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第21話
「・・・この本は、好きだろうか」
アキラが言った。
ミサキが「おはよう」と呼びかけ、それにアキラが「おはよう」と返すだけの会話ではなく、何かをつけ加えてきたのは初めてだった。
驚いて目を丸くするミサキの前に、アキラは一冊の本をそっと差し出してきた。
それは古びた本で。
でもそれはミサキがずっと探していたSF小説だった。
ミサキが大好きなそのSF作家は世間的にはそれほどの評価を得られず消えて、作品のいくつかは絶版になっていた。
でも1部のSFマニアの間ではカルト的な人気があり、絶版本は高値で取り引きされている。
ミサキはその本が欲しかったけれど、でも、14歳の子供に買えるものではない、と諦めていた。
オメガは11歳くらいで結婚出来るが、実際は経済的にも精神的にも子供なのだ。
もう「ビジネス」も始めていて、社会的な権力も既に持っていて、精神的にも成熟している(とされる)アルファとは違う。
だからこそ、「オメガが選ぶことが出来る」ことになっている「番というシステム」は、対等に見えて対等ではなく、幼いオメガ達はアルファ達のいいように番にされてしまっているのだけど。
アキラと自分の差をミサキは見たような気がした。
でも。
「子供」には高額だとしても、大人ならそこまで高額ではない。
元の価値の10倍はしてても、大人なら買える金額だ。
アルファらしい贈り物だとは言えなかった。
「子供」らしくはなかったけれど。
何故、自分が好きな作家を知ってるか、は今さらだ。
受け取れなくて顔を伏せるミサキにアキラは焦ったように言う。
「誕生日プレゼントだ。【蒼い空】のもう1つの結末とも言える」
アキラが珍しく、強く言う。
いや、珍しいではなく初めてだ。
だが、ミサキは思わず反応した。
【蒼い空】はこの作家の代表作であるシリーズで、ミサキが最も好きな作品だった。
20年前前、このシリーズだけはそこそこ売れた。
それを図書館で読んだのがミサキのこの作家にハマったきっかけだった。
絶版になってない作品は全てお小遣いで買い、何度も何度も読んでいる。
それほどの作品数はないので、寮にも持ち込んでいる。
まあ、ミサキがどんな作家が好きなのかまでをはあくしているのはアキラなら当然のことなので、驚きはしないというか、もう慣れているが、アキラの言葉は意外だった。
「読んだの?【蒼い空】」
ミサキは思わず言った。
マニアックな作家なので、作品について話し合える人は少ない。
ミサキ達幼いオメガは寮生活でネットも制限されているから、尚更だ。
まあ、これは。
幼いオメガを狙う連中がいる以上仕方ない、とミサキも納得している。
もっとも、14歳になったミサキはもうベータの成人男性以上の筋力を持つのだが、それでもまだ判断力は子供なのだ。
幼いオメガを狙うベータ達は手段を選ばない。
ネットの規制は必要ではあった。
とにかく、ミサキには。
好きな小説について語り合える仲間はいなかった。
そして、アキラが自分の好きな作品を「知っている」ことには驚きはしなかったけれど、「読んでいる」のは驚きだった。
アルファの能力と「小説を読み楽しむ」ことは別だ。
多くのアルファ達は競争や闘争のための知識を得ることに貪欲ではあるが、小説などの想像力を楽しむことはあまり好まない。
彼らは今そこにある現実を、自分達が変えていくことが好きなのだ。
支配者であり、改変者。
それがアルファだから。
「【緑の館】が一番好きだ」
シリーズの中の、ミサキもお気にいり本の名前をアキラは出す。
でも、それはアキラがそれを把握しているだけかもしれない。
ミサキは疑った。
アキラはらしくないアルファだが、アルファだから。
「閉じ込められた時間が、流れ出した時にそうなるべきだったんだと納得した」
アキラの言葉少ない感想は、読んだ人間にしか言えない感想だった。
そう。
そうなのだ。
あそこでああなったのは「なるべきこと」だった。
それは本を読んで主人公との時間を共有しないとわからないことだ。
「本当に読んだんだ」
ミサキは驚いたように言った。
「俺はミサキに嘘はつかない」
当然のようにアキラは言った。
「そうだね」
ミサキはそこは認めた。
「面白いぞ。【蒼い空】の結末もこれを読むと違う風にとらえられる」
アキラが本を押し付けてきた。
珍しく沢山喋った、アキラにしては。
というより、この三年1度もなかった。
だけど。
この作家の本が本当にアキラも好きなのだ。
それは分かった。
だから受け取った。
「ありがとう。でも、お返しはできないよ」
それを言う。
どんなカタチのお返しも出来ない。
期待もさせられない。
「読んでくれたらいい。結末が蒼い空と関連があると知ってくれたなら」
そこは。
マニア独特の、「布教」っぽさもあって。
ミサキは笑ってしまった。
その笑顔をアキラは眩しいものを見るように、見ていた。
その日は初めて、本の話をしながら、本当に並んで歩いた。
ミサキも自分に驚いたが、それ以上にアキラが驚いてるので、これがアルファの【戦略】じゃないとわかった。
アルファのすることには常に【企み】がある。
彼らは良くも悪くも現実を自分の都合の良いように改変するのが大好きだからだ。
アキラは、その点では本当にアルファらしくなかった。
アキラのアルファらしく無さに、ミサキは好感を持ち始めていた。
何より。
本の話が出来るのだから。
でも。
ミサキが恋をしたのは。
アキラではなかった。
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