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第3話
哀しいかな15年生きてきてピジョンはモテた経験がない。
母と弟というそこにいるだけで周囲を華やかにする美形に挟まれ、ずっと俯いてありんこを数え、肩身の狭い思いをして生きてきた。
自分は所詮弟の引き立て役として一生を終える運命なのだろうと最近では諦観しきっている。
子供の頃から何をしてもスワローにはかなわなかった、どうあがいても勝てなかった。好敵手などと呼ぶのもおこがましい、目標と呼ぶにはプライドが邪魔をする、ピジョンにとってスワローはそんな厄介な存在だ。
何をやらせても楽々とこなす天才肌の実弟の存在は、平々凡々なピジョンをコンプレックスのかたまりへと作り替えた。
結果として彼は母から貰った名前に似合わしい心優しい少年に育ったが、ただそれだけだ。それ以外にとりえがない。したがって女の子は見向きもしない。
スワローが行く先々で女の子をとっかえひっかえしてる時も、首筋にこれ見よがしにキスマークを付けて帰ってきた時でさえも、一人悶々とベッドに突っ伏すかトイレにこもるかして客の置き土産のポルノ雑誌で慰めるしかなかった。
その理不尽に虐げられた15年の苦労が遂に報われる。
受難塗れの歳月に耐え抜いて、漸く掴んだ至福の時。
スワローに無理矢理引っ張ってこられた風俗店『ミルクタンクヘヴン』。
未婚で処女なのに何故か母乳のでる女体の神秘を体現した女の子を揃えた巨乳専門店だ。筆おろしの代金はスワローが出してくれた。アイツなりの気遣いだろうか?ただ一人の兄が永遠に童貞じゃ恥ずかしいと思っているのだろう、その気持ちには応えたい。いくら純情ぶった所でピジョンも15歳、性に興味津々な年頃だ。この頃は夜になると体が疼いて仕方ない、高鼾をかくスワローにバレないようトイレに引っ込んで熱を冷ますのも一苦労だ。実の弟に調教され、倒錯した快楽を知ってしまった体は、毎晩やり場のない火照りを持て余す。
同じベッドで眠るスワローは当然それに気付いているくせに、何故かこの頃は手を出してこない。
『兄貴は処女ビッチド淫乱野郎だから、シーツに擦り付けるだけでイケんだろ?見ててやっからイッてみろって』
そうにやにや笑って揶揄し、枕カバーを噛んで微熱に湿った吐息を殺すピジョンを眺めるだけだ。わざとじらして欲求不満に追い込んでいるのだとしたら本当に性格が悪い。
そんなこんなで脱線したが、最近のピジョンはそろそろ真面目に童貞を切るべきか悩んでいる。世の中の青少年は早熟で、十代半ばには親になる者も数多い。母がピジョンを身籠ったのもそれ位だ。とっと先越したスワローの言い分を真に受けるのは癪だけど、このままずっと童貞だったら……
童貞なのに非処女?ないないないありえない!俺はスワローのオモチャじゃない、いわんや生きたオナホでも血の繋がったセフレでもない、一個の人格を持った人間だ。このまま一生死ぬまで馬鹿にされっぱなしでいいのか、悔しくないのかピジョン?童貞を後生大事に温めて腐らせている限り、根性悪のスワローは俺の事を馬鹿にし続けるに決まってるのだ。
よってピジョンは覚悟を決めた。
「俺は今日大人になります。今までありがとう母さん」
この場にいない母に最大級の感謝を捧げる。ピジョンが案内されたのは、スイートにあてがわれた牛舎を模した個室だ。ふかふかの干し藁のベッドは抜群の寝心地。室内にはジュークボックスにロデオマシーンにピンボールなどが揃えられ、ちょっとした移動遊園地の趣だ。
ピジョンが指名したのは、本日が初デビューというスイートだ。
扇情的に透けた牛柄ベビードールで瑞々しい肢体を包み、目に毒な巨乳を弾ませて小走りに駆けよってくるや、甘えるようピジョンと腕を組む。
「オーナーが言ってた!キミがスイートと遊んでくれるひとっ?」
喋る度にグイグイと乳房を押し付けてくる。ピジョンの上腕に圧された乳房が歪み、先端の突起を感じる。スイートはややお転婆がすぎるほど快活な性格らしく、喋ってる間もとびはねるのをやめない。アップで迫るベビーフェイスの愛くるしさと、鼻孔をくすぐるミルクの匂いが理性を麻痺させる。
ピジョンの腕をとって個室に引っ張り込んだスイートは、もう待ちきれないといった様子で、うきうきはしゃいで口を出す。
「スイートはねっスイートっていうの!今日が初めてのお仕事なんだー。いっぱい練習したけど上手にできるか緊張しちゃうなぁ。失敗してお尻ぺんぺんされたらやだなぁ」
「だ、大丈夫だよ。俺も初めてだから上手くできるか自信ないし」
「なーんだそっかぁ、スイート一緒だね!ハジメマシテ同士のハジメテ同盟だね!え~と……」
「ピジョンだよ」
「ピジョンちゃん!わあかわいい、鳩ぽっぽとおんなじ名前だ!スイート鳩大好き、豆あげるとぱーって寄ってくるの。食いしんぼさんでかわいいよねぇ、ピジョンちゃんもいっぱいおっぱい食べる?」
「おっぱいは食べないよ……!?」
「だよねーおっぱいは飲み物だもん!いっぱい飲んですくすくおっきくなるんだよ!」
初っ端からテンションが振り切れている。ピジョンと……否、日頃ふれあう機会のない同年代の男の子とお喋りするのが楽しくてしょうがないといった調子だ。
あの胡散臭いオーナーにうちの秘蔵っ子と売りこまれたが、正真正銘今日がデビュー戦なのだろうか?初めての客が俺なんかで本当にいいのだろうか。
責任重大、大任を仰せ付かったピジョンは嫌な汗をかく。
というか、本当にこの子を抱けるのか?
童貞を切りたい一心でスワローの甘言にのせられたが、金を出して女の子を抱くなんてどうしようもなく何かが間違ってる気がしてならない。それだけはやめておけとピジョンの中の天使が窘め、女のアソコがどうなってるか知らずに一生終えてもいいのかよと、スワローの姿をした悪魔が焚き付ける。
「でもよかったぁ、優しそうな人で。スイートね、どんな人がくるのかドキドキしながら待ってたの!いじめられたらやだなあって……サシャちゃんはね、そんなことないよって言ってくれたけど。男の人っておっきくておっかないもん、力も強いし……喧嘩になったら勝てないよ。あ、オーナーは別ね、スイートにやさしくしてくれるもん!お店の子みんなのパパさんだもん!」
そこで言葉を切りしょぼんとうなだれる。しゅんとしおれたツインテールと潤んだ目が庇護欲をくすぐる。
「実はね、スイート前に一回失敗してるの」
「失敗って……?」
「ホントはね、もっと早くお客さんをとるはずだったの。でもねでもね、ぎりぎりでやっぱり怖くなっちゃって……どんな風にやるかビデオを見せてもらったんだけどね、下になった女の子がすっごく痛がってあんあん言ってて、ベッドがぎしぎし言ってて、なのに全然やめてあげなくて……あんなことスイートやだなって。痛いのも怖いのも苦手だもん」
だからね、どんな人がくるかドキドキだったんだぁと間延びした口調で付け加え、いそいそと膝でにじりよってピジョンの手をとる。
「オーナーのいうこと信じていいよね?スイートに痛くしないよね……?」
「う」
痛くしないやり方ってどうするんだ?わからない。畜生、こんなことなら今頃隣でお楽しみ中のスワローに聞いとくんだった!弟に苛め抜かれて被虐を快感にすり替えるのに慣れた体は、痛くしないテクニックなど知るわけない。童貞には無茶な注文だ。
『痛いのは最初だけだって』
痛いものは痛いだろ!心の中で罵倒するピジョンの手を、スイートがぎゅっと握り締める。やばい、距離が近すぎる!シャンプーだろうか石鹸だろうか、体温の高い肌から立ち上るミルクの匂いにくらくらする。
年齢は自分と然程変わらないのに、ランジェリーに包まれた乳房ははちきれんばかり。
形よい小尻を覆うパンティーは実に頼りなく、陰部の疎らな毛が透けている。
ピジョンの股間が条件反射で固くなる。
「オーナーが言ってたの、ピジョンちゃんは停電しててもゴムを付けてくれる人だから大丈夫だって」
「喜んでいいのか哀しめばいいのか微妙なたとえだな……」
「誠意はコンドームのカタチをしてるってオーナーの口癖なんだあ。蟻を踏まずに避けて轢かれるタイプとも言ってたっけ」
「当たってるけど……なんでわかるの?」
実際馬に轢かれた。擦り傷ですんだが痛かった。
「やっぱり優しいひとだ!」
見ちゃだめだ!女の子のデリケートな部分から自制心を振り絞って視線をひっぺがし、手から伝わる感触と体温にうろたえきって、か細く呟く。
「……えっと、がんばる」
「スイートもがんばる!一緒に気持ちいいことしよっ!」
現在進行形で凄まじい葛藤がせめぎあうピジョンの胸中も知らず、スイートはえへへと笑み崩れる。純粋培養の無垢な微笑み……疚しい人間が直視したら即座に目が潰れそうだ。今のピジョンには眩しすぎる。ナニをどうがんばればいいんだ、俺は馬鹿なのか?その場しのぎで適当ほざいて、こんなだからスワローにコケにされるんだ。
スイートはピジョンの手をさすさすする。なんてすべらかな感触……女の子の手ってこんなに柔らかいんだ。小さくて華奢で、ちょっと力をこめたら潰れちゃいそうだ。それにこのいい匂いはどうしたことだ。思考回路はショート寸前、童貞力フルチャージで妄想が暴走する。
「ピジョンちゃん……スイートのお友達になってくれる?」
「えっ?うん、喜んで!」
「やったぁ!」
打てば響く即答。承諾をもらって感激したスイートが手をとって胸に持ってくる。口調のたどたどしさ、感情表現の幼さに漠然と違和感を覚えるもそれを突き詰める余裕はない。
乳房の弾力を呆けて反芻、ドギマギしっぱなしのピジョンの前でスイートが腕を背に回し、ご機嫌な鼻歌を奏でてブラジャーを外しにかかる。ピジョンは反射的に両手を挙げる。
「待って、心の準備が……!」
「ほえ?」
今しも片足からパンティーを脱ぎ捨てようとしたスイート、目をぱちくりさせピジョンを見る。顔を覆った手の隙間から部屋中を見回し助けを求めるピジョン、その視線が隅のピンボール台に釘付けになる。閃いた。
「ピ、ピンボールしよう!」
「遊ぶのー?いいよー!」
生脱ぎ中のスイートの腕をとり、ピンボール台へと引っ張っていく。途中極力見ないようにしてパンツを直し、外れかけたブラジャーを留め直す。弟の、いや、母の世話を焼いてた頃を思い出す。母さんもよく俺にブラのホック留めさせたっけな……。
そこからピジョンとスイートは、仲睦まじい時を過ごした。
「あーっ負けちゃったぁ!ピジョンちゃんやっるー」
「まぐれさ。うん、でも何回かやるうちにコツが掴めてきた。タイミングを読んで弾いて、ちょうどいいところに落とすんだ。たとえばあの真ん中に……よーく狙い定めて」
「えいっ!」
「筋がいいね」
「えへへーピジョンちゃんの教え方がうまいからだよっ!」
スイートは褒められて上機嫌だ。スワローと同じでおだてられると調子に乗るタイプと見える。扱いにくいのか扱いやすいのかむずかしいところだ。
初めてのお仕事をちゃんとこなせるか、プレッシャーでおどおどしていたところに現れたのが線が細く優しそうな同年代の男の子で、スイートはすっかりリラックスしている。
ピンボール台の前に立ち、銀玉を交互に、あるいは同時に弾いては落としていく。
大当たりを出すと外枠と盤面に埋め込まれた豆電球が点滅する仕掛けになっており、スイートとピジョンのどちらかが高得点を弾きだすごと華やかな音が鳴る。
銀玉を狙い定めた通りに迷路の谷間に落とし込み、ピジョンはガッツポーズをとる。
「それ見ろどんなもんだ、俺だってやればデキるんだ!」
「すごーいピジョンちゃん、今日からピンボールマスターを名乗れるよ!」
「まあ序の口だね、こんなの練習すればだれでもできる。日々精進あるのみさ。スイートもがんばればすぐ上手くなるよ」
「よーしスイートまじがんばっちゃう!」
無邪気に拍手するスイートに鼻を高くして自慢するピジョン。アドバイスに相槌を打ち、スイートが意気込んで銀玉を弾く。
フリッパーで打ち返された銀玉がたちどころに傾斜した盤面を転がり、ゴールへと吸い込まれていく。
「きゃーっぴかぴかだ、さっきよりもっとぴかぴかしてる!ねえ見てピジョンちゃん、スイートもピンボールマスターの仲間入り!?」
「すごいじゃないかスイート、今のショットまるで稲妻だ、サンダーボルトだ!君も今日からピンボールマスターの仲間入りだ、一緒にてっぺんとろう!」
「スイートがピンボールクイーンでピジョンちゃんがピンボールキング?それってちょーステキ、盤面をパーッとひっくり返して世界征服だね!夢はでっかくギネスにのろー!」
手に手を取り合って喜びを分かち合い興奮しきってハイタッチ、しまいにはハイテンションにハグを交わす。
ああ、楽しい。めちゃくちゃ楽しい。ここに来た当初の目的をド忘れしてピジョンはすっかりご満悦だ。スイートと過ごす他愛ない時間を心底楽しみ、この瞬間が永遠に終わらなければいいのにと願ってしまう。
街から街へ渡り歩く日々の中、期限付きの火遊びと割り切ってつまみぐいするスワローほど器用になりきれず、彼女どころか友達を作る勇気さえなかったピジョンにとって、スイートはジェニーに続く二人目の友達となる。
ジェニー、今頃どうしてるかな。元気だといいけど。
甘酸っぱい初恋の思い出が甦り、コーラの味を懐かしむ。ちなみにファーストキスの相手はスワローには絶対秘密だ。
「ピジョンちゃんだいじょぶ?ぼーっとして」
「ちょっとね。昔のことを思い出したんだ」
「ならいいけど……ぽんぽん痛かったらスイートに言ってね、ちちんぷいしてあげる」
「ありがとう、優しいね」
スイートの思いやりが身に染みる。出会って短いながらピジョンとスイートはすっかり意気投合し、ピンボールの次はロデオマシーン、ロデオマシーンの次はババ抜きと乗り換えて好奇心の赴くまま遊び尽くす。
「また負けだあ……今日はツイてないや」
三回戦目のババ抜きにも惨敗を喫し、天井を仰いで慨嘆するピジョン。
スイートは床一面にばら撒かれたカードをいそいそと片付け、ケースに詰めていく。
「ピジョンちゃんはどうしてそんなにババ抜きが弱いの?」
「ババ抜きの神様に嫌われてるんだ」
「かわいそう……それじゃあババ抜きの神様のぶんまでスイートがよしよししてあげるね」
ピジョンにケースを返したスイートが膝這い、彼の頭をかいぐりなでまわす。
「よーしよしよしよしよしよし」
「く、くすぐった……もういいよ十分だ、おかげ様で元気になった」
「恥ずかしがってるの?かーわいいー!もっとスイートに甘えていいんだよ、だいじょうぶ、だーれも見てないから……スイートとピジョンちゃんだけのヒ・ミ・ツ」
「ホントもういいって、頭皮弱いんだってふはっ……ちょ、近すぎるって。そんなに密着すると胸が……乳圧が……」
「ねーピジョンちゃん、スイートの赤ちゃんになる?哺乳瓶でミルクあげてー、おんぶしてよしよししてー、毎日お尻拭いておしめかえてあげるの。そーすると男の人は喜ぶんでしょ?」
「それで悦ぶのはごく一部の特殊性癖の男の人だけだって信じたいよ……!」
「オーナーが言ってたよ」
「あの人すごい趣味だな……」
スイートに抱き寄せられて自然と胸に倒れ込む。乳が顔面にあたって息苦しい。スイートはピンクゴールドの後ろ髪をくりかえしすくって放し、囁く。
「ピジョンちゃん髪の毛さらさら。気持ちいい」
「あっ、次はポーカーしようか!それとも絶対ほどけない靴紐の結び方教えようか、この道にかけてはプロ……」
唐突に壁が鳴り、同時にびくりとする。
「い、いきなり何……?」
隣室で激しく言い争う声と破壊音が連続。暴れるスワローと止めに入る女の子の丁々発止、一進一退の攻防戦……またキレて備品を叩き壊したのだろうか?弁償代を請求されたらどうしようと内心冷汗をかく。女の子に乱暴してないといいけど……アイツに限ってそれはないか。
部屋を隔てる分厚い壁を穴の開くほど凝視するピジョンの耳に淫靡な衣擦れがたつ。正面に向き直れば、いつのまにかベッドに移動したスイートが、抱っこをねだるよう両腕をさしのべる。
「きて、ピジョンちゃん。お仕事しなきゃ」
「え……」
「サシャちゃんもがんばってるんだもん、スイートがサボっちゃだめだ。お店においてもらってるのにわがまま言えないもん」
時折同僚の悲鳴が混ざる隣室の騒音を聞き、漸く本来の務めに立ち返ったのか。思い出してしまったのだ……自分が店に籍をおく風俗嬢の一人であることを。
金で売り買いされる現実を。
どんなに親密なひとときを過ごしたところでピジョンはただの客、それ以上でも以下でもないことを。
「………そんな………」
さっきまで一緒に騒いでいた子が、ピンボールで遊んではしゃいでた女の子が、ベッドに横たわって自分を待っている。
何もおかしくない、これが正しい姿だ。
風俗店に来た目的を思い出せ、童貞を捨てにきたんだろ?願ったりかなったりじゃないか。
そう己を叱咤し、のろのろとベッドに赴く。
モッズコートの袖を抜いて脱ぎ落とし、干し藁を敷き詰めた寝床にのっかる。
そうだ、これが本来の姿だ。なのに何故裏切られた気分になるんだ、ショックを受けるんだ。どうかしてるぞピジョン、お前はただ女の子と遊ぶだけで満足なのか、15にもなって情けない。そんなだからいつまでたってもスワローに馬鹿にされるんだ、さあがつんと一発キメてこい、見返してやれ。
心臓が爆発しそうに高鳴って鼓動がうるさく反響する。干し藁のベッドを這い進み、スイートを押し倒す。ベビードールがしっとり張り付いた瑞々しい肢体におっかなびっくり手を這わせ、不器用にキスをする。くすぐったいのか、スイートが少し笑って顔を背ける。
「ひゃ」
「じっとして」
スイートの顔を手挟んで固定、熱っぽく潤んだ目の奥をのぞきこむ。ラズベリーの瞳に切り取られたピジョンは、何故だか酷く切ない顔をしている。初体験の高揚はそこになく、何とか己を奮い立たせて義務を果たそうとするかのようなひたむきに思い詰めた表情だ。
ここまできたらヤるしかない。女の子に恥をかかせるわけにいかない。いや違う、ホントは自分が恥をかくのが怖いだけのくせに……俺は狡い奴だ。劣等感と自己嫌悪が膨れ上がって喉に詰まる。ピジョンは丁寧に、罪滅ぼしのようなキスをする。餌を啄む鳩に似た、軽くつつくだけのキス。
「うひゃ」
スイートが固く目を瞑ってむずがる。本当にこれでいのか?これが正しいのか?ここで彼女を抱いて本当に悔いはないか?脳裏で増殖する疑問と違和感を、しっかりと反応を示す下半身が裏切る。
「ふぁ……っ」
欲望に突き動かされ片方の乳房を捏ね回す。脳裏を過ぎる初恋の人の顔、そして弟の顔……女の子を抱いて本当にいいのか?だれを抱いてもどうでもいいのか?
なんでアイツが出てくるんだ、わけがわからない。
「う……?」
乳房を揉む手が完全に停止。
薄目を開けて窺うスイートの鼻先、ピジョンが真剣な顔で問い質す。
「きみ何歳?」
「え……えーっと……いちにいさんしいご、たくさん……」
順に指を折っていき、躓いてまた最初からやり直すスイートと相対し、ピジョンは「もういいよ」と緩く首を振り、その指をまとめて握る。
彼女の中身が見た目よりずっと幼い子供のままだと知ったピジョンは、床に落ちたモッズコートを拾い上げ、きっぱり言いきる。
「年下の子は抱けない」
「そんな……」
ベッドに起き直って絶句するスイート。
ブラの肩紐が片方ずり落ちたあられもない姿態で、ツインテールを振り乱しピジョンに縋り付く。
「ねえなんで、突然どして?スイート全然へっちゃらだよ、今日の為にいーっぱいお勉強したし痛いのだってちょっとはガマンするよ!ホントはやだけど……でもでもピジョンちゃんならちょっとだけ痛くしていいよ、スイートたちお友達だもん。お友達にひどくされるならガマンできるし……オーナーにもいい子にしてるよう言われたもん、がんばったらおいしいお菓子をご褒美にくれるって。そうだ、ピジョンちゃんにも特別に分けたげる!半分こしよっ、ねっそうしよっ?ピジョンちゃんは甘いの好き……」
「酷くする人は友達じゃない」
目に痛切な色を浮かべ、捨てられたくない一心でなりふりかまわず媚を売るスイートをやんわりと退けて、力強く言いきる。嘗て出会った殺人鬼の顔、友達を義足に隠した男の面影を胸に折り畳み、真摯にかき口説く。
「ごめん。友達とはセックスできない」
それをしたら俺が俺じゃなくなる、君を君として扱えなくなる。今のピジョンにとっては童貞の有無よりそっちの方が余っ程大事だ、数年越しにできた友達を失う方がずっといやだ。
童貞なんて、この子の笑顔を消してまで捨てる価値もない。
スイートのつぶらな目に大粒の涙が盛り上がる。
「ピジョンちゃん、スイートのこと嫌いになった……?」
ぐすぐす洟を啜るスイートの肩に何かが被さる。ベビードール一枚で寒々しい剥き出しの肩に、ピジョンがモッズコートを羽織らせたのだ。啜り泣くスイートと向かい合い、繊細な前髪をやさしくかきあげる。
「スイートは大人になったら何になりたい?」
「え?えーと……」
束の間考え込んだスイートが、瞬時に希望輝く笑顔に切り替わって告げる。
「お母さん!スイートね、すてきな旦那さんと巡りあってエプロンの似合うすてきなお母さんになって、かわいい赤ちゃんをいーっぱい産むの!それでみんなで赤い屋根の大きいおうちに住むの!でねでね、毎日ハチミツとメープルシロップをたーっぷりかけたパンケーキをこれでもかって焼いたげるんだぁ!スイート甘いの大好きっ」
「叶うといいね」
ピジョンは大人びた笑みを見せ、内緒話を告白する。
「俺は将来なりたいものがあって……といってもほんの数年先だけど、その時の為にコツコツお金を貯めてるんだ。一緒になろうって約束したヤツがいて……」
「うん?」
話の着地点が読めずぽかんとするスイートの頭をなでて、上腕にひっかかったブラの紐を直す。
「今君としたら、ずっとそいつに引け目を感じることになる。俺はあいつと対等でいたいんだ」
あの時こうしとけばよかったとか反対にこうしなければよかったとか。
初体験までお膳立てされて兄の面目丸潰れだとか。
「……きみを言い訳に使いたくない」
弟を見返したい、そんな理由でこの子のはじめてをもらうのは失礼だ。
そんな理由でスイートを抱いたら、残り一生アイツの隣に立てなくなる。
「ふぇ……ふぐっ、ふぇえ」
スイートはまだ泣いている。妹がいたらこんな感じだろうか?風邪などひかぬようコートの前をきちんと閉じ合わせてやってから、空気を読んで提案する。
「……落ち着くまで出てるね」
スイートが従順に頷く。風俗店に来て致す前に客が個室を出るという異例の事態。ベッドの上で洟を啜るスイートを心配げに振り返りながらノブに手をかけたピジョンが吹っ飛ぶ。
「!?どわっ、えっなっ」
乱暴に蹴り開けられたドアの向こう、スワローがおっかない顔で仁王立ちしている。脇にはサシャとかいうメイド服の風俗嬢が侍り、何故かこっちに手を合わせ謝っている。
「ごめんなさいわたくし止めたんですでもスワロー様ってば言い出したら聞かなくてどーしてもあの馬鹿にお灸を据えてやるっていうもんですから!」
「とっとと消えろ」
「らじゃですっ!」
申し訳なさそうな眉八の字から一転きりりと顔を引き締め、扉の隙間から素早く室内に侵入するや、モッズコートを頭からすっぽり被ったスイートをどこへやら連れ去っていく。
「えっサシャちゃんどうしたの、お仕事は終わったの?」
「えーっとこれには深い事情がありまして……おいおいご説明しますので今は緊急避難ですよスイートちゃん、兄弟喧嘩にまきこまれちゃたまりません、痴話喧嘩ならなおさらです!」
驚きに涙も引っ込んだスイートを半ば引きずるよう遠のく背中を確認、改めてピジョンと対峙する。
「こんなこったろーと思った」
「わっ、ちょ、スワローなに!?」
乱暴に突き飛ばされて尻餅を付くピジョン。その片腕を力ずくで掴んで引きずり、無造作にベッドに投げだす。何が起きてるのかわからず混乱する兄に覆い被さって、紙幣を突っ込んだのとは逆のスタジャンの片側を開く。
「………っ、お前それ!!?」
そこにあるモノを見て、ピジョンの顔から一瞬で血の気を引く。
「童貞捨ててーなら手伝ってやる」
スワローが俗っぽく笑い、片手で兄のシャツを捲り上げて敏感すぎる素肌をまさぐりだす。反射的に蹴り上げて抵抗するピジョンを張り倒して黙らせ、スタジャンから取り出した未使用のオナホの内側に小瓶のローションを塗りたくる。
「男にしてやるよ兄貴」
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