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第30話 Du bist mein Licht

「自殺は罪だって、止めてみるか?」  兄上は平然としたまま、うっすらと笑みすら浮かべて語る。 「いいえ。今の私に、罪を説く資格はありません。……ですが……」  「……そんな顔するなよ。後はきょうだい三人でどうにか暮らしてくれ。……イルゼとそこの『相棒』もいるなら、安心だろ」 「……兄上……」  会話の最中、洞窟の壁が、わずかにみしりと音を立てる。  ……あの奥に、「兵器」が隠されているのだろう。 「俺は別に、お前らを犠牲にしてまで生き延びたいわけじゃない。……が、帝国軍から逃げるにも、別の生き方を探すにも気力がない。大切なものを犠牲にしてでも生き続けるか、諦めて大人しく死ぬか……さっきまでは前者を選んでたわけだが……どうにも、やる気が萎えちまった」  兄上はいつも通り、あっけらかんと語ってみせる。……いつだって、兄上はそうだった。鬱屈(うっくつ)とした想いを抱えながらも、見かけだけでは平然と笑っている人だ。 「ヤケになんのは早いっすよ。そこは『助けてくれ』って言ったら、神父様は放っとかないと思います。……神父様の願いなら、オレだって頑張れるし」  ヴィルは少し不機嫌そうに顔を(しか)めつつも、そう言ってくれる。  彼の優しさに甘え、私も大きく頷いた。 「……追い詰めてしまったのは私でもあります。そんな私が、兄上に生の苦難を強いるのは酷なのでは……とも、思いますが……それでも……」  幼い頃も、成長してからも。  私は、兄上に幾度も励まされてきた。 「生きていて欲しい……です」  アリッサや、エルンストもそう言うはずだ。誤った選択できょうだいを危険に晒したことを気にするのであれば……私とて、同じなのだから。  兄上は押し黙り、ちら、と倒れた軍曹……バウアーの方を見る。……そうして、さっと青ざめた。 「……ふ、ふふ……」  廃坑内に、バウアーの含み笑いが響く。ヴィルに気絶させられていたようだが、先程目を覚ましたのだろう。 「……ギルベルト君、なぜ、あの悪魔祓い(エクソシスト)共を黙らせる必要があったのか……真実を教えていませんでしたな」  バウアーは片手で胸を押さえてよろよろと立ち上がる。ひび割れた眼鏡を押し上げ、彼は訥々(とつとつ)と語った。 「……検分した武器の中で、実用性を試したのは『オットー・シュナイダー』だけではなく……そして、私はさる実験の際……大きな、失敗をしたのです」  自嘲気味に、バウアー軍曹は言葉を続ける。 「……失敗……?」  兄上が怪訝(けげん)そうに呟くと、バウアー軍曹は肩を震わせて哄笑(こうしょう)した。 「ふふふ……私は所詮、異国の血を引いた下士官……この失態が知られれば、処分は(まぬが)れないでしょう……」  ピシ、ピシ、と岩壁にヒビが入る。  ヴィルが瞬時に私の手を引き、入口の方へと向かって走り出した。兄上も、よろよろとその後に続く。  ……何だ、この悪寒は。 「爆薬程度で、どうにかなると思わないことです。……本当は残った方の悪魔祓いにけしかけて『処理』してもらうつもりだったのですが……予定が狂ってしまいましてねぇ……」  バウアー軍曹はブツブツと呟くだけで、その場を動こうとしない。 「なぜでしょうなあ。どれほど尽くし、功績を積み重ねても……どれほどこの国を祖国として愛しても……私は……私の血は、認められず……」  兄上が何事か言おうとした瞬間、強烈な腐敗臭が辺りに漂う。  岩壁が崩れ落ちた瞬間、ヴィルの方も鼻を押さえたのが見えた。 「どうすれば、認めて貰えたのでしょうなあ──」 「ウガァァァァァッ!!」  バウアー軍曹の嘆きは、なだれ込んだ怪物達の雄叫びにかき消され……やがて、骨の突き出た腕のみが、洞窟の床に転がった。  ヴィルと共に、怪物達の様子を伺う。  肉が腐り落ちかけ、骨の覗いた肉体。理性も知性も介在せぬような動き……  ……なるほど、火薬の匂いは、この怪物達を爆破するためのものか。吸血鬼の|匂い《ブーケ》だけでなく、死体の腐臭も隠されていたのだろう。 「グァァァァァッ!!」 「ギィィィィッ!!」 「……動く死体(レヴァナント)、ですか」 「まずいな……こうなると民家の方にまで被害が出かねない。……爆破してもキツいってんなら、まだ死ねそうにないな」  兄上がぼやく。  それぞれの戦力は大したことがなくとも、数があまりに多い。百、でもまだ足りないほどだろう。 「近所にはアリッサの家もエルンストの家もある。掃討するしかない。……俺は別に死んだって構わないが、お前は無理すんな」 「……兄上も、どうかご無事で」  兄上は返事することなく、負傷を(かば)うことすらせず怪物の群れに飛び込んでいく。その背を見つめ……私も、意を決した。 「ヴィル、おまえは外で逃げ出した個体を迎え撃て。落盤が起これば、人間のおまえはまず助からない」 「……神父様」  ヴィルが、悲痛な表情を浮かべる。  ……そんな顔をするな。決心が揺らいでしまう。 「一緒に逃げましょ。アリッサちゃんとエルンストくんだけ逃がせばいいじゃないすか。他の住人なんて見捨てときゃいいんです」 「……それは、できない」 「なんでっすか? あいつら、神父様にとっちゃ敵みたいなもんでしょ」 「だからこそだ。……私の中の憎悪に……餌を与えてしまう」  ロザリオを握り締める。 「兄上が語った『力でねじ伏せる』という考えに……本人は|詭弁《きべん》のつもりでも……共感してしまう、私がいた」 「……そんなの……仕方ねぇじゃんか……」  敵をねじ伏せる力さえあれば、祖父や、父、母、司教様ら……大切な人々を喪うことも、この身が辱められることもなかった。  ……そんな黒い感情も、私の胸の内で絶えず渦巻いている。 「神父様は、それだけのことをされたんすよ。……憎むのも恨むのも、当たり前だよ……!」 「だが……だが! 『それ』を許してしまえば、歯止めが効かなくなる……! 憎悪に身を委ね、破壊を選択した先には……殺戮を是とした先には……、苦しむ罪なき子供がいるのだ……!」  かつて、マルティンも言っていた。  ──「始末すればするほど、敵は強くなる」。  力で他者を従えたとて、その先に終わりなどない。血で血を洗う争いの先にあるのは…… 「……神父様……」  ヴィル。  おまえのように、選択肢すら奪われた民だ。  争いの果てに荒廃した大地で、人々は「奪う以外の道」を閉ざされ、自らを削りながら、少ない利益を奪い合う。そんな(むご)い世界を、肯定するわけにはいかない。 「……本当に(ずる)いよ、アンタ。なんで、こんな時にばっか本音をさらけ出して来るんだよ……!」  ヴィルの両眼から涙が溢れる。  今すぐ手を引いて逃げ出したいだろうに、私はその手を取ることができない。  …… 、その時ではない。 「事態が落ち着き……それでも私が帰らなければ、迎えに来い」  しっかりと、瑪瑙(めのう)の瞳を見つめる。  ここで民を見捨て、兄上を犠牲にした先に、私の幸福はない。  その道を選べば、。 「……待っている」  未練を振り切り、怪物の群れへと飛び込んだ。  ***  あれほど(いと)うた力を、存分に振るう。  目の前の怪物達と、私の差はどれほどだろうか。  死ぬべき時に死ねず、死してなお飢え──  ……いいや、今は、考える時ではない。 「……ッ、コンラート! さすがに数が多い! 爆破で数匹吹き飛ばすぞ! 使わないよりゃマシだ!」 「……! わかりました、兄上……っ」  兄上は傷付いた身体に(むち)を打ち、襲い来る屍を次々と()ぎ倒す。 轟音が響いた後も、屍達は次々と湧いて出てくる。……地上に向かった個体もいくらかは存在するだろう。ヴィルや、テオドーロが太刀打ち出来れば良いのだが…… 「はぁ、は……ぁ……ぐぅ……!」  兄上が膝から崩れ落ちる。  動けなくなってもなお、屍達が加減をすることはない。 「──────ッ」 「……! コンラート……!」  兄上を襲う屍達から先に引き裂き、叩き潰し、投げ捨てる。  傷が痛む。  構うものか。  理性が削れていく。  構うものか。  ヴィルはきっと、外で待ってくれている。  私が帰らなくとも、帰れなくとも、彼は見つけ出してくれるだろう。  力が身体の内から湧き上がる。  ……ああ、私は、屍などではない。  間違いなく、ここに生きている。  洞窟の崩れる音が響く。 「……!」  (うずくま)った兄上の頭上に、ぱらぱらと細かい瓦礫(がれき)が降り注ぐ。 「……もう良い。もう充分だ。逃げろ、コンラート」  身体は、勝手に動いた。 「───────!!!」  地響きが轟く中、亡者たちをかき分け、兄上の元に走り寄る。  そのまま、躊躇(ためら)うことなく覆いかぶさった。 「は……!? おい、何してやがる、逃げろバカ野郎……ッ!!!」  兄上の声が遠い。  背中に、腕に、圧し潰さんばかりの衝撃が襲いかかる。 「ああ゛……ッ!!」    私は、赦されたかった。  自らの手を汚したことも。ヴィルへの愛も。赦されたかった。  だから── 「……ッ、コンラート! コンラート! しっかりしろ、おい!!!」   兄上の声が遠い。  背中が、腕が、激しい痛みを訴える。  与えられた愛を受け取るために。  過去を振り切り、先に進めるように。  (けが)れたこの身を、罰して欲しかったのだ。

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