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第10話

気を失っていたミサキは気が付くとほのかな香りに包まれていた。 良い匂いだった。 ホッとする匂い。 でも同時になにか心をザワつかせる。 安心と混乱を起こさせる匂いだった。 ミサキは嗅覚が原始的な本能に作用することを知らなかったし、他人によって呼び起こされる欲望はまだ分かってなかったけれど、でも、その間隔の強さはだけは理解した。 「可愛い。マジで可愛い。俺のだ。俺の」 誰かがうっとりとつぶやいていて、優しく髪を撫でるのをミサキは感じた。 雪先生の優しい手とはまた違う、なんかもっと、少し不安になるような執拗な優しさだった。 「俺の・・・俺の・・・」 繰り返す声の低さ。深さ。 優しいのに不安になる。 それに何が「俺の」なんだろう。 ぼんやりミサキは思った。 ミサキもなんだか、モヤモヤした。 優しくて気持ちいいのに、何かもっと欲しいような。 首筋にそっと指を当てられ、何故か身体がピクンとしてしまった。 わかんない。 けど、気持ちよい。 けど怖い。 安心していたはずなのに不安になって目をあけた。 そしてそのミサキのぼんやりとした目に、獣の目が見える。 オオカミ? 金色に近い茶色の。 ミサキは怖くなって叫んでしまった。 「怖がらないでくれ!!何もしない!!」 あわてたような声がした。 その声が本当に慌てていて、哀願するようだったので、ミサキは少し落ち着いた。 まだ身体は鈍い。 動かない。 でも目は開くし、声は出る。 「もうすぐ救急車が来る。大丈夫だ」 安心させようとしているのが分かった。 獣の目をした男の腕の中にいた。 大きな男で。 アルファだと分かる。 ちゃんとアルファを見たのは初めてだった。 アルファは支配や権力争いは大好きだが、顕示欲はない。 メディアに登場することはほとんどない。 でも、アルファだとわかった。 まだ若いアルファ。 若いと分かるのはしぐさがどこか子供っぽいからだ。 アルファは転化と同時に大きくなるので、もしかしたら自分とそんなに歳は変わらないのかも知れない。 美しい大きな身体。 何より、獣の目。 人間の目ではない。 強すぎる光。 獰猛さが見える。 その目が喰いいるように自分を見ている。 その目は匂いと同じ位ミサキの心をザワつかせた。 落ち着かなくなる。 匂いは初めはミサキを安心させたのに、今ではなんだか鼓動を早めてしまう。 獣が獲物を欲しがる目にも見えた。 でも、寂しがる子供の目にもみえた。 そして何か綺麗なモノを見ている目にも見えた。、 獣の目は綺麗だったが、恐ろしく不安にもミサキをさせた。 震えるミサキに、アルファはオロオロと途端に視線を泳がせた。 「怖がらないでくれ。何もしないから」 そう何度も繰り返す。 そういえば。 ミサキは思い出す。 ぼんやりしていた意識がハッキリしてきたのだ。 ベータに襲われて。 それから。 「もう大丈夫だ。お前を襲った男は二度とお前を襲うことはない」 アルファは満足気にいった。 そうか。 このアルファが助けてくれたのか。 そう納得した。 お礼を言おうと思った。 でも。 その時。 ミサキの意識がしっかりしてきたから。 最優先に知覚していた匂い以外の臭いがミサキの鼻に届いた。 それは。 最初は安心させ、今ではドキドキさせるその匂いと同時に今は届いていた。 生臭い、臭い。 何、コレ。 ミサキは思った。 それは自分の髪からも臭っていた。 ベタベタしていた。 「ああ、すまない・・・汚れているのに・・・つい」 アルファが焦ったように言った。 そして慌てて自分のシャツでその手を拭いた。 シャツは真っ赤な痕を残す。 薬の効果が切れてきたのかハッキリとミサキの目も見えるようになってきた。 何故か鮮やかに見えたアルファの目以外のモノも。 アルファは汚れていた。 生臭い赤いソレで。 手にシャツにそれは沢山飛び散っていた。 ソレが。 血だとミサキにもわかった。 ミサキは悲鳴をあげた。 アルファは血まみれで、それがアルファ自身の血ではないことは明白だった。 アルファはミサキの悲鳴に勘違いした。 「大丈夫だ。もうお前を襲ったヤツはお前に何も出来やしない」 ミサキを安心させようとした。 ミサキが「アルファ」に怯えているのだと思いもしない。 「もう二度と、絶対に」 その満足そうな言い方にミサキはさらに悲鳴をあげた。 ミサキは周りを見回そうとはしなかった。 恐ろしいものを見ることになるとわかったから。 「お前に酷いことをしたヤツは二度とお前に酷いことは出来ない」 アルファは繰り返した。 それは確かだった。 それほどまでの血を浴びているなら。 ミサキは怯えた。 叫び続けるミサキをアルファは慰めるつもりで抱きしめる。 血にまみれたままで。 ミサキが気をまた失ったのは。 自分を襲った変質者のせいではなかった。 それが。 そのアルファ、アキラとの出会いだった。

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