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第31話 Ich bin dein Gift

 幼い頃の、夢を見た。  エルンストが産まれたばかりの頃。環境の変化に戸惑っていた私を、兄上が遊びに誘ってくれたことがある。 「べ、別に、わざわざ気をつかってくれなくても……」 「いーや、今日はお前と二人っきりで遊ぶ! もう決めた!」  当時の私には、兄上が自由な存在に見えていた。奔放(ほんぽう)な兄の姿は眩しく、憧れの存在でもあった。  けれど、違った。  兄上は不自由の中で、少しでも明るく生きようとしていたに過ぎない。 「……ート……! おい! しっかりしろ、コンラート……!」  肩を揺さぶられる感触で、意識が現実へと引き戻される。  激しい痛みが、まだ、生きているのだと伝えてきた。 「バカ野郎ッ! なんでこんな真似しやがった……!」  身じろぐたび、ぴちゃりと水音が反響する。胸の辺りまで泉に浸かっているのだと気付くのに、少し、時間がかかった。 「兄……うえ……」  どうにか、言葉を絞り出す。 「ご無事、でしたか……?」  兄上はさっと青ざめ、ぎりりと唇を噛み締めた。 「ああ。……誰かさんのおかげでな」  兄上の瞳が私の左半身を映し、悲しげに細められる。  左腕を失ったのだと、その時、ようやく気が付いた。 「だが……脱出できるほどの力は残っちゃいねぇ。このままじゃ、二人とも閉じ込められて終わりだ」  ずきん、ずきんと、全身が痛みを訴える。  意識が沈みかける中、ほとんど思考を介することなく、言葉が(あふ)れ出た。 「いいえ」  信じている……などと言った、生易しいものではない。  私は、。 「彼」の想いの重量を。常軌(じょうき)(いっ)するほどの、愛を── 「ヴィルが、迎えに来ます」  ***  兄上に背負われたのは、いつぶりだろうか。 「この泉は俺ら『吸血鬼』にとっていい薬だ。しばらく浸けといてやるから、寝て休め」  兄上の言葉にどうにか頷き、痛みに苛まれた意識を手放す。  ヴィルは、怒るだろうか。  ……怒るだろうな。  それでも、私は、立ち向かわなくてはならなかった。  神に許しを乞うために。  ヴィルの愛を受け入れ、共に歩むために……  ばしゃばしゃと、荒っぽい水音が反響する。 「……良かったな。ちゃんと迎えに来てくれたぜ」  眩い光が、閉じた(まぶた)の上から眼球を突き刺した。 「神父様ッッッ!!!!」  馴染みのある声が、私を呼ぶ。  頬に、慣れ親しんだ体温が触れる。 「……! 腕……っ!? 左腕、どうしたんだよ!?」 「悪い……探しはしたんだが、見つからなくてな……」  兄上は苦しげに息をつき、私の身体をヴィルに預ける。 「……このバカ、俺が動けなくなったとたん怪物相手に散々暴れて、挙句の果てには落石から俺を庇いやがった……。……ったく、回復力も落ちてるしここらで終わりかーって思ったんだが……あそこまでされたら、死ぬに死にきれないっつの……」  かつてのように優しい手つきで、兄上は私の頭を撫でた。 「ここの泉質は俺らによく効く。……そのうち起きるだろう」  ヴィルの腕に、身体を預ける。まだ、自分の意思で動くことはできない。 「腕……見つけられたら繋がるかもしれないけど……人間の腕じゃくっつかないだろうね……」 「……ああ……。本人のはたぶん、岩に潰されただろうし……厳しいよなぁ……」  テオドーロと、兄上が話し合う声がする。 「一応、探してみるか。……あのアホ上司も、弔うぐらいはしてやりたいしな」 「まあ……君も重傷なわけだし、程々にね……?」  薄目を開けば、穏やかな光が、私達を包み込んでいるのがわかる。  ランプと……これは……ヒカリゴケ、だろうか。 「……ヴィル?」  私をかき抱く手は、震えていた。 「……もう、無理に戦わなくて良いんすよ。神父様」  薄く開いた唇から、血の味が滲む。  糧を与えられ、傷ついた肉体が癒えていく。  霞んだ視界が、ゆっくりと晴れ渡る。 「これじゃ……逃げたくても、逃げられねぇよな」  微笑むヴィルの瞳に、仄暗い(よろこ)びがある。 「言った、だろう」  彼の頬に、片方だけになった手を伸ばした。 「私を……逃がすな」  自然と、笑みが(こぼ)れる。  ああ……  光溢れる楽園でもなく。  されど、冷たい風の吹き荒ぶ荒野でもなく。  薄暗くて、温かい、彼の腕の中……  彼にはもっと、ふさわしい立ち位置があるのだとしても。……私のために、彼を、仄暗い地下に(はし)らせたのだとしても。  間違いない。  ここが、私の居場所だ。

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