなの!?」 「……もう……冷たく、なって……」 「(けが)れた血が神に仕えるとは」 「自らが司祭になれると勘違いしているのか?」 「ああ……うちの教会に来るなら面倒を見よう。……純潔の方は保証できないがね」 「おや、手が滑って水を零してしまった。失敬失敬」 「いけませんよエマヌエル神父。ハインリッヒの奴に告げ口されます 」 「ああ……確か、奴のお気に入りだったか。どうだね。(ねや)はもう、共にしたのかね?」 「おい、若造。ハインリッヒ神父様はどうした。最近めっきり来ねぇじゃねぇか」 「へぇ、あんたも神父? 女みたいな顔だねぇ。そんなんでハインリッヒ神父の代わりが務まるもんかね」 「本当に男だとはなぁ。脱がしてみりゃ女になるかとばかり……」 「……で、神様がなんて? 救ってくれそうかい?」 「穢れた血の死に損ないが、何を乞いに来たというのだね」 「見たまえ。もう、男を知っている顔だ」 「大丈夫っす。……オレは、そばにいます」  聞き覚えのある声が、意識を現実に引き戻す。 「……っ、ヴィル……っ」 「へへ……今日は名前、めちゃくちゃ呼んでくれますね。嬉しいっす」  ヴィルは私の先端を(いじ)りながら、中を深々と貫いている。  その背中に縋り付き、口付けに応える。  身体の震えが止まらない。 「……ッ、あ……そ、そこに……いる……! 奴らは……私を……私を、犯し、(なぶ)って……笑うのだ……!」 「大丈夫っすよ。誰もいないんで」  ヴィルは私を優しく抱き返し、傷痕を撫でてくれる。  潰されかけた魂が、ゆっくりと、形を取り戻していく。  ヴィルは唇で胸の突起を()みながら、充分に大きくなったそれを私の深い場所へと丁寧に擦り付けた。 「あっ! は……、んんっ! ヴィル……ヴィル……っ!」  「ここにはオレらしかいません。……だから良いんすよ。弱いトコ、全部見せて……」  ずちゅ、ずちゅ、と淫猥(いんわい)な水音が部屋に反響する。 「……っ」 「あ……ッ」  ずるりと引き抜かれた屹立(きつりつ)が、顔前に現れる。 「飲むっしょ?」  ……ああ。違いない。  私は「これ」が欲しかった。  自制心はとうに消え失せていた。夢中でしゃぶりつき、溢れる精を飲み下す。  ……その時。    ──正義は俺達にある!    誰かの「声」が脳裏に閃く。どす黒い悪意が、再び私の魂を侵していく。 「……っ、う、ぐ……ぅうううっ」 「……神父様?」  ヴィルは怪訝そうに呟き、呻く私の顔を覗き込んできた。 「……気に、するな」  息をどうにか整え、その腹の上に(またが)る。  葛藤も、混濁する意識も、すべて振り払って自らの意思を告げる。  「抱け」  まだそそり勃ったままのヴィルを私自ら後ろで(くわ)え込み、奥へと導く。  ヴィルの瞳が、不安げに揺れた。 「……まさか……」  呪い、まだ効いてるんじゃ?  茶色の瞳がそう語る。 「……は……ぁ……ッ、このまま……このまま、続けろ……っ」  意識を蝕む「悪意」に抗い、畳み掛ける。 「で、でも」 「いい。……おまえの手で私を壊せ。く、ぁ……っ、快楽で……っ、ンッ、狂わせろ……!」    マルティン達がオットーを倒せば、「呪い」は強まる。  それならば、迫り来る悪意を塗り潰すほどの悦びが欲しい。  狂わされるのなら。  壊されるのなら。  他でもない。いっそ、おまえの手で……。   「……っ、たく……無理すんなっつったのに!」 「あぁあぁあっ!?」  負けじと下から突き上げられ、身体を激しく揺さぶられる。 「わかったよ……っ! アンタが……っ、悪意に潰される、はぁ……っ、前、に……ぃッ! オレがっ! 快楽でっ! ぶっ壊す……ッ!!」 「はぁっ、アッ、ぁ、う……ッ! んぁああっ!」  縋るようにして、ヴィルの手に触れる。ヴィルはその手に指を絡め、抱き締めるようにして、私の身体を(むさぼ)った。 「ンッ!? あっ、~~~~ッ! も、イ……ッ、あぁあっ!!」 「溺れてください……ッ、気持ちいいことだけ、考えて……」  耳元で囁かれ、奥深くまで突き上げられる。  強すぎる快感に、全身がわななく。間違っても深い傷が残らぬよう、どうにか理性を手繰り寄せ、ヴィルの背中に軽く爪を立てた。  これ以上は、恐ろしい。そう伝えるように。 「ぁあっ、いッ、~~~~~~ッ!!」  けれど、ヴィルは容赦しない。私を貫き、揺さぶったまま、主張する私自身を握り締める。  声にすらならない声が喉から(ほとばし)ったかと思えば、透明な液体が私の先端から噴き出す。 「──────ッ!?」 「は……ッ、潮、出てるじゃないすか……エロ……」  身体に力が入らない。  ヴィルに頬擦りされ、ぐたりと投げ出した腕を、どうにか彼の首筋に絡めた。  もっと、おまえが欲しい。  そう、乞い願うように。   一瞬、意識が「誰か」に繋がる。  見覚えのない路地裏の光景が視界に映る。  修道士マルティンが銃を構えている。「私」の方ではなく、地面に転がった長剣に向けて…… 「俺は何度だって蘇る……善良な一般市民が血を、涙を流し続ける限り、俺は何度朽ち果てても悪を駆逐する……ッ! いいや、俺じゃなくたって構わねぇ。志を引き継ぐ者は大勢いる! この世に残るべきは、栄えるべきは善だ!!」    ***   「……呪いがまだ効いてるって、なんで言わなかったんすか」  寝台の上。ヴィルは私を押し倒すようにし、問い詰める。  振り払おうと思えばできるが、あえてそのままにしておいた。  ……ヴィルの腕の中は、居心地がいい。 「暴走のことを、隠さねばならなかったからな」 「それでも、オレには言ってくださいよ」 「言えば、貴様はオットーを倒すより先に私の解呪を優先させただろう。それでは、余計な犠牲が増えかねない。『異形』を狩る専門職と連携できたのだ。封印を解いたオットーが猛威を振るうより前に、なるべく速く対処せねばなるまい」 「……ッ」  ヴィルは返す言葉もなく、歯噛みする。  申し訳ない気持ちはある。  ヴィルは愛のために道を踏み外した。私を護るためであれば、彼は他のすべてを犠牲にするのだろう。……もう、それを理解してしまった。  だが、このままではいけない。修道女マリアは厄介者と知りながら私たちに手を差し伸べ、マルティンは悪魔祓い(エクソシスト)でありながら異形である私に情けをかけた。……ならば、私も報いなくてはならない。  血を啜る異形と化していようとも。  この手が血で汚れていようとも。  後戻りできないほど、堕ちてしまったのだとしても。 「……一瞬、オットーと意識が繋がった。倒されたことは間違いないだろう」 「そりゃ、良かったっすけど……大丈夫だったんすか」  ヴィルは、心配そうに私の頬に触れる。  心地の良い温もりが、指先から伝わった。 「修道士テオドーロの解釈には、少しばかり語弊があったようだ。……オットー・シュナイダーは、あくまで『正義の男』であったらしい」  無論、歪な形ではある。それでも、彼は間違いなく正義を貫いた。 「『善き人々が涙を流し続ける限り、何度でも蘇り、悪を駆逐(くちく)する。たとえ自分が朽ちても、志を引き継ぐものは何人もいる。この世に残るべきは善性のみだ』。……そう、恨み節を遺して逝った。私を攻撃しなかったのは、悪意よりも志が勝ったがゆえだろう」  悪意はあった。……だが、正義の心もあった。  正義の心があったからこそ、私を追い詰めるよりも、自らの意志を伝えることを優先したのだ。 「……正義、ねぇ。確かに、『一般市民』にとっては正義だったのかもっすけど……」  返された言葉には、静かに首を振る。 「悪とは、なんだ。その判断基準はどこにある」  オットーが、自らの正義に従ったことは間違いない。  だが……彼が生涯を、命をかけて貫いた正義であったと理解していても、私はそれを認められない。……認めるわけにはいかない。 「駆逐されるべき悪とはなんだ。善き人々とはなんだ。喜んで祖父に石を投げ、その死を(わら)った者たちが『守られるべき善』なのか……?」  私の問いに、ヴィルは困ったように眉根を寄せた。 「……あー……たぶん、考えない方がいいっす。ほら、大抵の人間って自分勝手なもんじゃないすか……」  そのまま、私の身体を抱き寄せ、背中を撫でてくれる。「別に、気にしなくていいのに」……そんなひとり言も耳に届いた。 「誰がなんと言おうと、オレは神父様の味方です」 「……貴様は、強いな」 「単純なだけっすよ」  ヴィルは私の髪を撫で、額に口付ける。  いつも、そうだ。  私一人では到底抱えきれない重荷を、ヴィルは、嫌な顔一つせず背負ってくれる。 「単純、か……。そうだな。だからこそ、心強いのだ」  その言葉は、本心から溢れ出た。  ヴィルはきょとんと目を丸くし、恐る恐ると言った様子で聞いてくる。 「……えっと……大丈夫っすか? ほんとは精神攻撃めちゃくちゃ効いてるんじゃないすか?」  ……。ああ、まったく……どうしてこういう時ばかり鈍感なのだ、この男は……!! 「……愚か者」 「えっなんで怒るんすか」 「うるさい。着替えるぞ」  ヴィルの腕を振りほどき、ベッドから抜け出した。別に怒っているわけではない。……まあ……なんというか、その……気恥ずかしいだけだ。 「オレなんか悪いこと言いました!? だったら謝りますからぁ~~」 「いいから着替えろ。そろそろ二人が帰って来る。……二人とも裸でいれば、禁忌を犯しているとバレてしまう」  私がそう言うと、ヴィルの目が再びきょとんと丸くなった。 「神父様って、ヘンに真面目っすよね」 「……?」 「あ、いや、なんでもないっす」  私が首を傾げると、ヴィルは気まずそうに目を逸らし、続きをはぐらかす。  いったい、なんだと言うのだ……?  ……ともかくだ、マルティン達が帰って来れば、今後について話し合うべきだろう。  敵は、少ないに越したことはない。

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